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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『体育科教育』1月号 森村論文を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,先日の続きになりますが,『体育科教育』1月号を読んで考えたことを書きます。

今日読むのは,森村和浩さんの論文「10分間のジョギング活動が子どもたちにもたらす大きな効用」です。

では,どうぞ。

 

先日,『体育科教育』1月号の巻末エッセイを読んだ。

そこには,仲島正教さんが勤めていた小学校で,子どもたちが毎朝運動場を10周走るという取り組みが行われていたことが書かれていた。

仲島さんも毎日走っていたら,嫌いだった長距離走が好きになっていった,そして毎朝走る中からランナーも誕生したという話だった。

学校でやらされる朝のジョギングであっても,教師から管理されるわけではないこの取り組みが走り好きを育てたという話であった。

 

これと少し似ていて,でも違うのが森村さんの書かれている内容だ。

森村さんは,生理学的な知識をもとに,生理学的な観点から近年の子どもの体力向上に取り組む学校の問題や課題に言及する。

 

話型としては以下の通り。

かつてに比べて子どもは運動しなくなったために,体力低下が起こっている。

そのため,学校では体力向上の取り組みが行われている。

しかし,学校が行う取り組みが効果的なのかどうかは疑わしい。

だから,ふさわしい取り組みとその期待される効果を提案する。

 

それがタイトルにある10分間のジョギング活動である。

非常にわかりやすい話型である。

生理学者が語るとこうなるのだろう。

体育科教育学者の体力派以外の人が語ると,子どもの意欲の問題,文化的内容の欠落,そもそも体力低下を体育授業の問題にすり替えることの問題,などなどをつい指摘してしまうだろう。

そもそも体力は何のために,そしてどこまで必要なのか,なんてずいぶん遡った話まですることもある。

 

1950年代初期の生活体育は,子どもが1日3~4時間も遊ぶことに着目して,その遊びを正しい遊び(レク,スポーツ)にするための指導を行おうとした。

このお節介な遊び教育論は,しかし体力向上のことはいわなかった。

なぜか?

まだ貧しい時代だったからね。

体力向上はもっと後。

 

では,どのぐらいの運動が必要だとされるのか。

WHOなどは,「中高強度以上の身体活動を1日に累計して60分以上」だという。

これは子どもの話だとしても,それだけやろうと思えばかなり大変だ。

組織に所属して活動している子どもならそのぐらいにはなるだろうが,そうでなければ,ほぼ無理だ。

体育授業を国語なみに増やさなければまず無理だ。

現実には,男子の50%未満,女子の70%程度が足りていないという。

 

さて,ここから10分間のジョギングの話である。

例に挙がった小学校では,毎朝,10分間のジョギング活動(体操を含む)を行っている。

仲島さんの例は,運動場を5周(1キロ)と距離を決めているが,こちらは時間を決めている。

決まっているのはそれだけで,ペースは自由だという。

 

その効果は?

この取り組みをやっている学校の子どもたちは,1日の身体運動の時間が平均62分で,やっていない子どもたちの46分を上回ったという。

しかも,62分には朝のジョギング活動は含まれていない。

さらに,いろいろあるのだが,研究データとしては,積極的な運動を推奨した学校の子どもは,制限された学校の子どもよりも,身体運動の量が増える傾向にあるという。

なるほど,やらされる体力づくりではなく,運動習慣作りのための身体運動(活動)というわけだ。

 

かつての体力つくりの指導要領(1970年代)の頃は,僕も小学生だったから見事な体力づくりがおこなわれていた。

縄跳び,鉄棒もブームのように行われていた。

部活動も盛んだった。

しかし,やらされる体力づくりで,体育嫌いが増えたともいう。

僕は調べたところ,体育嫌いが増えたという言説は見られるものの,その言説の裏付けとなるデータは見たことがなかった。

僕が見つけたのは,多くの体力づくりの推進校で,「取り組みの結果,子どもたちが意欲的に運動するようになった」というデータの裏付けのない曖昧な総括である。

 

僕らが子どもの頃は,後から見れば高度経済成長は終わっていたものの,イメージは右肩あがりであり,「血の汗流せ,涙をふくな」(巨人の星),「涙も汗も,若いファイトで」(アタック№1),「一球入魂」(一球さん),「なせばなる,なさねばならぬ何ごとも」(がんばれロボコン)というものだった。

だから,いきおい行間体育も,「目指せオリンピック」「頑張れ!頑張れ!」というものだった。

 

さて,森村さんは他にも,データを総合して,10分程度の運動が子どもの行動傾向に好ましい影響を及ぼすという。

最後に,「いつでも,どこでも,誰とでも,自由にカラダを動かすことが可能であることに気づかせるためにも短時間のジョギング(エクササイズ・ブレイク)を取り入れてみてはどうだろうか」と結ぶ。

 

さてさて,仲島さんの話をデータで裏付けしたような文章であった。

しかし,肝心なことが書かれていない。

それは,データは運動の時間の話になっているが,最初の小学校の例は,「ニコニコ顔」なのだ。

よく読めば,最初は「ゆっくりと」走り,軽快な音楽が流れると「勢いよく」走ると書かれている。

 

ここが重要なのかなと思うのだが,やはり発達刺激としての運動と考えるならば,10分間といえども,「頑張る」ことが必要なのか。

それとも,仲島さんのように,「普段着」「おしゃべり」「ゆっくり」「強制なし」でいいのか。

頑張ることを強制するのかな?

頑張らないことを強制するのはまずいが。

どうしても,右肩あがりが念頭におかれると,管理された活動になるような気がする。

これについてぜひ聞いてみたいところです。

 

 

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