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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

後藤正治著『マラソンランナー』を読む

ランニング 読書の記録

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,後藤正治さんの『マラソンランナー』(文春新書,2003)を読みます。

ちょっと前に読了していたのですが,なんとなく印象に残っていたので,敢えて書いてみることにしました。

では,どうぞ。

 

12月に早稲田に学会の用事で行ったときに,古本屋で重松清さんの『スポーツを「読む」』(集英社新書,2004)を税込み100円で買った。

その中で紹介されている一冊に,後藤さんの『マラソンランナー』があった。

重松さんの本を読んだので,この本を本屋とブックオフを探してみたがなかったので,amazonで1円+送料で買った。

 

この本は,前にも紹介したが,最初のランナーとして金栗四三(かなくりしそう)が選ばれる。

日本が1912年のストックホルムオリンピックに初参加したときの選手二人のうちの1人である。

そして,ベルリンオリンピック孫基禎(そんきじょん),僕は知らなかったがまだ占領下にあったときにボストンマラソンで優勝した田中茂樹,そして,君原健二瀬古利彦谷口浩美有森裕子高橋尚子の8人のランナーについて書かれている。

 

田中茂樹さんは知らなかったが,その他の人は名前を知っており,瀬古さんを含めて後の人は実際に走った姿も見ている(テレビで)。

これを書き始めてから,重松さんの『スポーツを「読む」』の後藤さんについて書かれている部分を読み返してみた。

そしたら,途端に書く気が失せてしまった。

というのも,そこに僕が感じたことも,それ以上のことも書かれていたからだ。

 

僕が書こうとしたのは,おそらくあとがきの次の文章に触れたからだ。

その部分には傍線が引っ張ってある。

「彼らの姿を通して,時代の中のマラソンランナー像をつかみたいと思ったからである。結果として,明治から現代にいある日本人の精神史に触れたようにも思っている」(219頁)。

そして,インタビューしたランナーたちには,東京オリンピック(1964)で3位に入賞した円谷幸吉さんのことを必ず聞いたという。

 

重松さんも同じことを書いている。

この精神史は,円谷さんのとらえ方の違いとなって表れているのだが,一方で先の戦争との向き合い方の違いであるともいえるだろう。

それは,日本支配下の韓国人という戦争の向き合い方,戦後の占領下にアメリカで優勝したという向き合い方,戦後の貧しい時代という向き合い方,高度経済成長による豊かな時代という戦争への遠さなどである。

スペクトラムだ。

個人のマラソンに対する考え方や性格などを越えた時代の変化を,うまく捉えていると思う。

 

瀬古さんは,バイオリズム的にはオリンピックの年が最も悪いということだ。

谷口さんは91年の東京世界陸上で優勝したこともあり,翌年のバルセロナオリンピックくではメダル候補だったものの,「こけちゃいました」。

その次に,女性の2人が来ているのだが,これも時代を反映していると言えるだろう。

 

失礼な言い方になるかもしれないが,増田明美さんを除くと,女性ランナーで有森さんや高橋さんのように自分の言葉でしゃべることのできる選手は少なかったのではないか。

有森さんは,その後プロランナーになる。

遡って君原さんは,八幡製鉄に勤務していた頃,レースで何日も職場を離れるのはアマチュアではないと思い,オリンピックはアマチュアの大会なのに,半プロのような自分が勝っても意味はないと思ったという。

 

お国のためにマラソンを走り,お国のために走ることができなくなったときに自死を選ばざるを得なかった円谷さん。

それに対して,プロとして自分のために走るという有森さんのナラティヴの違いは,やはり時代といっていいのだろうか。

彼女がドライなだけなのだろうか。

 

さらに,金栗さんは足袋を考案しただとか,瀬古さんは練習で42キロ走れたら本番でもそのタイムで走れただとか,その後の世代は高地トレーニングは当たり前だとか,練習についても時代の違いがある。

今は,GPS時計(スマホ)があるし,それをネットでつなぐことで練習の管理ができるというアドバンテージがある。

GPSもインターネットももともと軍事技術であったものが,一般の人でも利用が可能になった。

 

今,トレーニングをするのにGPS時計がなかったらかなりつらいと思う。

いつものコースであればだいたい1キロの位置はわかるが,レースで時計がなかったら不安で走ることはできないのだろう。

 

マラソンはかつては,特殊なレースであり,誰でも出られるわけではないし,トレーニングを積まないといけなく,そういった意味では,ボクシングに似たハングリーなスポーツと捉えられていた。

しかし,走るのが大好きな高橋さんは,靴さえあればいつでも走り出せるスポーツだと反転させる。

この明るさがそれまでの選手になかったと言えるだろう。

現に、多くの人がそうしている。

 

ちなみに僕は,有森さんにも,高橋さんにも声を掛けてもらったし,走りながらハイタッチもしたことがある。

有森さんはマラソンのレースでは必ず,フーだか,フォーだか,吠える。

高橋さんは,「頑張れ!おとやん」と声を掛けてくれた。

 

やっぱり,マラソンはいいね。

これからも,がんばろ。

 

 

 

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