マイケル・サンデルの教えに学ぶこと1 その前に
こんにちは。石田智巳です。
珍しくというか,久しぶりにランニング以外のことを書いてみようと思いました。
自民党の杉田議員の発言を受けてです。
ただ,私の考えを述べるのではなく,マイケル・サンデル先生の教えに学んだことです。
と思いましたが,細かい内容は次の記事になります。
すみません。
では,どうぞ。
「アメリカに住んでいれば英語がうまくなる」という命題は,少しは正しいのだが,そうもいかない。
大切なのは使うことだ。
一日家にいれば,使うことがない。
だから,お店やレストランに行けば英語を使うけど,この場合,そこで必要な英語しか使えるようにならない。
In-n-outの女の定員さんは,どこの店の人でも早口で,何を言っているのかわからないことが多い。
大学の講義を聴いていても,話し手によっては全然入ってこない場合がある。
そして,その都度「わからない」と訊くわけにもいかない。
今はネット上に優れたサイトがあって,アクセスすれば英語を学ぶことができる。
例えば,ボイス・チューブ(Voice Tube)であり,TED日本語(Digitalcast)である。
そのなかで,新しい言葉を学ぶ方法というテーマの話があって,聴いていたら,一つに「外国語の母を見つけること」とあった。
細かいことやどの動画かは忘れたけど,なるほどと思った。
その母(男の人でもよい)は,とにかく話を聞いてくれる人で,いちいち修正したり,自分の話ばかりする人では駄目ということだった。
運のいいことに,今,そういった先生がいて,その先生の車で小学校への行って帰る間の時間,おしゃべりをしている。
その先生は,Dr.Galvanという体育科教育の先生で,例外的に話が聞き取りやすく,会話が成り立つ。
そして,話を最後まで聞いてくれて,言おうとすることを理解しようとしてくれる。
わからないときは,わからないという顔をする場合と,「言いたいことはこういうことか?」と示してくれる。
要するに,彼女は会話を成り立たそうと協力してくれるのだ。
春学期は,別の先生と話しても,なかなか聞いてもらえずに,話をかぶせられて苦労した。
というか,話すのが恥ずかしくなってしまった。
それでも,Dr.Galvanとは週に2回話すだけなので,小学校に行ったらなぜか同志社に留学したことがあるという先生ともなるべく話すようにしている。
学生と話すときは全く駄目で,彼らはこの日本人を日本人としてみてくれない。
どっかにも書いたけど,日本人は,ナショナリティとレース(race)が割と一致する。
デリケートな問題なので,こういう書き方をすると誤解が生まれそうだけど・・・。
それに対してアメリカでは,アメリカ国民であっても,移民大国なので,レースがバラバラ。
だから,東アジア系(日本,中国,韓国など)の人(というか名前)もよくいる。
僕も彼らからすればワン・オブ・ゼムなのだろう。
ということで,彼らのモードで話してくる。
3割引ぐらいで話してほしいのだが。
話がそれた。
それで,英語が難しいのは読んでも意味が取れないということもあるけど,やはり話していることが分からないからだ。
これには単語を知らないから分からない場合もあるが,単語は全部分かるのに聞こえてこないという問題である。
言葉が省略されているし,ならったことのない言い回しをする。
「やめろ」は「cut it out.」
「静かにして」は「 keep it down.」
「どこかへ行く場合は」「head for 目的地」「head home」「head back」など。
「いかなくちゃ」は「We got to go.」 これはくだけた表現。
「集合」は,「Bring it in.」
「わかった?」は「(Does that) make sense?」
だから,言い回しもだが,特に聞こえない問題を解消するために,TED日本語を聴くようにしている。
ボイス・チューブはレベル別や国(英米豪)別があるけど,TEDは専門家によるスピーチ集なので,興味深い話を選んで聞くことができる。
それで,いくつか聴いたのだけど,面白いと思ったのは,レラ・ボロディツキーというきれいな女の先生の「思考と言語」の話,なんだかヴィゴツキーみたいだ。
それと,ニューメキシコのアルバカーキの市長であるリチャード・ベリーの話。
これは,パンハンドラーという物乞いをする人たちに仕事を与えた話。
話はすごくいいのだけど,この人の英語を聞くのは難しい。
そして,なんといっても,マイケル・サンデル先生の2つの話。
TEDにはサンデル先生の3つの話があるのだが,一つは14分,もう一つは18分ぐらい(動画そのものは22分),3つめは日本語はなく54分だからこれは聞かない。
15分ぐらいだと長さも適当だ。
もちろん,分からないところ(ばかりだけど)は何度も聞くし,必要な言い回しや単語は抜き書きするので,1度目は相当時間がかかる。
その割に意味が取れない。
2度目は意味のまとまりをつかもうとするからか,聞き直しは何度もするけど,そんなに時間がかからない。
一つの話は,「なぜ市場に市民生活を託すべきではないのか」である。
これは,内田樹さんが力説していたことに通じる。
教育に市場原理を持ち込むな!ということ。
佐藤学先生も「教育はサービスではない!」と力説されていた。
サンデル先生は,この問いに対して最後は「生き方の問題」になるという。
もう一つは,「失われた民主的議論の技術」で,今日紹介しようと思ったのは,この中味だったけど,これから話を展開するのに字数が多すぎるので今日はここまで。
YouTubeを見なくても,下に字幕があって,日本語を読むことができます。
本当に大切なことを,押しつけがましくなく言っています。
なので,また記事にしますが,読むことをおすすめします。