体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

大晦日の日に一年を振り返る・・・

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は大晦日です。

1年間があっという間に過ぎてしまった感じです。

ゆっくり振り返るわけにはいきませんが,「思いつくまま気の向くままに」(「ゴマすり行進曲」byクレージー・キャッツ)振り返ってみたいと思います。

 

写真は一番搾りのキャンペーンであたった利きビールセット。

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では,どうぞ。

 

今年が終わるにあたり,今年の初めのブログの記事を読み返してみた。

なんと,馬鹿話が書かれていた。

とりあえず,毎日新聞の「アサッテくん」の連載が40年続いて終わったことに引っかけて話がはじまる。

そして,このブログも頑張って書こうといっていること,さらに『体育科教育』の連載が始まることを書いている。

その後,ボキャブラ天国のような思い違いについて長々と書いていた。

 

僕は今年ものすごい誓いを立てたわけでもなかった。

でも,『体育科教育』の連載をした。

これは1月に原稿を提出したら終わり。

ほぼできている。

実践編が少ないのがやや残念だが,1月号で宮城の矢部実践を,2月号で東京の石井ちゃんの実践を,3月号で大阪の上野山さんと大津さんの実践を取り上げている。

これらの実践はとても好きな実践だ。

 

80年代終わりの出原さんの『「みんながうまくなること」を教える体育』やその後の『体育実践に新しい風を』(ともに大修館)に書かれた実践と,上で取り上げた実践の作り方の違いを「鮮やかに」構造分析してみせることができるとよかった。

長野の小山さんの実践群や宮城の制野さんの実践群を取り上げて,違いを際立たせる試みも面白いと思った。

それは自分の課題としてやることにしよう。

 

この連載もブログを始めたことで機会を得たわけであるが,7月に菊池淨先生の文章を取り上げたことで,菊池先生から連絡をいただき,貴重な資料をいただいた。

また10月に連載で小林篤先生のことを取り上げたことがきっかけとなり,小林先生から本『斎藤喜博-その全仕事』(一莖書房,2013)を送っていただいたりもした。

小林先生の本は,その後,斎藤喜博さんの体育指導にフォーカスした本『斎藤喜博-その体育指導を中心に-』(一莖書房,2000)も注文し,そして,読んだ。

これは,ブログでも取り上げておきたいと思う。

とても丁寧な仕事をされているからだ。

 

ブログを書くためには,情報を得なければならない。

ボンヤリしていては毎日は書くことができない。

そのため,そして連載をしたことあわせて,本は大量に読んだ。

小林先生の『体育の授業分析』や佐藤学さんの「パンドラの箱を開く」だとか授業研究に関わる本,教育方法学会のハンドブックや質的研究の本,エスノメソドロジーやナラティヴ・アプローチの本を読みあさった。

 

もちろん,村上春樹さんの『職業としての小説家』や『ラオスにいったい何があるというのですか?』や,内田樹さんの本,竹田青嗣さんの本も読んだ。

『たのしい体育・スポーツ』もほぼ読んだし,『体育科教育』も実践をなるべく読むようにした。

その中で何がよかったのかをここに書くのは難しい。

でも後で書いてみたい。

 

先日読んだ重松清さんの『スポーツを「読む」』(集英社新書,2004)は,橋本陽介さんの『ナラトロジー入門』(水声社,2014)のスポーツ版というのか,結構気に入った。

ナラトロジーは,ロラン・バルトの『物語の構造分析』(みすず書房)などの一連の本へも向かわせてもらい,連載では,佐々木賢太郎さんの実践記録の構造分析なんぞもしてみた。

 

4月ぐらいには,竹内常一さんの実践記録論のような本『大人が子どもと出会うとき子どもが世界を立ちあげるとき』(桜井書店,2003)や『子どもの自分くずし,その後』(太郎次郎社,1988)などにもいろいろインスパイヤーされた。

ナラティヴ・アプローチを意識したのは,この頃だったかな。

 

実践記録に関しては,小川洋子河合隼雄『生きるとは,自分の物語をつくること』(新潮文庫,2011)もまたナラティヴ・アプローチとなっていることに気づいた。

小川さんの実家が金光教のお寺(?)であり,信者が来てお父さんが話をつないで一緒に困ってあげるという話もよかった。

河合隼雄さんの仕事が,ナラティヴ・セラピーであることも知ることができた。

 

その後,重松さんの影響で,村上龍さんの本『走れ!タカハシ』(講談社文庫,1989)を読んでみたが,読む本を間違えたようだ。

龍&春樹についてはどっかで書いてみたい。

 

水野和夫さんの『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書,2014)を読んだのは,ピケティの『21世紀の資本』を買ったけど読めなかったために代わりに読んだようなものだったが,これはよかった。

 

『たのしい体育・スポーツ』は,今年は11月号が素直によかったと思った。

特集は,「『できる』ことの価値を問い直す」だった。

やっぱり実践記録が中心の号が僕は好きみたいだ。

でも,体育同志会なんだから,「できる」のその先にあるものに目を向けたい。

 

大阪班の編集で,大阪はみのお大会で,「わかって,できて,学び合う」をスローガンにしたが,その先の子どもの観に迫る実践へと進みたい。

やはり冬大会で取り上げた山本敦子さんの実践の作り方を,大津さんや上野山さんの健康教育の実践づくりと絡めて分析してほしいところだ。

誰にいっているの?

 

夏の石井ちゃんの実践も面白かった。

あれは,『体育科教育』に載ったのかな。

みのお大会の提案集に載っている。

競争観に迫り変革していく実践であり,子どもたちの競争観がどういうふうに形成されるのかがよくわかるものだった。

 

北海道の沼倉さんの実践(4月号)は,みやぎ大会の提案集に載っていたものだが,あれもよかった。

奈良の古川さんの校内研修に関わった実践記録(5月号)もよかった。

もうすこし『たのスポ』を取り上げるべきなのだろうが,突然書きたいことが湧いてくることがあり,気づくと次の号が届くということになる。

それは『体育科教育』でも同じ。

 

『体育科教育』では,体育同志会ではない実践を読みたいのだが,もっと実践記録らしい実践記録を読みたいところだ。

解説的になっていて,記録風になっていないということ。

実践記録文化がないということなのだろう。

これは体育同志会でも,もっと突っ込んでやっていく必要がある。

 

ランニングのことも,身体のことも振り返っておきたいのですが,このぐらいにしておきます。

 

では,みなさん,よいお年をお迎えください。

来年もよろしくお願いします。

 

 

 

 

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