読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

体育同志会の全国大会(熊本支援東京大会)その2

体育・スポーツ 研究会・集会 運動文化論

こんにちは。石田智巳です。

 

今日もまた体育同志会の夏大会です。

昨日は,開会行事の様子を簡単に伝えようとしましたが,基調報告の「わかる」にかかわって書いていたときに,久しぶりにドライブ体験というか,ライターズ・ハイのような気分を経験しました。

ランナーズ・ハイと同じで,書いていると手が滑り始めてのめり込むような経験ができると,ブログを書くのは楽です。

それがないと,書けませんね。

 

ということで,今日もこのハイを期待して書いてみます。

では,どうぞ。

 

開会行事が終わると,1日目は分科会のコマ1(最初のコマ,コマ4まである)にでる。

僕は,申し込みは必ずバスケットボール分科会にしているが,ほとんどでていない。

なぜならば,研究局のメンバーは基本的に,分科会をはしごするから。

僕らは,事前に提案集に書かれている実践提案や,余裕があれば分科会の基調提案も読んでおく。

そして,提案集にコメントや評価を書いて,ついでによさげな実践に折り目をつけておく。

 f:id:tomomiishida:20160811104643j:image

そして,直前の研究局会議にて,それらを出し合い,そして分担してみんなで聞きに行く。

だから,分科会の運営についても情報を持っておかなければならない。

これが難しいのだが。

ただ,今年は,日程の都合上参加できなかったメンバー,育休中のメンバー,分科会に張り付きのメンバーなどで,実質自由に動けたのは僕だけだった。

だから,かなり独断と偏見で見に行くことになった。

 

でも,分科会コマ1はバスケにいた。

最初は自己紹介をして,分科会の基調報告なので,ついついホームグラウンドにいた。

分科会に顔を出しておかないと,翌日の文化交流の夕べ(という名の大コンパ)に,バスケ分科会の席にいたとしても,かなりアウェー感を味わうことになるから。

これまでの提案とはやや違った提案がなされたが,それはそれでよかった。

 f:id:tomomiishida:20160811104708j:image

 

僕も最近ボール運動にかかわって考えていることがあるので,また提案を行いたいと思う。

 

体育同志会は,基礎技術規定にあるように,「最初に練習し,最後まで質的に発展していく内容をもった技術」を基礎技術の考え方の1つとしてみてきた。

そしてバスケでは、「二人のコンビネーションからのシュート」としてきた。

これが70年代初頭のこと。

これはよくできた規定だと思う。

 

現象的には縦型の2人のコンビネーションからのシュートであり,シュートを打つ人はゴール下の重要空間に入ってパスを受けてシュートを最初に行う。

これの意味はここでは述べない。

大切なのは,バスケ(球技)は,重要空間をめぐる攻防だという認識を持つことである。

よくあるのは,攻めていってラストパスを渡すも,ゴールから遠すぎてシュートが打てないというプレーだ。

 

だから,あらかじめ,ゴール下の重要空間に持ち込む。

最初は,そこでパスをもらってシュート。

これは,相手よりも先にゴール下に入ることが課題となるゲーム様相。

 

次は,走り込んでもらってパス。

これは,相手がゴール下の重要空間を守っているゲーム様相での解決の1つ。

もちろん,リターンパスという手もあるのだが。

 

さらに進んでくれば(小学校のレベルではないが),重要空間そのものが広がる。

選手であれば,3ポイントシュートが決まる空間(物理的,心理的空間)だって重要空間なのだ。

 

何が言いたいのかと言えば,荒木さんの規定の「最初」はわかったけど,「最後」をどうとらえるのかについての洞察が会全体で弱い気がするのだ。

つまり,入り口像だけではなく,全体像をいかにしてとらえるのかについての言及がない。

もちろん,子どもが今のトッププレーをすぐできるかといえばそんなことはない。

大切なのは,教えることは一端切り離して,全体像を把握することである。

その方法が問われているように思う。

でないと,小学生も中学生も高校生もみんな,二人のコンビネーションからのシュートを練習して,ある程度の技術・戦術水準の到達点で終わることになりがち。

 

次回以降書こうと思うが,ヴィゴツキーのいう発達の最近接領域の考え方と,佐藤学さんのいう「背伸びとジャンプの学び」が必要になる。

基礎をしっかりやるというのは大切なことかもしれないが,それだけでは「背伸びとジャンプ」の学びはできない。

意図的にゲーム様相を飛ばして,バスケの面白いところへ子どもたちを誘うという考え方もできるのだ。

実践もある。

そんなことをどこかで提案できたらいいかなと思うし,以前したこともある。

 

さて,そのこととややかかわってくるのだが,基調報告が終わって,「作戦づくり」についての質問があった。

要するに,作戦を立てさせるのは,自由に立てさせるのか,教師が作戦を示して,それをグループごとに選んで立てさせるのか,という問いだ。

もう少しいえば,自由に立てさせるのでいいの?という問いだ。

これは,いい質問だと思う。

 

体育同志会の会員の実践でも,「2人のコンビネーションからのシュート」を大切に練習して,作戦づくりをさせる実践は多い。

しかし,僕が学生に指導案づくりで口酸っぱく求めて,なかなか学生が応えられないことと一緒なのだが,「そこでぜひ教えたい戦術に関わる中味がない」のだ。

だから,学生は「3対2でシュートが決まるためにどうしたらいいか」という大きな発問=絞られていない発問を平気でする。

 

こういう指導案が,たいてい出てくるが,ダメ出しをする。

なぜダメなのかは,ブログのどこかに何度も書いている気がするが,要するに,そのときの攻撃は,ドリブル突端なのか,パスアンドランなのか,スクリーンなのか,作戦の元となる「この授業でみんなが学ぶ内容がない」からだ。

さらにいえば,「ゲーム」のレベルの学習内容と,「局面」レベルの学習内容と,「2人のコンビネーションからのシュート」レベルの学習内容との関係が明確でないまま,ただ「2人」のレベルの学習が行われる。

そして,学生が作ってくるこの授業では,最後は「みんな違ってみんないい」となって,学習すべき内容がぼけているのだ。

 

だから,作戦づくりというのは,この基本的な教えたい内容を含んだ形で立てるものであって,考えるべきなのは,その作戦を成功させるためには何が必要なのかという共通に学ぶべき内容と,このグループではチームの特性からそれぞれが「いつ,どこで,何を」するのか,特に時間と空間をあわせることが学ばれるのだ。

 

ということで,今日も終わり。

次回は,1日目にちょっと顔を出した器械運動分科会の様子です。

 

 

 

広告を非表示にする
http://tomomiishida.hatenablog.com/