体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

体育同志会の全国大会(熊本支援東京大会)その5

こんにちは。石田智巳です。

 

今日もまた,東京大会の模様です。

2日目の午後は,最初に久保さんという方のグループ学習の実践報告がありました。

これにはものすごくインスパイヤーされました。

そのことについて書きたいと思います。

では,どうぞ。

 

東京の久保さんは,いつだか会ったことがあり,その後,実践をするので資料がほしいということで,メールで渡したことがあった。

その後,実践をされて,さらに実践を自ら分析して,その提案を7月の体育科教育学会のラウンドテーブルでされていた。

そのときには加登本仁さんも別のラウンドテーブルで報告をされていたが,僕はどちらも見に行く余裕はなかった。

 

久保さんの今回の提案もまた,そのときの実践と分析がベースとなっていた。

久保さんの提案には,「技術認識の深まりと集団の質の高まりとの関係性~価値ある学びにはなぜ他者が必要なのか~」と冠してある。

 

まさにグループ学習分科会のこの間の問題意識とかかわっている。

若くて未会員の久保さんであるが,このあたりの問題意識は,月曜学習会とかで大貫さんたちと学ぶなかで身につけたのだろう。

「なぜ他者が必要なのか」と問われたら何て答えればいいのだろうか。

早い話が,どの学習論や認識論に依拠するのかによって答え方が違う。

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体育同志会では,基本的に実践ベースで,「うまくなることと集団が高まること」の追求が行われてきた。

特定の認識論があったわけではない。

敢えて言えば,昔はリアリズムにおける「感性的認識→理性的認識」なんかが語られたこともある。

あくまでも実践ベースで研究が進められ,90年ぐらいには一定の見通しが持てるようになる(例えば,西垣豊和実践参照)。

 

今回,加登本さんが紹介しようとしたエンゲストロームの活動理論の系譜でいえば,ヴィゴツキーの社会的構成主義が元にあり,ここでは学習とは他者の存在抜きには語れない。

しかし,じゃあ他者がいさえすればいいのかとなるが,それだったらどんな学びでも基本は学級やグループ,あるいは教師など他者となされる。

そこに,分業や協業などを入れたのがレオンチェフであり,さらにエンゲストロームの活動システムになる。

 

このとき大切なのは,社会的に構成される学び,あるいは社会的に構築される学びという観点なのだ。

ここを情報が個人の学びのシステムにコピペされるのが学びだと考えると,全く他者の存在は必要なくなる。

どんな知識でも,それは「その人にとっての知識」だという認識も重要だ。

 

こういった前提に立つと,久保さんの実践とその分析は非常に価値の高いものであったことがわかる。

久保さんは,僕が2012年に大学の論集(紀要のようなもの)に書いた論文を元に実践分析をしている。

僕がやったのは,同じ教師が,同じグループ学習というスタイルで,同じような水泳の授業を,4年生と6年生でやって,その感想に見られる違いが発達の差だという仮説の元,感想文分析の枠組みを作ったのだ。

 

このときに,岡山の阪田尚彦さんの1980年頃の論文を先行研究として,カテゴリーを作成し分析を試みたのだった。

しかし,これはうまくいかなかった。

一応,このときもヴィゴツキーの内言の発達の理論を参考にしたのだが,カテゴリー分けをやり直す必要が出てきた。

そのため,いろいろなことを考えてやってみたが,最終的に4つのカテゴリーを採用することになった。

それが,結果,課題,構造・客体,構造・主体の4つである。

 

細かいことを書くのは面倒なので,ネットで調べるなりして読んでほしい。

大切なのは,理論を直接実践やデータに当てはめるのではなく,理論を演繹的に使おうとしながらも,現実のデータをカテゴリー化して,そのデータを解釈する理論をつくりだしていくのだ。

そして質を同定して,その質の違い(カテゴリー)を数量的に処理するという方法を採用している。

グラウンデッド・セオリーのような感じだが,それとはまた違う。

 

それで,このカテゴリーはあくまでも4年生と6年生のデータを比較して出てきたカテゴリーであり,「構造・主体」はさらに,例えば,時間,空間,力動性,それらを含んだリズム,オノマトペや,手,足などの部位,ひねるや伸ばすのような動かし方にも分類が可能になる。

ただ,僕の目的は水泳の実践での4年生と6年生の感想の違いを明らかにすることにあり,一番の違いは構造・主体の記述が6年生に多くて,4年生は構造・客体にとどまる場合が多かったということだ。

 

久保さんは,このカテゴリーを用いて,自分の13時間分の授業(4年生の跳び箱運動)を分析し,学習の後半にかけて4年生でも構造・主体の記述がほとんどになるという成果を得た。

つまり,効果的な授業だったということだ。

それは,課題が台上前転からネックスプリング跳びへと変化していくのだが,①基本的に課題の運動構造が同じだったことと,②まさに感想文に他者の記述が増えたときに,子どもたちの感想が質的に高くなったことを示したことが挙げられる。

 

そう,他者の存在によってネックスプリングのコツが,社会的に構成されていく様子が示されていた。

さらに,分析は続くのだが,それについては細かな話に入りすぎるので,省略。

でも,これは面白いので,丁寧にまとめて学会誌に報告してほしい。

また,厳密でなくてもいいので,このようなカテゴリーで自分の授業の感想文を分析してみれば,自分の授業が子どもの認識の形成に効果的だったかどうかがわかるだろう。

他者を巻き込んだ学習の組織についても同じように効果的だったかどうかがわかるだろう。

 

それと,厳密に,より汎用性の高いカテゴリーが用意されることも望みたい。

というのも,僕は別の研究をするから。

他の人でやってくださいね。

 

 

 

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