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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

大阪支部ニュース1月号(№456)が届きました。

読書の記録 運動文化論 体育・スポーツ

こんにちは。石田智巳です。

 

26日の夜に支部ニュースが届きました。

内容がものすごく充実していたので,ここでいくつか紹介したいと思いました。

巻頭言から,研究局だより,そして編集後記まで貫かれているものがあると思いました。

今日は,そのことについて書きます。

では,どうぞ。

 

大阪支部ニュースはいつも充実しているが,この1月号はいつも以上に充実していた。

なんでだろう。

それを考えてみたい。

 

僕は,暮れに行われた冬大会の感想が読みたくて,各支部ニュースを心待ちにしている。

といっても,26日に郵送されてきた兵庫支部ニュース「2月号」には載っているが,まだまだこれからだろう。

この兵庫支部ニュースの報告も紹介したい。

最後のところに,岨×岨Jr.の会話とその後のことが載っているが,これがいい。

 

さて,大阪支部ニュースに戻るが,巻頭言は辻内さん。

肩書きは編集局長。

大阪・みのお大会が終わって,「世代交代を円滑に終えた私たちは,どのような活動をしていけばいいのでしょう」と問いかける。

この問いが,そして以下に書かれた答えが,この1月号に貫かれている。

「いい体育の授業がしたい」と思うならば,「自分の実践,あるいは実践構想を誰かに語り意見交換することです。また,他の人の実践報告に触れ,そこでの論議に加わること」が,一番の方法だという。

 

そして,冬大会の山本実践に触れて,「職人技だと感じました」という。

「実践を聞いて真似をするのではなく,実践者の思いや取り組みの様子,そして,その実践をもとに語られる集団論議での学び」が大切だ。

「みなさん,自分の実践を引き下げて,仲間で骨太の会話を深めませんか。いろいろな実践を聞けば何かが生まれてくる」と結ばれる。

 

実践したことと,実践記録に表れる内容,そしてその記録の語りにあるプロット(語り方)などは,書いてみないと見えてこないのであり,語られなかったことはなかったことと同じである。

だから,書いて自分の現場を自分で把握すること,そして自分の教育的な信念を書かれたものの中に見いだすこと,その信念を他者の信念と対峙させてみることなどが必要だ。

書いたことのない人は,自分の現場の表面しか自分で把握できていないことになる。

 

辻内さんは,最後の「日記」でもすごい観察眼と省察を発揮している。

先に紹介しておこう。

「観覧車乗る!」というテーマに,リアリティがある。

 

自閉の子どもが,「観覧車乗る!」といったが,彼女は観覧車が苦手。

でも,自分自身で「乗らなければならない」と思い込んでしまった彼女は,最後の最後に乗ることに。

教師たちも悩んだ末に乗せることにしたが,「結果は無残にも失敗に終わり,結局大きな声で暴れる彼女を複数名の教員で連行するように遊園地を後にした」。

バスに乗るまでは大暴れしていたが,バスが動き出した途端に「うそのように落ち着きを取り戻した」。

 

最後に以下のように結ばれる。

「彼女の深層心理はわからない。でも,今回のような出来事こそ自閉症の人たちが大なり小なり抱える『生きづらさ』の本質部分なのである」。

 

この紙の半分程度の中味には,事実の時間的経過と文脈,そして,判断して失敗したことが書かれている。そして,その一連の出来事から,「自閉症の彼女の心理がわからない」と書かれている。

この「わからなさ」,「理解されなさ」,「自分ではどうしようもないこと」こそが,自閉の人たちの抱える「生きづらさ」の本質部分だと実感を込めて,総括されて語られる。

 

この出来事を僕が見たとしても,全く意味づけられずにただ事実の羅列になるだけだろう。

乗らなくても,乗ると大騒ぎし,乗ったら乗ったで暴れる彼女に対して,教員は判断をしなければならない。

この小さな実践記録は,観覧車に載せるかどうかの判断と総括が書かれている。

他の人がこの遠足を書くならば,このような構成にはならなかっただろう。

遠足に行った子どもは彼女だけではないのだから。

ここに絞って書いたことが手柄であり,何度も書いたことのある人の「職人技」といえる。

 

少し書きすぎた。

巻頭言で実践を出し合うことが述べられて,次が実技例会である。

ここには「全国大会の学びをみんなで」と書かれており,フラッグフットボールを学習したことが書かれている。

課題は,パスをいつ入れるのかと,得点のゾーン制とゲイン制をどう考えるのかである。

細かい点は省略。

 

次が教員の忙しさについて東條さんが書いていて,その次が中河内のマット運動の例会。

その次に大津さんの健康教育の一コマが1頁に書かれている。

これもすごくいい。

事実をどう切り取ってどんな授業をやって,どうまとめるのかの構成が必要だ。

見事に1頁にまとめられている。

生きづらい子どもの様子,その子の親との会話で臨場感が出て,教師たちのその子と親への関わり方,そして,「みんどこ?」(みんなどこから?)の授業と,その後の懇談会の様子が語られる。

 

これも,辻内さんの記録と同じで,ある子どもとその親だけに焦点を当てている。

1頁にまとめるためだからだが,「みんどこ?」に持っていくことで,親とつながることができるとの確信(判断)があったのだろう。

 

この調子では終わらない。

次に,南河内例会の原発の学習,「みんどこ?」の授業をしてみませんか」と健康教育が続く。

内容は割愛。

黒井さんの国立競技場とエンブレムの問題。

読売新聞の記者の連載,『たのスポ』学習会の様子,そして研究局だより。

 

この研究局だよりで,「実践報告のススメ」が書かれている。

「もし,以前に実践報告をして『もう2度としない!」と思われている方がいらっしゃったら,それはあなたの責任ではありません。支部やブロックの責任です。もう一度,チャンスをもらえませんか?」。

実践記録を元にした研究会には,必ず作法が必要になるという戒めでもある。

 

そして,『日記』がきて,行事予定と,編集後記。

編集後記には,「たのスポよりもおもしろい支部ニュース」を目指してと書かれている。

「たのスポ」とニュースは性質が違うものの,確かにおもしろい。

読む価値ありですね。

 

 

 

 

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