体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

体育同志会の全国大会(熊本支援東京大会)その4

こんにちは。石田智巳です。

 

お盆に入って,行くところなしです。

息子の部活はお盆も一日しか休みがありません。

娘のバレエも山の日にもレッスンがありました。

娘はひらパーのプールで泳ぎまくっていたにもかかわらず,自らバレエへ行くといいました。

僕は山の日は一日こもって,考え事をして,ブログを書いていました。

 

今日は,体育同志会の2日目の様子です。

この日はグループ学習分科会に行ってきました。

では,どうぞ。

 

一日目は,バスケ分科会の基調提案と器械運動の岨jr.提案を聞いてそれで終わり。

2日目は,グループ学習分科会に出るつもりでいた。

例年,実技のある分科会は,学校をお借りすることが多いため,ときには電車に乗って,ときには車に乗って出かけていく。

しかし,座学の分科会は,同じ場所でやるので,移動がなくてよい。

 

グループ学習分科会は,最近熱くて面白そうなのだ。

今回も,基調提案,実践提案,研究提案があったがすべて報告ではなく「提案」であった。

1日目の基調提案では,加登本仁さん(滋賀)が,エンゲストロムの活動システムを用いて実践を分析することになっていたが,彼は校務のため参加できず。

そのため,玉腰和典さん(愛知)が,2010年に提起された「集団の質の高まりを実証的にとらえる」という課題から実践分析の方法としてのMRIが生み出されて,改良されていくことについて述べた(ようだ)。

 

このMRIとは,もともとCTスキャンのようなに病院で使われるあのMRIなのだが,これはサッカーのパスの繋がりを見るために生み出されたスコアの方法である「心電図」から来ている。

あるグループでどうやら集団の質的な変化が現れたのではないかと教師が思ったときに,そのグループの感想文を並べて,その前後に起きたことや教師の働きかけなども一覧にして,その変化を実証しようとするような方法だ。

 

玉腰さんは今,自信喪失中なのか,全体に発言が弱気。

僕は事前に読んでいて,これは基調提案になり得るいい報告だと思っていたので,丁度よかった(聞いてないけど)。

 

さて,2日目の最初は,川渕和美さん(大阪)の2年生のフラッグフットボールの実践報告だった。

大阪のGGP(グループ学習プロジェクト)でもまれている方なので,期待も大きい。

もともと「うまくなること」を取り出すことをねらいにした実践だったので,提案集を読むとやりたいことがはっきりわかった。

 

要するに,「わかる,できる,学び合う」実践をやっても,最後にリーグ戦のような試合をもってくると,子どもたちは勝ち負けにこだわるあまり,それまで学んできた中味よりも,勝ちに行くことにこだわってしまう。

昨年の実践がそうだったようで,今回はこれが問題意識だった。

彼女の理路がわからないと,「勝ち負けにこだわることがいけないのか?」となってしまう。

 

そういう話ではない。

この問題はよくあることで,僕も必ず授業で取り上げる。

というか,初等体育や中等の保健体育科教育法の授業は,このことを15回の授業で繰り返し述べる。

体育でスポーツを扱うけど,体育は学ぶことが目的でそのために勝敗を本質とするスポーツが位置づく。

しかし,競技スポーツは勝つことを目指して(目的として),技術や戦術を学ぶ。

だから,スポーツ的な価値が体育授業に持ち込まれると,目的と手段の関係がわかりにくくなる。

 

そのため,授業では,勝つことを目指すが,それがすべてではない。

そこで何を学んだのか,その学んだことがいかに発揮されて勝ったのかと考えることが必要。

あるいは,勝てなかったけど,内容的には負けたチームの方が上で,それが評価できるような仕組みを授業のレギュレーションに組み込むことが必要となる。

それがなければ,勝つためには練習でやっていないことを優先させる子どもが出るのは当然。

 

それで,川渕さんが考えたのは,まずは学習する内容を絞り込むことだ。

そして,ゲームのスコアと同時に,学習した内容がゲームで出ていたかどうかを子どもたちに◎○△などで,判定をさせる。

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僕は,いつだったかのやはり大阪のGGPの片本さんのフラフトの実践を読んで,この教える内容の絞り込みと,大切な内容はきちんと学び取らせることが大切だという姿勢に共感したことがある(たぶん,ブログに書いたと思う)。

フラフトのランプレーの場合,ガードを利用してQBが通ることが,小学生だろうが,大学生だろうが,学ぶ内容になる。

ここがぼけた授業をやると,「誰がボールを持っているかわからない作戦」とかが出てきて,やって楽しくとも評価のできない授業になる。

 

実践を読んで,聞く限り,この部分はうまくいっていたようだ。

気になる子どもと周りの子どもの関係も,うまく変化していったようだった。

 

ただ,今回川渕さんの実践報告を聞いて,報告の仕方に難があったように思う。

それは,20時間にわたる実践を1時間ごとに丁寧に報告したため,聞いている方としてはつらかった。

筋が見えてこないのだ。

僕の実践記録=物語論によれば,実践記録は,自分の問題意識があって,実践中に見たこと,思ったことを主観的に綴って,物語化すればよいのだ。

ここは意見が分かれるかもしれないが,神の視点を挿入しようとする必要はない。

 

教師は日々授業をやっていれば,気になる子や気になる関係などがあって,それを何とかしたいと思っていると思う。

だから,たまたま体育なのかもしれないが,なぜフラフトなのかも含めて,彼女の視点で書くことが必要になる。

そうしたときに,物語のなかにやりたかったことや,物語の編み方の特徴などがにじみ出てくるのだ。

そして,実践の検討の際に,その主観的な物語構成を強化する,あるいは揺らがせる事実としての感想文,そのときの教師の働きかけ,きっかけとなる出来事などが紹介されればよいと思うのだ。

もっといえば,実践検討で,違う見方が提出されて,物語そのものが少しでも変化したとなれば,まさに異質共同の学びの大人バージョンとなる。

 

器械運動のところでも紹介したが,鹿児島の五代さんは徹底的にMさんにこだわった実践記録を書いた。

大会の最終日に実践報告を渡してくれた制野さん(宮城→和光大学)もまた,ADHDと診断されて傲慢で傍若無人で,みんなをヘトヘトにさせるAを中心とした記録を綴り,Aさんの心の動きやプレーに対する見方の変化を感想から読み取っている。

この実践は,まだ書き下ろした段階で,物語化まではいっていないが,さすが制野さんという実践だ。

 

ということで,午前中は川渕さんの実践記録でした。

 

 

 

 

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