体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

体育同志会中国ブロック研究集会に参加しました。

こんにちは。石田智巳です。

 

2月20日と21日は,広島で行われた中国ブロック研究集会に参加しました。

久しぶりの広島でした。

今日はそのうちの僕の話のことを中心に書きます。

では,どうぞ。

 

昨年の9月か10月あたりに,年明けの中国ブロック研究集会について打診があった。

ずいぶん早い打診だったが,この時点で2月20日21日には予定がなかったので,こちらの日程にしてもらうことになった。

その後,11月に和歌山にいったときに,関近ブロック集会が同じ日に和歌山で行われるということを聞いたが,ときすでに遅しであった。

 

ということで,2月20日の土曜日に僕が「3ともモデル」と「意味を問い直す」について話をすることになった。

これについてはいろいろ考えていることがあった。

ただ,「3ともモデル」が出てくる経緯は話しやすいのだが,「ともに意味を問い直す」ことの実践イメージを沸かせることには,注意深くないといけないと思っていた。

というのも,この「ともに意味を問い直す」を例示すると,それが一人歩きして,実践が金太郎飴のようになる可能性があるからだ。

 

ただ,僕も結構いろいろ忙しくて,この課題にじっくり取り組めたわけではない。

だいたい,こういう話をするときには,最後の一週間までに2回は取り組んでおいて,残りの時間と相談しながら,最後にまとめ上げるという形になる。

だから,最初の2回でだいたいこういう感じになるだろうという当たりをつけておくのだが,どうしても尻切れのまま,「まあいけるだろう」となってしまう。

 

それでも,最後の木曜日には一応仕上げる形にして,広島の大後戸さんに送っておいた。

プロットは以下のとおり。

最初に,本日の目標を二つ掲げる。

体育,保健体育という教科の目標構造を考えるときに,よく高橋健夫さんやバート・クルムの目標が引き合いに出される。

話のねらいの一つは,この日本でも,オランダでも通用する体育の一般的な目標と,体育同志会が掲げる目標構造(学力の中味でもいい)との違いがわかることである。

 

そして,もう一つは,その目標の違いが必然的に実践観の違いを生み出すわけで,その違いが何となくでもいいのでイメージできることである。

 

広島には大後戸さんが迎えに来てくれて,駅でお好み焼きを食べようと思ったが,どの店もいっぱい。

そもそも,広島駅に人がものすごくいた。

そこで,附属小学校のそばにあるラーメン屋さんへ。

来頼亭で中華そば(大)を食べる。

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毀誉褒貶があるようだが,僕はおいしく食べることができました。

大後戸さん,ごちそうさまでした。

 

僕の話は,例によって体育同志会の歴史から。

1955年の同志会結成の頃の生活体育論の実践イメージ。

自由時の遊びや行事などにねらいを絞って,そのために教科時とHR時などを有機的に結びつけて指導する行事単元,浦和市の地域体育カリキュラム構想など。

 

しかし,指導要領体制の強化とともに,研究フィールドの内部からも批判的に捉えられ,かつ体育同志会以外の研究者からの批判的な検討などもあって,生活体育を前進させることになる。

これが,1960年のことであり,3月の「生活体育とは何か」(丹下),「中間項」発言(3月の実践を見て座談会が行われたときに出て来た発言,『生活教育』5月号),そして夏の全国大会では,「子どもの喜びを高める技術の内容と方法」だったかへと向かう。

さらに,まだまだ批判と論の洗練化を経て,1963年に『体育技術と運動文化』(丹下,明治図書)によって,「国民運動文化の創造(体制の創造)」というテーゼが出される。

 

そこから,丹下逝去後の体育同志会は,技術指導の研究に向かいつつも,運動文化論らしく,運動文化の歴史,階級性,運動文化と人間形成など,単なる技術指導だけではなく,思想についても明らかにしていく。

そのなかで,中村さんが1971年に「学校体育は何を教える教科であるか」を発表して,「運動文化の発展と継承に関する科学を教える」ものと捉えるといい,「運動文化と人間の歴史,運動文化の技術の科学,運動文化の組織」の3領域を教えるという。

 

1976年にはスポーツ権の問題が,1977年には学力問題が,浮上し,運動文化・スポーツの構造から教科内容を設定し,一方で当時のスポーツ状況とその打開という観点から,体育の学力を考えるというスタンスをとった。

そこで,技術,組織,社会的統治能力が出てくる。

単に,技術,組織,社会といってもいい。

 

この3つが90年代の教科内容研究を経て,教育課程研究において「3ともモデル」という3つの実践課題領域となる。

「3ともモデル」は三位一体的に追求されるという場合,幼年でも例外ではないというところが一つの眼目だった。

ただ,当初の「技術,組織,社会」と「3ともモデル」は単純に対応しているわけではない。

それが,「社会」領域が,「意味を問い直す」となっているところだ。

 

しかし,これはこれで深められるべき課題だと思う。

そして,そのためには,スポーツと子どもが出会うときに生じるであろう二つの矛盾(久保さん)について,この矛盾を教師が回避するのではなく,矛盾に向かいあわせることそしてそれを乗り越える課題の設定が必要になるという話をした。

 

そして,具体的に,長野の小山さんのバレーの実践,宮城の矢部さんのバレーの実践などを紹介した。

そして,それらを通して,子どもたちに内面化されているスポーツに対する思い方の違いや,人間関係上の悩みなど,矛盾やズレをあぶり出して,それらのナラティヴを語り直していくことが実践の目標になるし,そのために教科内容研究,教材研究がされるであろうことを話した。

子どもの言葉にならずに内面化されているナラティヴをいかにあぶり出すのか,教師が代わりに語ってあげるのかが大切になるだろう。

 

その後,1日目は岡山の有信さんが,故阪田尚彦先生が残した「『できる,わかる』の再考」の解説をしてくれた。

もう少し整理が必要なのだが,体育同志会が「わかる,できる」と云ってきたものは,やや単純にいえば「制御-表現」であった。

しかし,もう少したとえば身体の使い方にまで目を向ける必要があるし,単純な「わかる,わからない」「できる,できない」の二分法ではない,その間に目を向ける必要について問うているような気がした。

 

ここらへんはやはりもう少し整理が必要だ。

夜は民宿という居酒屋で懇親会。

その後,ホテルに帰って話をして寝る。

 

 

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