体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

内田樹,高橋源一郎『僕たち日本の味方です』を読む。

こんにちは。石田智巳です。

 

11月に東京に行く新幹線の中で,『ぼくたち日本の味方です』(文春文庫,2015)を読みました。

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酷い目にあったと思ったのですが,読んでみると非常に面白かったです。

面白いと思った部分は沢山あるのですが,「青い山脈」の話を一つだけ書いてみたいと思います。

では,どうぞ。

 

『ぼくたち日本の味方です』は,奥付を見ると2015年11月10日初版発行となっている。

だから,新しく出たんだと思って,ネットで注文した。

その時によく考えればわかったのだが,いきなり文庫で出ることはないわけで,ということはこの本はすでに出ていた同名の本がもっと前に出ていたのだ。

 

新幹線では,「文庫版のためのまえがき」(内田さん)を読む。

すると,次のことが書かれている。

「本書は雑誌『SIGHT』に連載されていた高橋源一郎さんとの対談(略)を収録した『沈む日本を愛せますか?』(ロッキング・オン,2010年)の続編『どんどん沈む日本をそれでも愛せますか?』(ロッキング・オン,2012年)の文庫化です」。

 

「タイトルがオリジナルと違っていますから,『どんどん・・・』を前にお買いになった方は間違えて二度買いしないでくださいね」。

「とにかく二度買いだけはされないように,ちゃんと『まえがき』を読んでからレジに行ってくださいね」

だって。

 

ネットで注文するときも「レジへ進む」というボタンがあるが,「まえがき」は読めない。

ということで,すでに持っていました。

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しかし,運良くというのか,この本は読んでいませんでした。

 

この本は,2010年9月から2012年3月までの間に行われた対談,というか司会の渋谷陽一さんを入れた鼎談である。

尖閣諸島沖で中国漁船が衝突する事件,民主党菅直人さんが首相になったり,北朝鮮が韓国に向けて砲撃を行ったり,大震災,原発事故が起こり,大阪で維新の会が暴れたりした頃の話。

だから,2015年の11月に読むには古いかなと思ったが,全然そんなことはなく,面白く読めた。

 

さて,「青い山脈」についてである。

この石坂洋次郎さんの作品は,1947年に朝日新聞に連載されたものが本になった。

49年には原節子さんが主演の映画にもなった。

僕は,63年の吉永小百合さん主演,高橋英樹さんがガンちゃん役の映画を見た。

四品川(よしながわ)さんもいたけど,さゆりは基本的に美人が多い。

映画を見たときは,終戦直後,日本人が前向きに生きているというような感想しかもたなかった。

 

この「青い山脈」の話は本書に二度登場する。

一度目は,第2回に登場する。

高橋源一郎さんが,一つのジャンルは50年で終わるという話をしているときに出てくる。

高橋さんは戦後文学は1947年から始まるという。

太宰治『斜陽』と『青い山脈』が出される年だ。

 

近代文学は,1889年の二葉亭四迷の『浮雲』に始まるとされる。

これは,言文一致,内面の発見ということだろうか。

その50年後の1937年に,川端康成『雪国』が出る。

これで戦前・戦中文学は終わる。

その後,1947年に戦後文学がはじまる。

 

戦前は,「女には男の苦悩がわからない」という話型。

戦後は,「男は苦悩しているふりをしているけど,女がすごい」という話型。

50年たつと感覚が変わるということだ。

 

先日,うちの学部が50年迎えたということで,記念行事をやった。

OGの倉木麻衣さんも来られた。

うちの学部も学部改革をやるのだが,それでなくても,元々のコンセプトがずいぶん変わってきたようだ。

 

体育同志会も60年だ。

体育同志会の誕生した1955年は,保守合同の年であり,50数年たって,民主党に政権を明け渡した。

体育同志会は,あんまり変わらないようで,でも結構変わってきているのかな。

体育同志会というよりも,1963年の運動文化論(丹下『体育技術と運動文化』)あたりから考えると,大体,今が50年。

クールに技術指導研究をやるだけではないよね。

 

さて,「青い山脈」が再登場するのは,第3回のことだ。

青い山脈」は虚構だったという。

つまり,「終戦直後は日本はああいう感じだった」のではなく,「ああなりたかった」という先取りした小説だったという。

どういうことかというと,これから到来する民主主義の時代には,「みんな理想主義で,男女同権の思想の持ち主」,「やたらと女の子が性的な話をする」,「政治的な解放と,性的な解放を家庭でやらなきゃいけない」という思い込みがあった。

「今までの封建的なものといかに訣別すべきか」というセリフもあるという。

 

それを内田さんが,あの小説を「政治の話とセックスの話を家庭でオープンに論じなかったせいで日本は戦争に負けたんだという話になっている」とまとめる。

現実ではなく,当為の世界を描写したということだ。

現実の世界は『山びこ学校』か。

 

「身長160センチ,体重は53キロ」というセリフもウソだって。

「身長5尺何寸,体重何貫」というのが正しい時代の反映だって。

 

それで,これが面白いと思うのは,第二回の方で書かれている太宰さんも,石坂さんも明治末生まれというところ。

これは,内田さんの「昭和のエートス」に載っているけど,戦後日本は戦後の人間が作ったんじゃなくて,戦中派の人たちが作ったってこと。

戦争時代と戦後を地続きで生きてきた人が,まだ見ぬ民主国家日本を作ってきた。

だから,「民主主義ってこんなものか」という手探りだったのだろうし,一方で,戦前の封建的な部分も大いに残している。

 

戦後,文部省が『民主主義』という教科書を作って,数年間使われていたという。

僕も持っている。

今は,政治家が戦後民主主義批判をする時代だから変だよね。

安倍さんなんか,その戦後民主主義が浸透したから選ばれたんであって,それを批判したら,自分の存在や存在の価値を批判しているようなものだよね。

とにもかくにも,戦後民主主義は,あの映画がロールモデルだったともいえる。

 

なんてことを読んで思ったので書きました。

この本は,内田さんの口調がすごくやんちゃに思える本です。

 

 

 

 

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