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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 1.2月合併号 久保論考を読む3

こんにちは。石田智巳です。

 

先日,東京の『たのしい体育・スポーツ』の担当の方から,全国常任委員にあてて『たのスポ』の購読状況などのデータが届きました。

そうしたら,教え子が新規に『たのスポ』購読をしてくれていました。

なかなか,「読まない?」と面と向かって声をかけるのは難しいのですが,こうやってブログに書いて宣伝することで,とってくれたらいいなあと思っていました。

彼女で5人目ぐらいです。

正直に,うれしいです。

 

さて,今日もまた久保さんの論考を読みます。

いい加減に終わらさないといけないですね。

では,どうぞ。

 

教科研(教育科学研究会),身体と教育部会は,体育という教科の本質に「からだ」を位置づけた。

それは,教科の本質をレクリエーションやスポーツに求めるアメリカから輸入された戦後「新教育」に対する批判でもあったという。

その戦後「新教育」のなかで生まれて,生活体育論,のちの運動文化論を展開する体育同志会の考え方もまた批判の対象になった。

 

しかし,体育同志会のこの考え方へは、教科研だけが批判したのではなく,親しくつきあってきた日本生活教育連盟(かつてはコアカリキュラム連)からも批判があった。

和光の校長だった春田正治さんや教育学者の川合章さんらの批判や注文だ。

体育同志会を作った丹下保夫さんには,「身体」アレルギーのようなものがあったということなのだろう。

それはまさに久保さんが書くように,「身体を通して精神を鍛える」というその身体が想起されたのかもしれない。

 

佐々木賢太郎さんや城丸章夫さんが,戦争体験において「自分のからだ」を他人のそれように扱われたことに対する反発というか,反省から,「からだ」を自分のものにする教育を行おうと位置づけた。

それに対して,丹下さんは「からだ」に着目するとどうしても,他人がそこに作用して服従を求めることに気づいていて,あえて問題にしなかったということか。

 

ただ,丹下さんは健康や体力というレベルでとらえていたようだ。

これはまさに時代制約性といえる。

だって,1961年の佐々木-瀬畑論争のときに高部岩雄さんは,認識とは精神の領域で発展してきたというようなことを言っていたぐらいだ。

からだは客体でしかなかったのだ。

しかもそれは,見た目も性能も他者から評価されるものでしかなかった。

 

その後,久保さんは,草深直臣さんの身体形成の考え方を紹介し,「この文化の観点を抜きにしては,豊かな『からだ』像を描くことはできない」と述べる。

草深さんの身体形成というのは,作用-反作用という考え方であり,ものすごく単純化していえば,「スポーツをすれば身体が形成される」ということである。

バスケットボールをやればバスケット的な,水泳をやれば水泳的な,柔道をやれば柔道的な身体ができていく。

その意味では,身体形成の中には,いわゆる体力形成もまた含まれるだろう。

しかし,スポーツと切り離した「体力つくり」とは違う次元で語られるものだ。

 

久保さんがいうように,確かに「そっけない」ような感じがするが,結構重要。

というのは,「スポーツかからだか」というように二者択一的にとらえられてきた二つの項を,どちらも本質的なものと位置づけたわけだから。

ただ,これでは授業論のレベルで考えると何も云っていないに等しくなる。

問題はこの規定にあるではなく,相変わらず身体の問題=体力の問題になってしまうところにある。

 

それと「からだを作る」といった場合に,その成果を何らかの方法で測るとなると,たちまち体力が顔を出すところにある。

健康というのが,本人の問題ではなく,社会の中でのラベリングによって決まり,それを決めるのが健康診断で出される数値であるのと似ている。

両者とも,数値の悪さを体力不足や不健康という形でラベリングする。

そして,健康や体力を求めることが絶対的な善であるような指導がなされる。

 

体力はどこまで高めればよいという基準がなく,測れば必ず半分は体力不足になるのだから,どうやっても常に低体力者は出てくる。

 

問題は,授業論に落とすときにどういう理屈でからだを問題にするかだ。

だから,運動文化・スポーツの学習にからだをどう位置づけるのかが問われることになる。

「ソマティック」や「からだ気づき」,「体ほぐし」などは可能性としてはあるのだが,スポーツが位置付きにくい。

 

さて,これをどう考えるのかだけど,とりあえずここで自分なりの結論を出すのではなく,ひとまずこの1.2月合併号をよく読むことにしよう。

ぼんやりと考えていることはあるのですが。

 

 

 

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