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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

実践記録とナラティヴ・アプローチ-『体育科教育』1月号が出ました。

こんにちは。石田智巳です。

 

大学に行くと『体育科教育』1月号が届いていました。

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この中の僕の連載で,宮城の矢部英寿さんの実践記録を取り上げています。

今日は,その話です。

では,どうぞ。

 

『体育科教育』が2冊届いた。

これは,大修館書店から直接送られてくる。

研究室(共同研究室の僕のボックス)には,購読分が別に届く。

1月号を見てびっくり。

なんと,「生涯スポーツにつなぐ持久走・長距離走」だ。

『たのしい体育・スポーツ』12月号とコンセプトが同じ。

よかったね。

『たのスポ』の方が先に出て。

 

これについては,僕の考えを表明しておいたので,ここでは述べない。

また別に述べたいと思うが,どうも忙しくて,いろいろな文献が読めない。

というか,いろいろ読むものがあるので,手が回らない。

でも,是非読んで感想を述べてみたい。

あっ,『たのスポ』もだ。

 

さて,連載の原稿は,今回,「体育実践にナラティヴ・アプローチを読む」というタイトルで,宮城の矢部さんのバレーボールの実践を僕なりに解釈したものを載せた。

今回,届いたので,ざっと目を通してみてあることがわかった。

それは,『たのスポ』9月号に書いたことである。

 

この9月号の特集は,「体育における言葉の意味」であった。

そこに僕が論考を書いたのだが,その中の「人は物語を生きている」という項に,矢部実践のことを書いた。

今記録を見ると,9月号の原稿を僕は5月28日に提出している。

えらいもんだね。

こんなに早くに提出して。

 

でも,編集の方からの依頼で,書き換えた部分もあり,最終的には6月30日に提出をしている。

最後の部分で「新たな言語活動へ」という項で,ナラティヴ・セラピーやナラティヴ・ケアのことに触れたのだが,このとき,石井ちゃんに,「そこをもっと詳しく書いてくれ」といわれていた。

しかし,自分のなかでは直感的にそう書いたのであって,論をさらに展開できるほどのことは考えていなかった。

だから,少しだけ膨らませて書いて,お茶を濁した。

 

あのときは,ナラティヴ・アプローチについて,というか,矢部実践の読み方もまだ中途半端であったように思う。

それが,今回,まさに最初に書いた記録(『たのスポ』9月号)を書き直して,この『体育科教育』1月号に載せることができた。

奇貨とすることができて,誠に喜ばしいことだ。

 

どこがどう違うのかは,二つの文章を比べてほしい。

「そんな暇な人はいないよな」と思いながら云うのだが・・・。

 

ちなみに,『たのスポ』12月号の「読者の声」には,9月号を読んだ声が載っている。

そこには,二人の方が感想を寄せている。

二人とも僕の文章の前半部分について触れているが,後半部分,つまり「人は物語を生きている」の部分については触れられていない。

多分,意味がよくわからなかったのだと思う。

僕の問題提起は不発だったようだ(よくあることだが)。

 

でも,今読んでも,自分があのとき考え始めていたその問題意識は,「なかなかいい」と思う(と自画自賛する)。

以下にコピペしておく。

「私たちの体育実践においても,『スポーツが要求する競争や評価に迎合すべき』という,学校や教師が要求する支配的な物語に対して,そのオールターナティヴとなるような物語を立ちあげるという観点からの研究が必要になるように思います。それには子どもの物語をいかに読みとるのかという課題があります」(11頁)。

 

ちょっと言葉が足りていない感じがする。

そして,僕はもう覚えていなかったのだが,「これについては,紙幅が尽きたので,またの機会に述べたいと思います」と結んでいるのだ。

これは,常套句というか,「もうどうしようもないから,また今度」といっているわけで,でも,そんな機会があるかもわからないし,機会を得ても問題意識が変化していれば,違うことを書いてしまうだろう。

 

それが,偶然というのか,連載をしていたので必然というのか,続きを書いたことになる。

矢部実践の読み方は深まっていると思うし,そこから教訓も引き出している。

実は,『体育科教育』の来月号には,石井ちゃんの実践にナラティヴ・アプローチを読むことも行っている。

 

僕は,「教科内容」研究はやっぱり宮城の人たちの引き取り方がすっきり来るのだが,どうしてそうなのかがよくわからないでいた。

言葉にできないでいたということ。

それが,今なら何とか言葉にできると思うのだが,それは『体育科教育』1月号を読んでみてください。

 

「3ともモデル」について,特に「ともに意味を問い直す」ことを,ここ数年考えてきたが,どうやらこれが最もしっくりくるような気がしてきた。

具体的なことを書いていないので,全然伝わっていないかもしれないが。

 

2月に広島で行われる体育同志会の中国ブロック集会に呼ばれているのだが,このことを少し膨らませて話をしてみよう。

今から楽しみになってきたけど,準備の時間が要りますね。

これが問題。

 

 

 

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