体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『三年B組金八先生』の第一話を視聴する

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,先週の金曜日に行った授業の紹介です。

では,どうぞ。

 

今年は,教育実習関連授業の持ち上がりの学生たちが,4回生になった。

最初の授業は,彼らが2回生の後期に行われた教育実習の研究Aである。

3回生では多くの学生が,学園にある小学校へ実習させてもらう。

そして,4回生では母校を中心とした実習を行うことになる。

さらに,後期になると教職実践演習という授業が行われるのだが,今年,僕はその授業を担当している。

 

この教職実践演習という授業は,2010年に入学した学生から始まった。

だから,4年制大学ではこれで2回目となる。

この授業は,これまでの教職課程の学びをふり返り,自分なりの課題を探る。

そして残された大学生活で,いかにそれらの課題を克服するのかを自ら計画を立てる、そして実行する,という授業である。

そのために,2回生のころから書きためたポートフォリオを活用する。

 

9月の終わりに,実施の計画を書いたシラバスを持って,最初の授業に臨むと,学生は半分以下。

半分の学生は教育実習中であった。

昨年の担当の先生からきいていたが,これではシラバスの意味がない。

次の週も半分。

でも腐らずに,シラバス通りに進めていく。

 

先週の授業のシラバスには,「あなたが目指す教師」,「理想とする教師」を書いて交流,のようなことを書いておいた。

この授業は,その後,あなたが出会った教師のすご技(授業編,生徒指導その他編)へとつなげていく。

この「すご技」は,模擬授業風にやりたいと考えているのだが,準備ができるかどうかは不安。

だって,学生は半分しかいないから。

 

それで,「あなたが目指す教師」「理想とする教師」というのは,僕は,人それぞれでいいと思っている。

今,課題としていることが,コミュニケーションであれば,コミュニケーションのうまい先生がロールモデルとなるだろうし,授業力であればそういう先生が,学級経営であれば・・・・,となるからだ。

 

でも,授業を通して気づかせたいことがあるのだ。

それで,「金八先生」の第一話を見ることにする。

第一話というのは,1979年10月26日,今から35年前の話だ。

金八先生は,今の4回生が1回生のときに最終シリーズとなった。

だから,多くの学生は見ていることになっている。

 

要するに,彼らの持つ金八先生のイメージと,最初の話を見て持つイメージは違う(はず)だ。

それは,時代によるものもあるし,ドラマの作り手による違いもあるだろう。

でも,そういう違いを越えても,イメージにはある違いがあることに気づいてほしいのだ。

もう一つ別のことがあるのだが,これは教養程度のお話として受け止めてほしいからこれについても考えさせる(今日はブログでは取り上げない)。

 

さて,第一話である。

話はもちろん金八先生が登場するのだが,なぜかこの10月の下旬に金八先生が世田谷の中学校から転任してくるところから始まる。

そして,初めての中学校3年生の担任。

 

なんか変だぞ。

なぜ,10月に中3の担任としてやってくるのか。

「青い鳥」の村内先生ではないだろうが。

前の担任はどうした。

金ぱっつあん,前の学校で何かあったか。

まあ,それはドラマの都合と云うことにしておこう。

 

そして,クラスで自己紹介をしながら,坂本龍馬西郷隆盛の話をする。

髪の毛はさらりとしたロング。

両手でかき分けるシーンが何度も出てくる。

ここで金八先生は,「みんなと一緒に勉強していこう」という。

 

そこで,ブーイング。

保健室では,金八先生が「生徒と一緒に勉強していこう」といったセリフで,生徒たちは盛り上がる。

前にも書いたが,この時代には教師とは教える人だったのだ。

今でこそ,へりくだって「一緒に」というが,そういう時代だったのだ。

 

 この回は吉村タカシという学生が家出をする話だ。

ヒステリックな教育ママから逃れようとする生徒。

一緒に勉強しようといってくれた金八先生が,「一緒に勉強する」というのが本当であれば,僕も見捨てずに探しに来てくれるはず,と吉村タカシは思う。

こうして,手がかりを残しながらの家出であったが,金八先生は夢の島で吉村タカシを見つける。

そして,ビンタ。

時代ですねえ。

 

