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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』1.2月合併号№298 久保論考を読む2

『たのスポ』を読む 身体のこと 運動文化論

こんにちは。石田智巳です。

 

前回は,『たのスポ』1.2月合併号の久保論考を読もうと思って書き始めたのですが,戦前の「からだ」,あるいは「身体の教育」のところで澱んでいました。

今日は、一応続きになるのですが,久保さんの論考を読んで考えたことを書きます。

では,どうぞ。

 

『たのスポ』1.2月合併号は「自分のからだと向き合う」という特集だ。

繰り返しになるが,「からだ」はひらがなで書くところに意味がある。

久保さんの論考でも,鍵括弧つきで「からだ」と書かれている。

ひらがなで書くのは,民間研での慣習。

「体つくり運動」は学習指導要領の用語。

だから,漢字。

 

昔、漢字は真名といい、行政用語に使われた。

一方、ひらがなは、仮名といい,平場の言葉。

これを官と民の違いということもできる。

男と女の違いといってもいい。

 

ついでにいえば,久保さんもきちんとおさえてあるが,「体つくり運動」も「体力つくり」も行政が使う場合には,「つくり」がひらがなで,「づくり」ではない。

 

そうやって棲み分けている(わけではないだろうが)。

ちなみに何で民間研では「からだ」とひらがなで表記するのかは,僕もわからない。

佐々木賢太郎さんの最初の体育実践記録「ひろたかの記録」には,「火傷のあるからだ」というタイトルがある(『体育の子』1956所収)。

しかし,最初のガリ版ではなんと,「ひろたかの身体」となっているのだ。

おそらくだが,戦後の体育で「からだ」をいち早く問題とした一人が佐々木さんだったとしても,佐々木さんが「からだ」という用語を使い始めたわけではない(のかな?)。

 

佐々木さんは,戦争時代に自分の身体なのに自分のものではないという経験をして,戦後,「自分のからだを自分で守る」ことを問題にした。

城丸さんも,同じような経験をしたから「自分のからだ」を問題にしたのだろう。

 

表記に関しては,教科研の「からだづくり論」なのだろうが,よくわからない。

ややっ,久保さんの表記では「からだつくり論」となっている。

初期の教科研は,「からだづくり論」だったようだが・・・。

 

からだは,体,身体,軀,「空だ」と漢字を当てることができる。

最後は冗談だが。

さて,久保さんの論考は,昨日こだわってしまった戦前,戦中の「身体の教育」の意味の簡単な考察,そして,体育における「からだ」のとらえ方,とくに,デカルト的な精神と身体の関係論のようなとらえ方(坂元彦太郎のとらえ方)が,「体育における『からだ』の見かたについての貴重な『宿題』であった」という(9頁)。

 

そこから,教科研の「からだつくり論」と運動文化論における「からだ」のとらえ方など,戦後体育における「からだ」の位置づけを見ていく。

今ではあまり顧みられなくなったが,生活綴方を用いた教育は,社会-生活-子どものこころとからだ,を結びつけてとらえようとしてきた。

 

だから,久保さんは教科研の体育部会(身体と教育部会)の方針を次のようにいう。

「佐々木賢太郎の『からだ』を介して子どもの外面と内面,体育授業(学校)と生活(社会)を往還するダイナミズムをもった実践をモデルとして,『からだつくり論』を展開した」(9頁)。

1950年代にまさに教科研(勝田守一さん)が,そのように社会と教育をとらえようとした。

ただし,社会と教育の結びつきは,教科研だけではなく体育同志会もそうだった。

強調しておきたいのは,佐々木さんのとらえ方が構造主義的なそれだったということだ。

これは後述する。

 

しかし,教科研も,体育同志会も、とりわけ60年代から70年代になると,社会という方向性よりも,発達という方向性に移行していく。

50年代が生活教育の時代であるとするならば,60年代は科学の時代であり,科学的な内容をどの学年で教えるのかというようなカリキュラム編成へと移行する。

 

教科研・身体と教育部会は,佐々木賢太郎さんをモデルとしたからだづくり論から,からだを基底に起きつつも,60年代の科学の時代に対応するように,指導する内容としては体育文化,動作のつなぎと調合という考え方で取り組んでいった。

しかし,久保さんは,「これらの試みは体系的な成果を結ぶには至っていない」という総括をしている。

 

60年代に体育同志会は,運動文化論を提唱し,技術指導の考え方を,要素ではなく「単位」に求めたが,動作のつなぎと調合は同じような発想だったと思う。

しかし,体系的成果が体育同志会の場合,「体育叢書」に結実したとすれば,教科研の場合はそういう形では成果を結ぶには至らなかったということなのだろう。

ここら辺はぼくにはよくわからない。

 

でも,「子どもを『からだ』の主人公に育ていることに集約した表現」というのはよくわかるし,これは今でも大切だ。

佐々木さんの場合,戦争や貧困や差別などが子どものからだ(とこころ)に現れていることを問題とした。

だから,子どものからだは,個人やみんなで守るものであり,かつ,からだの問題は社会の問題でもあった。

ここら辺は,まさに大阪の健康教育の発想と同じ。

 

なるほど,久保さんを含めた宮城支部の面々が佐々木賢太郎さんに学んだように,上野山さんたちも佐々木さんに学んでいるといえるのだ。

ただし,スポーツをどう扱うのかという問題が入り込む分,体育授業の方が制約が大きく,健康教育の方が自由に発想できるともいえる。

佐々木さんも,体育と健康教育と,生活指導,とりわけからだに関わる指導を同時に行おうとするダイナミックな実践を展開した。

 

そこでは,からだのための体育教育であり,運動技術の学習であった。

いつものことだが,何だか中途半端な終わり方をしそうだ。

僕が書きたいことはもっとずっと先にあるのだが,この調子ではしばらく久保さんの論考と向き合うことになるかもしれない。

しかし,そういうわけにもいかないので,書きたいことの周辺から始めることになるかもしれません。

 

これも,書いてみないとわからないものなのです。

 

 

 

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