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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

体育同志会の冬大会(26日~28日)が終わりました 久保実践編

研究会・集会 体育・スポーツ 運動文化論

こんにちは。石田智巳です。

 

今年も残すところ後1日となりました。

本来ならば10大ニュースとか書きたいところですが,別に何もエキサイティングなことはなく,とりあえず2016年も終わりだなあというのが実感です。

そのため,先日行われた冬大会について書いてみたいと思います。

なお,僕は二つの実践のうち一つの実践に張り付いていたので,今日はそちらを中心に書いてみたいと思います。

では,どうぞ。

 

この記事を書くに当たって,過去の冬大会のことを書いていたかどうかを思い出そうと思って,検索をかけたら,なんと一昨年も,去年も書いていた。

「なんと」というのは,そのときは毎日更新していたのだった。

冬大会は,缶詰になるので,いつ書くの?という感じ。

 

昨年の二日目とかは,朝起きて,走りに行って,風呂入って,ご飯を食べて,午前のプログラムがあって,お昼ご飯を食べて,午後のプログラムがあって,ご飯を食べて,世話人会議に出て,それから研究のまとめを行って,2時頃まで飲んでいた。

にもかかわらず,ブログが更新されているのだ。

奇跡だね。

 

「いつやるか?」と聞かれりゃ,「今でしょ」と答えるものだが,いつ書いたのかは覚えがない。

今となっては,夜中に小人がせっせと書いてくれたか,あのときの僕は明らかに今とは違う人だったのだろうということだ。

これが,ブログモードだったというわけだ。

 

さて,冬大会は3年間限定企画の3年目だった。

それまでならば,先生方の体育・健康教育実践を聞いてそこから学ぶというスタイルだった。

しかし,この3年間は,実践報告は聞くが,実践者に教えてもらうのではなく,子どもの学びの事実を参加者が分析して,明らかにしていくというスタイルで行った。

そして,それだけではなく,運動文化・スポーツをグループ学習で学ぶことによって,「わかって,できる」ことと,「グループ(集団)の質的な高まり」がどのように起こるのかを事実をもとに明らかにしようとした。

この「事実をもとに」というのが体育同志会の強みであろう。

 

事実は,子どもの感想文の記述であり,それを量的に,また質的に読み解いていくのだ。

感想文の記述がグループ内で一致してくれば,そのグループ学習は,うまくいっているといえるが,一致していないときにはまだバラバラしているということがいえるだろう。

昨年の二つの実践は,この一致が目指されており,そのための教師の働きかけが重要であることが明らかにされた。

また,一致していないときもまた,集団の質的な高まりを起こすチャンスであることも仮説として示された。

 

「グループ学習と系統学習の統一」を60年間,「わかる,できる,分かち伝える」ことを40年,「学習活動の対象化」を30年ほど追求してきた体育同志会では,技術・戦術学習のうち,特に「わかる」ことが,みんながうまくなるためだけではなく,集団の質的な高まりのために必要だということがわかってきている。

 

「できる」子がグループの中心になるというのはよくあるパターンだけど,これでうまくいかなくなることもよくあること。

上手い子が,グループをミスリードする(自分勝手なプレイ,苦手な子を排除する)ことはよくあるよね。

もちろんそうでない場合もあるけど。

 

だから,如何にしてこの上手い子がリードする関係を崩していくのかが実践のテーマになりそうだ。

このことは,一昨年の実践において顕在化されたが,今回の久保賢太郎さんの実践においても出てきた。

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この実践では,「できる子」「上手い子」ではない(むしろ上手ではない)子で,やや傍若無人の子どもが引っ張ろうとしていたグループだった。

しかし,ハネ跳びではどうすればうまくいくのかを追求していく中で,苦手だった子があるコツをつかんで,できるようになるなかで,二人を含めた班の人間関係が変わっていった。

それが見事に感想文から読み取れた。

 

それには,教師の系統の考え方が関係しているのではないか,という読み取りを行った。

体育同志会では,ある技を目標にした場合,それに至るスモールステップを用意して,それらをくぐり抜けながら,ポイントがわかってできることが目指されることが多い。これが,一般的な「わかって,できる」の実践スタイルだ。

しかし,これは下手をすると,教師が敷いたレールに子どもを乗せるという実践になりがちだ。

子どもたちは,「わかって,できる」ようになるが,集団の質が高まるとか,この実践によって体育同志会の理論が変化するということは起こらないのだ。

 

それに比べて,全員が台上前転ができて,そこから技を変形してハネ跳びを完成させていくために何がポイントになるのかを探求するという系統。

前者を到達点からの系統だとすれば,後者は出発点からの系統。

 

体育同志会では,接転技群の台上前転と,ほんてん技群のハネ跳びは,技の系統が違うから一緒にはやらなかったりする。

というか,やらない方がよいとされている。

しかし,よく考えてみれば,別の技群にまとめるのは後知恵である。

技を開発しようとしてきた人たちは,台上前転を大きくしたいという思いを具体化したときに,第二空中局面をまさに浮かせることを考えたのではないか。

 

「問いの系統性研究」ともどうやら違うようだが,この実践は正解を教師が持っていて,それに子どもたちが到達するという実践スタイルではない。

むしろ,教師も子どもたちもともにうまくなる原理を探っていこうとする,1970年代の短距離走の実践(出原泰明)や,走り幅跳びの実践(中村敏雄他,大阪・枚方の先生たち)などにも通じる実践であった。

 

久保さんの実践は,データを用いて他にも刺激的な提案をしてくれたが,これは本人がどこかで報告するだろうから,僕がよけいなことを書かない方がよいので,控えておく。

 

非常に刺激的な提案であったことは事実です。

彼の今後にも期待したいところです。

 

それでは,良いお年をお迎えください。

 

 

 

 

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