さて,この吉村タカシの家出から,無事保護までの間の描写が面白い。

まずは子どもたちの関係。

受験でピリピリしている真面目な学生たちは,1人の生徒のことで自習にしたり,ピリピリしたりする先生(たち)に文句を言う。

また,お祭り騒ぎにして楽しむ生徒たちにも文句を言う。

お祭り騒ぎの生徒たちは,休み時間に保健室にいってリンゴをむいてもらって食べる。

そこでは,先のブーイングのような生徒たちの本音が出てくる。

 

しかし,そこへ体育の遠藤先生(鬼の遠藤)がやってきて,取り締まる。

もう一人体育の先生(伊東先生)がいるが,二人ともジャージ。

体育の先生は,見た目でわかるようにしてある。

さらに体育の先生は,ジャージと短髪,出席簿と笛と竹刀といういずれも管理のアイコンを持つというイメージなのだ。

 

それはそれで,金八先生を取り巻く教師集団も個性的だ。

「何かあったら困るのでなるべく何もないように」的な教頭先生。

大きく構えて,困りごとを自分が受け止める校長先生。

金八先生と対立する先生。

この回は,左右田先生という英語の先生(財津一郎)。

でも,僕が憶えているのは,数学の先生で,いつも対立していた。

この先生はまだ出てこなかった。

養護の天路先生(倍賞美津子)は,生徒の受け皿でもあり,教師集団を別の意味で支える重要な役割だ。

 

さて,先週の授業では,ワークシートを配布して,自分の理想とする教師像を書かせた。

それから「金八先生」を見せて,印象に残ったシーンを書かせて,見終わった後,登場人物の相関図を描かせた。

さらに,「金八先生」を見て,自分の理想の教師像に付け加えるものがあれば,それは後で書き足したことがわかるように指示した。

 

それで,印象に残ったシーンの交流である。

便宜的に3~4人の班を作って,交流し,発表。

金八先生は,やかんに火をつけたまま家を飛び出しました。」

「先生らしさって何か。それは大切なのかどうか。」

金八先生は,校長命令を無視して,探しに行きました。」

金八先生は,最後に演説をぶつけど,ほとんど聞いている人がいなかったことです。」

 

学生が出してくれた視点は,結構重要な視点である。

要するに,金八先生のキャラクターを表しているのだ。

若さ故の無鉄砲。

ロングなヘアーや語りかけ方で教師らしくない。

しかも,学生がよく知っている,生徒たちを引きつけるあの金八先生の語りはまだない。

 

僕が学生に伝えたのは,先に述べた「一緒に勉強していこう」というセリフ。

それから,26日金曜日に吉村タカシが家出をした次の日に授業があったけど,黒板には「27日(土)」と書いてあったこと。

左右田先生の英語の授業は,筆記体を使って書いていたことなどである。

 

僕が伝えたかったことは,この頃の金八先生は,情熱はあるが無鉄砲な教師だったということ。

要するに若い教師なのだ。

そして,対立する教師の存在,子どもたちを上手くまとめ,かつ困りごとをきいてくれる兄貴のような学年主任,てきぱきと指示を出し,行動も早い校長先生,先生集団や子ども集団を違う視点から見て支える養護の先生。

 

このように多様な個性が必要であるということ,そして,若いからできることと,ベテランになってくるからできることややるべきことなど,教師としての成長に応じた課題があるということだ。

 

僕は,教研集会とかに出るようになって気づくのだが,若い先生は,自分の授業の話が中心。

ベテランでも,そういう授業の報告は少なくない。

でも,若い人には見られないレポートの特徴としては,授業から学年や学校のカリキュラムづくり,学校づくりという視点が入ってくると云うことだ。

視野が広くなると云うことでもある。

だから,今の時期にすべてをできるように,無理しなくてもいいということだ。

何もできないのに外に出すわけにはいかないけどね。

それでは採用されないし。

でも教職実践演習で教職の仕上げというが,そこのボタンの掛け違えが生まれることを恐れるのだ。

 

もちろん今は,人事考課などで,ベテランでも他人のことを構っていられないと云うこともあるかもしれない。

でも,人に支えてもらったら,自分も人を支えないとね。

それは,垂直方向で,上から下へというベクトルもあれば,水平方向で横での支え合いというベクトルもあるだろう。

そういう文化をこそ、創造しないとね。

若い先生の大量採用,大量辞任の時代だから。

 

ところで,この金八先生の物語の話型って,よくある話でしょ。

これについては,次の授業で扱うので,またの機会に書きます。

 

 

 

 

 

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