体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

全国教育研究集会in香川 最終日2 低学年の実践

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,全国教研in香川の最後です。

本当に,最後にします。

レポートの3本目は,「子どもとつくる,低学年の体育」です。

では,どうぞ。

 

はじめに,彼女の学校というか地域の体育授業の困難さが語られた。

僕も聞いたことがあったが,そこの地域には「スタンダード」なるものがあって,105時間分の指導案が載っている。

 

だから,同じ学年の若い先生たちは,この「スタンダード」通りに授業をやらないといけないのではないかと思っている。

現実には,やらないから罰せられるとか,咎められるということはないようだ。

しかし,研究授業はこの指導案でやらなくてはいけないという。

 

僕は,雑誌『体育科教育』において,「体育の行政資料を検討する」というタイトルで,このようなやり方を批判的に書いたことがある(2014年3月号,32-35頁)。

ここでは紹介しないが,子どもに寄り添うのではなく,行政資料に寄り添う先生を作って,それで教師の成長や教育力の向上が期待できるのだろうか。

疑問である。

 

それで,教科書が替わると,この「スタンダード」も替わるようである。

しかし,体育を見ると,なんと「めあて学習」ではないか。

これは前の指導要領の学習スタイルだ。

いいのかな?

 

さて,実践である。

彼女は,あるときに体育同志会の山内基広さんに「ねこちゃん体操」を学んで,子どもたちに,そして学年の先生にも学んで欲しいと思った。

このねこちゃん体操に惚れたのは,実際にやってみたら子どもの動きが変わったからだ。

そして,それと並んで,動きの説明をするときに,「こうやってやる」と見本を見せるだけでなく,「ねこちゃん体操の,フーのときの背中」というように,子どもたちに示すことができたからだ。

 

ねこちゃん体操は,山内さんが器械運動を研究するなかで,取り出して教えた方がいい動きをまとめたもので,山内さん曰く,子どもが作り出したものだという。

万能というと抵抗感があるようだが,和歌山にいたときも,水泳指導で「ゆっくり浮いてきてあごを上げて息をする動き」ができない子は,「ねこちゃんのあくび」が苦手だったこと,そのため「あくび」をやったら水泳でも効果があったことを報告した方がいた。

全くイメージができない人には申し訳ない。

 

そして,彼女はあるとき,子どもたちに逆上がりをさせた。

そのときに,蹴り足のことを云ったのだと思うが,「アンテナさんがぴーん」といってやらせたら,その日に5人以上の子どもがはじめてできたという。

言葉が動きを引き出すのだ。

動きが動きを引き出すのだ。

 

実践は,ねこちゃん体操をやって,ライオンさんがガオーからの山跳び。

その後が川跳びとなるのだが,ここにやや落差があったようだ。

そこで,川跳びの前に何をやるといいのかという話になる。

僕はその前に「ウサギの足うち」かなと思った。

手で身体を支えることがとにかく大切。

動物歩きも大切だが,腰を上げる,そしてそれを手で支える動きが必要になる。

 

さらに,上から下に落ちる怖さの克服も必要。

また,映像を見ていたが,目線がずれている子どもが結構いた。

たまたま,そのときに携行していた『たのしい体育・スポーツ』2011年2月号に,山内さんがこのことを書かれていた。

横飛び越しをやっていたときに,目線をマットの方向に向けたまま横跳び越しをしたら,身体が回転せずに正面を向いた子どもがいた。

そこから,山内さんは二つの横跳び越しをやって,後者を閉脚跳びの基礎において指導へとつなげた。

1987年のことだという。

 

報告の後の議論の一つに,2年生のグループ学習では,到達目標をどこに置くのかという点があった。

というのは,「全員が側転がうまくできる」という目標もできるし,「グループ学習で見合うことができる」とか,「違いがわかる」という目標もできる。

僕が問題にしたいのは,2年生の子どもの発達についてである。

 

僕はあるとき,運動のよくできる3年生の子どもたちが集められた場にいた。

30人ぐらいだ。

そのときに,いろいろなゲームをやったが,その中に言葉を発することなく生まれ月で分かれるというのがあった。

そしたら,4月から9月生まれの子どもが圧倒的に多かった。

123月は,全部で一人ぐらいだったのではないか。

 

何のことはない。

発達が早いだけなのだ。

 

だから,2年生でも今は完成した技は「みんなは」できないけど,やっておきさえすれば,4年生にもなればある程度みんなできるようになるのでは?と無責任にも思ったりするのだ。

 

僕の子どもが2年生のときに,スイミングに通っていた。

共働きなので,学童保育のように利用していた。

バタフライの試験に何度もチャレンジするが,合格できない。

そこで,仕方なく別のプールに連れていき,ドル平を教えようとした。

でも,なかなか力が抜けない。

合格できないからスイミングはやめさせた。

 

ところが,4年生の夏に,久しぶりにプールに連れていって,ドル平をさせてみたら,びっくりするぐらい力が抜けたドル平ができた。

そこで,ネズミのようにすばしっこい娘(当時2年生)にドル平をさせようとしたが,まったくダメだった。

もちろん,僕の指導力量の問題もあるだろうが,2年生ではドル平は早すぎると思った。

 

敷衍すれば,2年生の到達目標が側転でなくてもいいのかな?と思ったりするのだ。

でも,やっておかなければならないことはある。

それは何か?

安武さんに訊いてみよう。

 

いろいろ考えさせられた実践であった。

 

3つのレポートの検討が終わって,小分科会のまとめをした。

 

僕も共同研究者として,議論の投げかけに関わってまとめをした。

 

議論の投げかけは,「子どもの生活実態」や教材と出会うことで子どもたちの矛盾が浮き彫りになるとか,葛藤が起こるというときに,それがどのように起こり,どのように乗り越えるのか。

このことが,道徳教育とは違う教科指導のあり方を考える手がかりになるので議論しよう,というものだった。

しかし,リズム構成も,エイサーも,子どもよりも文化の側に教師が信頼を置いていた。

つまり,これをぶつければ子どもは変わるという確信があるのだ。

その意味では,子どもどうしがつながる文化研究を確かにすることの必要性が確かめられた。

 文化を抜きにして,子どもを結びつけようとする指導が道徳的な指導,あるいは生活指導である。

 そのため,文化の中には,どんな力があるのかをさらに確認する必要を感じた。

こんなまとめをした。

 

帰りに駅で「連絡線うどん(わかめ)」を食べて帰った。

充実した3日間だった。

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