『青い鳥』を読んで授業をする 前編
こんにちは。石田智巳です。
今日は,『青い鳥』を読みます。
読むと云うより,この中のある話を用いて,後期に授業をしようと思っています。
そのために,このブログでシミュレートしようと思っているわけです。
『青い鳥』といっても,チルチルとミチルではありません。
では,どうぞ。
『青い鳥』と云えば,メーテルリンクの話を思い出す人が多いだろう。
幸せはどこか遠くにあるのではなく,身近なところにあるというチルチルとミチルの話だ。
僕も,うる覚えでしかないが。
個人的なことではあるが,「青い鳥」と云えば,あるとき日産ブルーバードをみて,「あっ,青い鳥だ」と思ったことが印象にある。
それ以来,実家の車は僕にとっては「青い鳥」だった。
さて,重松清の『青い鳥』である。
僕は,重松清の本は,『教育とはなんだ』ぐらいしか読んだことはなかった。
それが,あるときまとめて読むようになった。
この人は,「これでもか」というぐらいに「いじめ」や学校のなかの出来事をとりあげる。
それで,こっちも「これでもか」と何冊も読んだが,それでは追いつかないぐらいに本が出ている。
ではなぜ,この人の本を読もうと思ったのか。
いつかは忘れたけど,昨年の前期の火曜日の夜だったかに,BS1で映画をやっていた。
いつもそうであるが,テレビをつけてチャンネルサーフィン(っていうの?)をしているときに,偶然見つけた。
いかにも学園ドラマ的な雰囲気。
しかし,雰囲気は暗い。
暗い雰囲気の教室に生徒たち,そして大柄な先生(阿部寛)。
「これ,知らない」と思って,途中からであったが見始めた。
強烈な印象を残すことになった。
その後,「青い鳥」と入れて検索サイトで調べてみたら,重松清の小説だと書かれてあった。
それですぐに購入して読んだ。
文庫の裏表紙には,次のような紹介文がある。
「村内先生は,中学の非常勤講師。国語の先生なのに,言葉がつっかえてうまく話せない。でも先生には,授業よりももっと,大事な仕事があるんだ。いじめの加害者になってしまった生徒,父親の自殺に苦しむ生徒,気持ちを伝えられずに抱え込む生徒,家庭を知らずに育った生徒―後悔,責任,そして希望。ひとりぼっちの心にそっと寄り添い,本当にたいせつなことは何かを教えてくれる物語」。
『青い鳥』には8つの話があるが,すべての話に村内先生が登場する。
一つひとつの話はつながってはいない。
村内先生は,国語の先生なのに,どもる先生だ。
吃音といえば,作者の重松さんもかつてそうであったようだ。
『きよしこ』(新潮社)という小説でも,吃音の子どもが主人公であった。
この8つの話のうち,4番目の話が本のタイトルにもなっている『青い鳥』である。
この話のさわりだけ述べる。
コンビニエンスストアを経営する父を持つ子どもがいた。
その子がいじめっ子から消しゴムやアイスやジュースを持ってくるように云われ,ついには自殺未遂をしてしまう。
そこでいじめが発覚し,一家は引っ越していく。
担任は休職し,そこへ村内先生が入ってくる。
ここから物語は始まる。
が,この話の紹介はここまで。
実はこの話を紹介したいのではない。
なので,続きは読んでみてほしい。
いつもながら,長いマクラとなった。
今日取り上げたいのは,8番目の「カッコウの卵」という話だ。
親に愛されて育てられた経験を持たず,「親にさ,こころとか体とか,ボコられて」,「ひとりぼっち」の子どもとして育ったてっちゃんは,結婚して二人で暮らしている。
この相手のちーちゃんも同じ境遇で,別の期間ではあったが,同じ養護施設にいた子だ。
なかば強引にてっちゃんが引き取ったのだ。
記憶力が悪いので,クリニックに連れて行くと,「そうしなければ彼女は生きていけなかったんですよ」といわれる子だった。
「わたし,ばかだから」が口癖だ。
中学校のときは,いつも「怖い」目で,周りをにらんでいたが,22歳の今となっては,そのときの目は「寂しい」目だったと,てっちゃんは感じる。
そんな15歳のときに,てっちゃんのために来てくれたのが,村内先生だった。
それから数年がたった。
てっちゃんは,ある日,バスに乗っている村内先生を見つける。
興奮して追いかけるも,バスは走り去ってしまった。
先生が駅行きのバスに乗っているということは,この路線の中学校に勤務しているのではと考えたてっちゃんは,中学校を探す。
そして見つけた。
別の日に,ちーちゃんと二人で,その中学校へ行ってみる。
ところが,門から中に入ったところで,ある教師に怒鳴りつけられた。
そこで,出て行こうとするが,そのときに中学生たちに村内先生がこの学校にいるかどうかを訊く。
そうしたら,ある生徒が小馬鹿にしたようにどもる村内先生の口マネをした。
「俺たちとあいつ(村内先生-石田)は違うんだ,俺たちがふつうにできることがあいつにはできないんだ,と確かめるような薄笑い」を浮かべて。
怒ったてっちゃんは,その生徒の胸ぐらをつかんで,校門のゲートに背中を押しつけた。
ちーちゃんがなだめるようにいったので,手を放して,学校を後にした。
村内先生が学校にいることがわかったので,今度は学校の外で待つことにした。
別の日の朝,てっちゃんはひとりで出かけていった。
すると,前に怒鳴りつけた先生が外に出て来て,高飛車にいう。
そこで,村内先生に会いに来たことを告げた。
そのときに,前に胸ぐらを捕まれた生徒が,その先生に,「この人に学校で殴られて,恐喝された」と嘘を言った。
そのため,その先生は,警察を呼ぶ,勤め先に連絡するなどといって,騒ぎがおおきくなった。
そのときに,村内先生が登場して,再会する。
村内先生は,てっちゃんに,「お前がやってないと言うんなら,やっていないんだよ」という。
それでも,警察を呼べというその先生に,
「やっていないという生徒を警察につきだしたら,教師はおわりじゃないですか」
「じゃあ,この生徒が嘘をついているっていうのですか」
「二人とも信じればいいじゃないですか」
「嘘をついてはいけないっていうのは,小学校でも教えるじゃないですか」
「そうですよ」
「村内さんは生徒に嘘をつけって言っているんですか?」
というやりとりが続く。
そして,村内先生は,「私たちが,だっ,だまされなきゃ,生徒は安心して嘘もつけないじゃないですか」。
ここまで文庫本で38頁。
ここまでを配付して読ませる。
要約を与えただけでは,言葉の持つ重みや思いを感じ取ることができないから。
ただし,どうやって配付するか?どうやって読ませるか?間が持つか?という実際の問題への対応はこれから。
ワークシートを用意しておいて,「村内先生は,『なぜ生徒が嘘をつくのか』と考えているのか,『なぜ教師がだまされればいい』と考えているのか,を読み取りましょう」という設問を与える。
これは,僕やあなたはなぜ嘘をつくのか,これまでに嘘をついたのか,に置き換えて考えさせてもよい。
ついでになぜ「カッコウの卵」というタイトルなのかは,あとでスマホで調べさせる。
本来,こんなことはすべきではないと思ったりもする。
が,場面指導の一つとして,教師を目指す学生たちにぶつけてみたいとも思うのだ。
これを,ここまで読んだみなさんも知りたいはず。
でも,村内先生の言葉の重みを感じてもらうのは明日にする。
ということで, 明日の昼には,記事を更新します。
でも,本当は直接読んでみてほしいと思います。