体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

教育のつどい(大阪府)2

こんにちは。石田智巳です。

 

今日もまた大阪・高槻で行われた「教育のつどい」について書きます。

今日は,安武さんの次の報告の飛田さんの報告です。

では,どうぞ。

 

飛田さんの報告は,中学校3年生女子の実践であった。

なんと,「ハンマー投げ(ペットボトル投げ)の実践」と書かれている。

さらに,「スポーツの変遷から学ぶ」とも書かれている。

すごいね。

中学生がハンマー投げ

しかも,体育同志会の方らしくスポーツの変遷も学習する内容に入っている。

 

飛田さんは大阪の奈良よりの学校に勤められていて,やや困難な地域,学校であったという。

さらに3年生ということで,受験もあるため,不安や緊張感も感じられるという。

そして,「『思うままに身体を操作できない』ことや自己肯定感が低く,すでにあきらめている生徒もいる」と子どもたちを分析する。

 

ノートを見せてもらったが,学校に来ていない子どももいるようだった。

そういう子たちもダンスになるといきいきとリーダーシップを発揮するという。

「それ以降は,学校にも来なくなってしまった。髪の毛や服装の指導が,うっとうしいらしい」のだ。

これはエスノメソドロジーが明らかにしたように,大人が要求する仕方で大人になれというメッセージに対する若者の拒否だ。

 

さて,なぜハンマー投げなのか。

陸上競技が単純な力技から身体を使い,道具を使うことでダイナミックな協議に発展してきた歴史を理解させたい」のであり,それを教えるのにハンマー投げがいいという。

円盤投げは,彫刻にもあるように,古代オリンピックでも行われていたようだ。

しかし,ハンマー投げは,まさに杭を打つハンマーを力自慢たちが投げて競っていた遊びから昇格したスポーツである。

 

だから,ハンマーは今は砲丸にピアノ線をつけて手で持つ部分もついた競技用となっていて,あれでものを打つことはない。

何を隠そう,僕は大学の時にハンマー投げもしていたのだった。

全くたいしたことは無く,中四国のインカレで4位だった。

ただし,そこら辺の人よりは競技のことはわかる。

 

そしてなによりも,高校の時に中京大学に行って練習したこともあって,その時は鉄人室伏(親父さんの方)が投げるのを見たこともある。

あれはすごかった。

両肩にキャベツがついたような筋肉だった。

ロス五輪の2年後だ。

 

飛田さんのハンマーはすごく工夫がされていて,500mlのペットボトルの飲み口のところに木の棒をつけると,昔のハンマーになる。

この木の棒は赤と青があって,両者は長さが違う。

そして,その木の棒をとって,ロープと持ち手をつけると今のハンマーになる。

こうして,短いハンマー,長いハンマー,ロープのハンマーの3種類を用意した。

 

この3つは,飛田さんが用意した昔のハンマー投げの写真に対応している。

昔は,短いハンマー(金づち),それから長い金づち,今の競技用のハンマーと深化していっているわけで,これらを追体験させようというのだ。

 

ハンマーの形状に応じた投げ方が出てくることになる。

最初の短いハンマーでは,右利きの場合,右手が右耳の後ろから出てくるようにして投げる。

これはみんなできる。

次に,長いハンマーを同じように投げてみたところ,重くてうまく投げられないという声が多くあった。

飛田さんは,長ければ遠心力がつくからよく飛ぶのではないかと思っていたようだ。

 

しかし,実はまさに飛田さんのねらいでもあった,形状の違いが投げ方の違いを引き出してくるのだ。

だから,長くなれば,そして先が重くなったから,ハンマー投げのように,というか,ゴルフのスイングのようにして投げたのだろう。

投げるというのは,目的と対象の性質によって方法が変わる。

 

そして,いよいよロープのハンマーだ。

その前に,長い棒のハンマーは最初ペットボトルに砂を入れていたが,それだと飛びすぎて学校のフェンスを越えて,ある家の瓦を割ってしまったという。

そのため,ロープのハンマーでは中味は水になったという。

フェンス越えで50mぐらい飛んだという。

それはすごいことだ。

スキルが必要だし,ハンマー投げは難しいのだ。

 

2回転で投げると書いてある。

これには驚いたので,聞いてみたところ,2回転は僕らがやっていた投げ方の2回転ではなかった。

足を2歩前に出して投げるのであって,その意味では1回転するようにして投げる。

言葉で説明するのは難しいのだが。

 

ここでおもしろかったのは,それまでうまいとされていたテニス部やバレー部の子が,うまく投げられなくなってしまったということだ。

短いハンマーなどは,自分がこれまでやってきたスポーツ的な動作で処理すればよかったのだが,なまじ体が動きを覚えているために,違う動きが要求されることになっても,対応できないのだろう。

 

「この教材は,今まで体育を苦手としていた生徒に興味を持たせることでは,成果はあったと思う」。

「仲間とともに心底スポーツの楽しさを味わう。こんな時代だからこそ,体育の時間をそんな空間にしなければいけない」。

「と実践したにもかかわらず,見学・欠席は減ることはなく私の働きかけの不十分さが目立った実践であった」と結んでいる。

 

中3の女子という多感な時期をどう捉えるのかは僕にはわからない。

だから,この子たちのナラティヴを変えていくことはそう簡単ではないのだろう。

ダンスの時は,普段来ない子どもたちも来てやったという。

しかし,これではその子たちのナラティヴは変わることがあっても,みんなの,そして飛田さんのナラティヴは変化しない。

 

報告の終わりに,ある女の子のことが語られた。

その子はそれまでそんなに目立たない子で,よくできる兄と比較されて嫌な思いをしていたが,100m泳げるようになったり,読書感想文で賞を取ったりして,自分に自信がついてきたという。

「この子はこんなに自分のことよくしゃべるようになった」という発見もあった。

 

こういうことを聞くと,体育の授業でスポーツを教えることの意味は問い直されるべきだなあと思う。

安武さんの支援学級の子ども体育もそうだが,スポーツが要求する意味ややり方に子どもを従わせるだけでなく,子どものナラティヴがポジティブに変わるような中味や方法が採用される方がいい。

 

だから,スポーツ経験の豊富な子どもが,スランプに陥るという逆転現象のようなことが起こって,それから彼女たちがうまくなることで,みんなのナラティヴが変わるというのは一つのとっかかりになったのかもしれない。

あくまでも,「かもしれない」のですが。

 

 

 

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