後期の授業が始まった話
こんにちは。石田智巳です。
昨日9月26日は後期の授業日でした。
とうとう,授業が始まってしまいました。
大学でも,もっと早くから始まっているところもあると思いますが,もうすぐ始まる=もうすぐ休みが終わるとなると,なんとなく憂鬱なものです。
始まってしまえば,「そういうもの」として処理していけるのですが。
ということで,はじまりました。
では,どうぞ。
とうとう授業が始まってしまった
僕は,後期は授業が8コマ+教育実習関連が二つある。
学部の中でもかなり多い方である。
保健体育科関連の授業とその斡旋担当が僕になっているので,人が見つからない場合,自分がやらざるを得ないことになる。
やりたいものもあるのだが,後期はおかげで月曜日の1限にたった3人の受講生の授業をやることになった。
月曜日はこれで1,2,3,5限と授業がある。
来年は,専攻長が配慮してくれたこともあるのだが,今年よりも少し減る。
しかし,やりたいゼミと教職ゼミは持てず,やりたくない授業は持たないといけないところがつらい。
世の中そんなものだろうが。
今日の2限は,保健体育科教育概論という保健体育の教職科目。
いわゆる体育科教育法である。
3限は,教職実践演習である。
前日の木曜日は,教授会が遅くなり,おかげで専攻会議はなくなったが,やることが山積みであった。
そのため,走ることもできずに,仕事をしていた。
朝,ようやく授業の支度ができたので,短い時間を利用して走りに行く。
今週は訳あって木曜日に高強度のトレーニングをしようと思ったが,走れなかった。
しかし,さすがに金曜日の朝,授業の前にそんなトレーニングをするわけにはいかないので,とりあえず走る。
それで体育館でシャワーを浴びて準備完了。
保体概論は,事前登録が31名のうち,28名が出席。
それに加えて5名が出席していた。
前期よりも多い。
半期15時間みっちりやりたいので,いつもオリエンテーションの日も、がっつりやっていたが,今年は少し換えることにした。
体育授業でスポーツを教えるときに何を考えなくてはならないのか?
いくつか例を出して考えさせた。
意見交流も行った。
理論的な話と実践的な話を上手く組み合わせないと,スポーツが得意な彼ら彼女らの思考を揺さぶることは難しい。
例として,50m走で何を教えるのかを書かせて,交流する。
スタートダッシュ,腕振り,蹴り方,フィニッシュの仕方が出てくる。
予想通り。
というか,出原さんも30年以上前の女子高生がそんな認識でしかないことを紹介しているが,やはりそんな認識でしかない。
「50m走なんて教わったことない」という。
それが正直なところだろう。
これは,出原さんの田植えラインの授業を念頭に置いているのだが,塩貝さんにお願いしている授業でやるため,僕は授業ではやらない。
でも,体育授業をつくるのであれば,メニューが先にあるのではなく,子どもの実態が先にあること,そしてその実態のうちの何を中心課題にして,どう教えるのかを考えることが大切であることをいう。
各種データ,子どもの感想など,子どもの実態をどう取り出すのか,どう読み取るのかは難しいが、ここに体育教師の専門性がある。
タイムのみを計るのは、高校生でもできるため,教師の専門性とは言えない。
また,上手い子と下手な子がいるバレーボールの授業で,あなたはどんなことを考えて指導するのかを問う。
めあて学習があったこともあるのだろうが,中学校の体育教師に訊くと,「子どもたちは,上手い子も苦手な子も別々にやりたいと思っている」という。
それは,「もし一緒に楽しむことができないのであれば」という前提がつくと思う。
そして,その前提を作るのは子どもではなく教師だ。
そこに見通しが持てなければ,「分けた方がいい」と教師が思うのだろう。
これは長野の小山さんと宮城の矢部さんの実践に学んだのであるが,技術の中味とともに,上手い子と下手な子の人間関係の組織が必要になる。
そのため,勝敗重視のスポーツ観の変革を問う学習内容の設定が必要になること(小山さん),どういう合意を作っていくのか,そのための前提として子どもの思いを出させること(教師が拾うこと)(矢部さん)が大切になる。
とはいえ,体育授業を作るのは簡単ではない。
今年は,新たに試してみたいこともあるので,また報告したい。
3限は,教職実践演習である。
これは,昨年の4回生から始まった科目である。
4回生後期の教職の仕上げの科目で,各個人が教育現場に出る前に,自分の課題を見いだして,それを克服するためにある。
そのために,各セメスターごとに1回,ポートフォリオを書いて,教員はそれにコメントを入れる。
今日は1回目であるが,31名が登録していて,出席は17名。
欠席は14名。うち,12名は教育実習中。
教育実践演習の理念は立派だが,国立の教育学部のように3回生で実習を終えるようなカリキュラムでなければ,毎週毎週,バラバラと休むことになり,計画に縛られるとかえって効果の薄いものになる。
先日,教育実習の訪問指導にいったときに,実習生がとても気持ちよく実習ができるように配慮されたクラスをみた。
日本の教室の特徴でもある,一人一人を大切にするような標語が黒板のまわりに貼ってあり,子どもが,「みんなで協力して,団結してやりきろう」という思いにさせられるようにしてある。
発言するときのルールもきっちりしていて,自分の意見を言うだけでなく,人の意見を聞くように配慮もしてある。
そのほか,クラスや学年の友達のいいところを書くような班のファイルもある。
そして,実習生の授業で,出てきた意見にみんなが納得していたときに,担当の先生が敢えて違う意見を述べて,揺さぶりをかけた。
まるで斉藤喜博の「出口論争」のような構図であった。
こういう先生からは学ぶことが多いだろう。
が、もしかしたら、学生は授業がうまくいくのは自分の手柄だと勘違いしてしまうかもしれない。
これを見たので,急遽,教職実践演習で,教育実習で見た教師のすご技を書かせるようにした。
彼らの見たすご技を交流することで,彼らの引き出しに入れられるパイを増やしていければよいと考えている。
しかし,実践記録の話ではないが,彼らにはどこまで見えているのかはやや心配。
だから,その部分をまさに実践記録風に書かせてみようと思うのだ。
これからが楽しみだ。
授業が始まると,どうしてもブログを書く時間がなくなり,これまでのように資料をまとめたりすることが難しくなります。
そこで,自分の実践も実践記録風に報告したりしてみます。
今日のは全く違いますが。