体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

岡本茂樹著『反省させると犯罪者になります』(新潮新書,2013)を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

いろいろな本を通勤電車や風呂で読みまくっているのですが,今日は元同僚のこの本を読了したので,簡単に感想文を書いてみたいと思います。

では,どうぞ。

 

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この本のことは気になっていたのだが,読みたい本,読まなければならない本などがたくさんあって,読めていなかった。

それが,先日,学生の論文を読む機会があり,その論文に岡本先生の本の引用がなされていた。

それがきっかけだった。

 

実は,岡本先生は2015年6月に急逝された。

それで,奥さまは,うちの学部に奨学金用のまとまったお金を寄付してくださった。

言葉の使い方が間違っているかもしれないが,そこはご海容を。

そのお金を元に,今年度岡本茂樹奨学金が設立され,第一回目の論文が提出されたということである。

たまたま,僕が専攻から選考委員に選ばれた(専攻長だから自分でかぶった)。

それでその学生たちの論文を読んだのがきっかけで,岡本先生の本を読もうと思ったのだ。

 

「反省させると犯罪者になります」という理路は,「風が吹いたら桶屋が儲かる」式なのか。

なぜ犯罪者になるのか?

だったらみんな犯罪者になるじゃん?

何てことを思わせるように,ツッコミを入れさせるように,あるインパクトで書かれている。

 

読んでいけばわかるけど,岡本先生は犯罪を犯した受刑者の更生プログラムを担当している。

だとすれば,「反省させると犯罪者になる」というよりも,「犯罪者は間違いなく反省させられた」,さらにいえば,「反省させられたけど,反省していない(反省できていない」ということだ。

ここでいう「反省」には,二つの意味がある。

一つは,振り返る活動・形式としての反省。反省A(形式)

もう一つは,結果として自分のした行為が悪かったという心情や,二度としなくなる状態のこと。反省B(状態)

二度としないかどうかは,未来のことだからわからないが,少なくとも「してはいけないこと」という思いを持つことだ。

 

私たちに登録されているであろう常識では,反省Aをくぐって反省Bへ至らせるというものだ。

そうすれば,「犯罪者になります」ということだ。

だからむしろ,「反省Aから反省B」というベクトルではダメだと言っているのだ。

なぜか?

 

ここに様々な事例が出てくるが,悪いことをして捕まった場合,すぐに反省Bの言葉など出てくるわけないという。

反省(A)しているフリをして,罰や刑を軽減させるように,ある意味「ウソをつく」のだという。

だから,犯罪者は反省Bに至らずに,再犯に至ることが多いという。

 

少年院でも,反省させられたり,被害者の気持ちを考えさせることが多いけど,それでは役に立たないという。

多くの受刑者は,やられた人の気持ちを考えさせると,「オレなら,やられたらやり返す」というそうだ。

また,「あいつ(被害者)がいたから,オレがここ(刑務所)にいる」という被害者に否定的な感情を持っていることも多い。

 

反省させると,求められている結論は一緒だから,反省の技術を学び,立派な反省文を書くようになる。

しかし,内面は変わらず,むしろ感情を押し殺す,抑圧する分,それがたまっていくとあるときに爆発してしまう,それが犯罪者になるということだ。

 

だから,「反省Aから反省Bへ」というのとは違う図式「○○から反省Bへ」が必要になる。

それを岡本先生は,被害者の気持ちになるのではなく,加害者の気持ちに向かわせることだという。

それは,自分の気持ちでもあり,自分が幼い頃受けた虐待した人や,いじめをした人の気持ちに向き合うことである。

そのためには,否定的な感情を含めて(というか否定的な感情を),まず出させることが大切になる。

 

「和田は,それまでまじめに少年院での生活を送っていたのに,義母が引き受けを拒否したことをきっかけに荒れ始めた少年に,『自分の思っていることを母親に対して書いてみなさい』と言って,原稿用紙を手渡しました。少年は,自分を引き取ってくれない母親に対する不満や怒りを思い切り原稿用紙に書きました。すると気持ちがすっきりとして落ち着きを取り戻したのです」(100頁)。

ここから,「ロールレタリング」=「ロールプレイイング」のような,レタリング=レター(手紙を書く)+INGが研究されるようになったという。

このとき,そこで少しでも反省させようという意図が働くようであると,ダメなようだ。

ロールレタリングがうまく活用されていない原因でもあるようだ。

つまり,反省Aの方法として使ってしまうからだ。

 

このあたりを読みながら,自分の子育ての反省をするのだが,自分の子どもに自分に対して思っている否定的な感情を吐き出させるのは,やはり抵抗がある。

それはそんな言葉を子どもから聞きたくないということでもあるけど,子どももよう言わんだろうし。

このブログを始めた頃,「言ってはいけない言葉」=「なにやってるの」について書いたことがある。

これは,どう答えても怒られるというダブル・バインドベイトソン)に陥れるからだが,僕もよく言ってしまう。

 

でも,一度,ガミガミ叱られた息子は,自分の感情を手紙にして書いてきた。

よく考えてみれば,息子は両親から叱られて,一方的に反省を求められて,行き所がなくなって孤立するだけで,良くなることなどあり得ないわけだ。

だから,その手紙を読んだときに,なぜかコッチが救われたような気がした。

 

ナラティヴ・アプローチを勉強していて思ったのだが,「何でそんなことをしたの」と聞かれても,おそらく言葉にはできないのだと思う。

犯罪を犯した芸能人が,「自分が弱かった」とか,「甘さが出た」とかいうのは,ある意味で定型句であって,そういえば通るというものだろう。

その「弱さ」や「甘さ」を掘り下げることが必要になる。

だから,一緒に言葉にしてあげる(ナラティヴを立ち上げる)ことが必要なのだろう。

これはカウンセリングと同じで,ナラティヴ・セラピーと同じ。

 

さて,「いじめ」についても書かれている。

これも「被害者の気持ち」を考えさせることよりも,「加害者の気持ち」を考えさせる方が有効であるという。

これは参考になるね。

誰もが持っている加害者性とそれが何を意味しているのかを,考えさせるということだ。

詳細は読んで見てください。

僕は,自分でも教職の授業でやってみたいと思う。

 

そして,子どもをダメにするのは「しつけ」でもある。

これも誤解を招くかもしれないが,さきの反省と同じだ。

「しつけA(形式)からしつけB(状態)」に向かわせると考えるのが一般的だが,それをすると抑圧を生むわけだ。

 

これは,「道徳A(形式)から道徳B(状態)」に向かわせようとすると,偽善者ができるというのと同じだ。

この辺の理路もまた読んでもらえばわかると思う。

 

岡本先生は,留年を繰り返していた学生を面談する中で,自分のことを「甘えている」という学生に,それは逆で,「男らしくなければならない」という考えがあるから,人に甘えられない,それで単位が取れないと伝えたという。

そして,下級生にノートを借りるロールプレイをした。

この「甘え」を「甘えられない」と言い換えるあたりも,ナラティヴ・アプローチである。

 

最後のあたりもなるほどと思えることが書かれているが,字数が多すぎるので,読んでみてください。

なかなか簡単にはいかないだろうけど,自分の子育てや,学生指導で活かせれば良いなあと思いました。

そんな簡単ではないだろうけど。

 

もっと思うことはありましたが,またの機会にします。

岡本先生,素敵な本をありがとうございました。

 

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