神谷拓著『運動部活動の教育学入門』(大修館書店)が出ました。
こんにちは。石田智巳です。
今日は,神谷くんの著作を読み始める第一歩として,いろいろ考えていることを書きたいと思います。
この本は,『体育科教育』誌の4年にわたる連載を本にしたものです。
だから,読むのに48回ぐらいかかってしまうのですが,さすがにそうもいきません。
僕の方でも,この本を読みながらいろいろ勉強したいと思っています。
なので,ときどき思い出したように,ブログに書いていきたいと思います。
では,どうぞ。
先に,『体育科教育』誌の連載という話を書いた。
連載を4年間続けるというのは相当すごいことだ。
いくら得意な分野だとはいえ,1ヶ月で次の締め切りが来るわけで,しかも学術性と読みやすさをもたせたうえで,1回ずつまとまった中味を書かないといけないのだ。
僕も連載をした(今月提出して終わり)が,書けるときはいいのだが,構想通りにいかないこともよくある。
しかも,自分のこだわりの部分は,読者が読み進まないだろうなあという思いと,絶対に書いておかないといけないという思いが交錯する。
結局書くんだけど,あの回を最後まで読んだ人はいないだろうなあと思って後悔したりする。
ちなみに,僕がまだ広島にいた頃に,『体育科教育』の45年記念になるのかわからないけど,ある号にCD-ROMが付属品としてついてきた。
そこには,Excelで1953年の創刊号から1998年までの全部の号の目次が載っている。
これはものすごく助かる品だ。
よく利用させてもらう。
どういう文脈かは忘れたが,中瀬古さんが広島女子大にいたときに,研究室でこのExcelデータを検索していたことを思い出す。
一番執筆が多いのは誰か?ということだが,誰だかわかる?
多分,中瀬古さんの予想は当たっていた。
答えは創刊号から書いている高田典衛(たかだのりえ)さん。
なんと,281セルがヒットした(これは今検索した)。
僕は全然時代錯誤も甚だしく,高橋健夫さんだと思った。
検索したら,134セルがヒットした(1969年から)。
1998年の時点で高橋さんが134では,逆転は不可能だったろう・・・。
高田さんの記録がすごいのは,45年を増刊号を入れずに単純計算すれば,45×12=540になる。
その半分以上の号に執筆しているということだ。
もちろん,コラムのようなものも,通信のようなものも含めてだが。
高田さんはどういう形かはわからないが,編集にも加わっていたのだろうね。
さて,4年で48回の連載はそれはそれで記録なのではないかと思う。
全くすごいことだ。
とりわけ,運動部活動という分野を専門にしながら,教科体育のこともやり,グループ学習にも一家言あるし,教科外体育についてもやっている。
『運動文化研究』を見ればわかるが,「スポーツ教育」を批判的に検討したり,制野さんの運動会の作り方の特徴(テーマ,意志)を抽出して見せたりしている。
冬大会では,運動会に関わって,運動会をドル平のように指導するにはというようなかなり挑発的な内容を報告したりもした。
その割に,体育同志会が近年小学校の先生方が増えたこともあり,部活動を議論する場を持たない。
つまり,彼の専門性が活かされる場が体育同志会にはない(少ない)にもかかわらず,昨年,一昨年の冬大会では中心になって仕切っていた。
ついでにいえば,今年彼はイクメンになるという。
さて,例によって長い枕があった。
毎日新聞の落合博さんが,昨年の12月17日にコラムでこの本を次のように紹介しているので取り上げておきたい。
『これまで(歴史)を踏まえ、これから(未来と展望)を考える上で「運動部活動の教育学入門」(大修館書店)は必読の書だ。宮城教育大准教授の神谷拓(かみやたく)さんが月刊誌「体育科教育」で今春まで4年間続けた連載をまとめた。明治期に起源を持ち、構造的な矛盾を抱えながら日本社会に根を張ってきた部活動について丁寧に論じている。
文部科学省が所管していた部活動は、10月に発足したスポーツ庁に移管された。1964年と同じように2020年に向けてエリートを選抜、養成する場として過熱する兆候がすでにある。神谷さんは「歴史に学ばなければならない。その上で新たな制度を作り上げてほしい」と話す。そこには教員の過重負担問題も含まれる。』
この本のサブタイトルは,「歴史とのダイアローグ」であり,歴史をふまえた議論をキチンとしましょうということを宣言しているのだ。
神谷くんは,これまでの部活動の議論が,歴史をふまえないモノローグになっていることを批判的に指摘する。
これは僕も全く同じことを思っている。
戦後,新しい教育は,それまでの古い教育である教師による一斉指導というか,教師中心の指導を反省した。
そして,各学校でカリキュラムを作ることが推奨された。
そして,子ども中心の指導(?)を行った。
この時は民主的な人間の形成が目指されたので,指導は忌避された。
子どもの興味関心を過度に重視して,指導をしないから,這い回る経験主義だとか,指導力の低下だとかいわれ,学力低下が指摘された。
そのため,50年代になると教育の中央集権体制(学習指導要領体制)に戻り,教える内容や時間などが決められるようになった。
ちょうど,高度経済成長に合わせるように,指導内容を増やし,教師が指導すれば子どもは成長するというような教育がなされた。
そしたら,新幹線教育,七五三教育と批判され,落ちこぼれ,落ちこぼしなどの問題を生んだ。
そういった詰め込みや管理は,70年代末には校内暴力という形で現れた。
そのため,70年代の終わりに改訂された指導要領では,「ゆとり」の時間が設けられ,89年改訂の指導要領では,関心意欲を前面に出して,さらに世紀をまたいで「ゆとり教育」となって,学力低下を招いた。
そして,今の指導要領が始まって3年たったら,すぐに「詰め込み教育」という批判をした。次の指導要領では,子どもの思考力が中心になるという。
このように歴史や足もとを見ずに,「これからの社会」論を展開するから,現場や歴史はなかったこととされる。
だから,現場は戸惑い,ようやく慣れてきたと思ったら,今の目標はよくないか,今の現場はさぼっているということになる。
教育の問題は,現場の問題でもあるが,政策の問題でもある。
現場と政策は構造主義的にとらえれば,前者は後者の影響を受けるわけであり,その意味では,この本では,政策の問題の歴史が記述されることになるだろう。
しかし,単に政策の問題の歴史が記述されたとしても,それで即問題解決がなされるわけではない。
そこに,教育学が必要になるのだ。
日本のスポーツ需要は「体育」としてなされたと批判したのは,玉木正之さんだった。
たしかに,戦争時代にスポーツを純粋に楽しむという発想はおそらくなかっただろう。
しかし,教育(体育)という論理を振りかざしたとしても,それが教育学的に見て果たしてどうなのか。
これが社会学だったりすると,教育学そのものが批判の対象になるかもしれない。
現場に対する詮無い批判が展開されるかもしれないが,それに立ち向かえるのは教育学なのである。
というようなことを考えながら,これから本書を読んでいくことにしたいと思います。
みなさんもぜひ買って読んでみてください。