沖縄旅行7月31日~8月2日
こんにちは。石田智巳です。
今日は月曜日で,ランニングの記録といきたいのですが,この一週間はいろいろありました。
前半は2泊2日の沖縄旅行,後半は体育同志会の全国大会。
体育同志会の全国大会は,月曜日まであるので,次の記録にまわそうかと思っています。
では,どうぞ。
7月31日 日曜日
朝7時半に家を出て,タクシーで近鉄奈良まで。
そして,リムジンバスに乗って関空へ。
そして,那覇へ。
今回は,あっちこっちを見て回るのではなく,とにかくビーチで泳ぐことを目的にした。
前回子どもたちを連れてきた時には,美ら海水族館,そして平和公園,ひめゆりの塔など南部をめぐった。
あのときは2月だったこともあり,沖縄といえども泳ぐ季節ではなかった。
だから,今回は観光というよりは,海を目的とした。
空港に着いたら,レンタカーを借りて,守礼そばへ。
そして,豊浜というビーチへ行く。
この日は日曜日で,しかもお祭りをやっていたため,ものすごい車。
ステージではエイサーをやっていた。
ビーチは人でごった返していた。
このビーチは人工ビーチで,狭く囲まれたものだった。
娘は喜んで泳いでいたが,こちらは「こんなものか?」という感じ。
このビーチは,飛行機の着陸へアプローチするちょうど真下にあたり,1~2分ごとに着陸態勢に入った飛行機が真上を通る。
1時間半ほど泳いで,帰りに近くの道の駅へ,マンゴー,グアバ,ドラゴンフルーツ,島らっきょうなど,いろいろ買い出しに行く。
ホテルに戻って,同じ建物の下にある沖縄料理のお店へ。
子どもたちもたくさん食べた。
8月1日 月曜日
ガイドブックを見ていると,那覇の近くで取り上げられているビーチは,ほとんどが人工ビーチ。
これではつまらないと思って,いろいろ見ていたが,結局,離島に行かないといわゆる沖縄の海は楽しめないようだ。
朝起きて,ホテルの下が泊港ということもあって,離島に行けるかどうかを調べてみる。
多くの人が同じことを考えているようだった。
前の日に気づいていれば,近くの渡嘉敷島まで行くことができたのだろうが,8時半の時点で,13時発の高速艇が空いていたが,17時半の復路の船があいておらず,14時の便しかなかった。
そのため,あきらめることに。
今後は,那覇はトランジットか直接離島に行く飛行機に,あるいは早くに離島へ行く船を予約するべきという教訓を得た。
ということで,東のサンサンビーチへいくことに。
ただし,一日中海で泳ぐわけにも行かないので,東の方でアクティビティをおこなうことに。
それが,沖縄村。
ハワイにあるポリネシア文化センターのイメージ。
あのときは,娘が高熱を出してホテルで付き添いだった。
さて,村に着いたらまず鍾乳洞へ。
そして,植物を見たり,冷たいものを飲んだりして,娘はガラス細工体験。
その前にも,織物の体験も。
さすがにハブのショーはごめんだということだ。
お昼を過ぎたので,ビーチに向かう。
奥武島という小さな島があり,車で行けるのでそこへ行くことに。
ガイドにはそこで食べられるお店も紹介されていたが,前を通るとものすごい人が並んでいた。
並ぶのは嫌なので,そのそばにあった地元の人びとが利用するであろうと思われたお店に入る。
僕はこういうお店が結構好きだ。
テラスといえば聞こえがいいが,建物に窓がなく,地元の人がご飯を食べて,おじさんが100円の氷を食べて,女子中学生があいている席でおしゃべりしている。
お客が来たら,お店のおじさんが中学生に「あっちに行ってろ」といったら娘たちは,席を空けて外でしゃべっている。
海では,橋から男子中学生が飛び込みをやっている。
ここだけ時間が止まったような感じ。
ご飯を食べたら,島の反対側に行って泳ぐ。
ここはビーチでもなんでもなく,珊瑚がごろごろしていて,歩くのが大変。
誰も泳いでいないのはいいが,足場は悪く、おまけに南の方の空が真っ黒になって雷が鳴っている。
10分ほど浸かっていたがあがって様子を見る。
しばらくしたら,天気も回復してきたが,さすがにここで泳ぐのはややワイルドすぎた。
着替えて,別のビーチへ。
ここで1時間ほど泳いで,ホテルに戻る。
戻ってからは,石垣牛を食べに行く。
これで二日目は終了。
次の日は10時から,集中教学委員会なる会議が京都で行われる。
この旅行を予約したのは6月半ば。
会議が決まったのは,7月半ば。
専攻の幹事に任せようと思っていたら,出張でいないとのこと。
仕方がないので,遅れてでも僕が出ることに。
朝6時前に起きて空港へ。
妻と子どもは夕方5時の飛行機。
オヤジは7時20分の飛行機で関空へ。
オヤジは2泊2日の旅とあいなった。
大学に着いたのは12時前。
那覇から通勤というのは乙なものです。
ウソです。