「大貧民・大富豪」で社会を考える。2
こんにちは。石田智巳です。
今日は,「『大貧民・大富豪』で社会を考える。」の続きです。
というか,本当に「大富豪」の話です。
そのことは絶対に書きます。
写真は,娘が学校の帰りに拾ってきたカラスウリ。
なんかホカホカしている感じがします。
そこで,娘と犬のきゅう太くんの散歩へ行ってつるを確認。
では,どうぞ。
教職実践演習については,先日,少し書いたが,なかなかやっかいな授業だ。
というのは,ポートフォリオで自分の学びの履歴を残しておき,それをもとに4回生後期で研鑽計画を立てる。
自分の弱い点を少しでもよくするということだ。
めあて学習のようで,理念は美しい。
しかし,それだと,めあて学習のように,バラバラの学習にしかならない。
子どもと関わることを中心的な課題とした学生の場合,どこでそれをやるの?となる。
教科内容の知識をもっと身につける必要があると痛感した学生は,ひたすらこの時間に日本史や世界史の勉強をするということになるのか。
保体の授業実践力を上げたいけど,教場(体育館)が使えない。
などなど,授業でいろいろな学生がいるから,できることをやりたいが,個別の学生のニーズに応えることを考え始めるとそれは難しい。
だから,僕は個別のニーズには応えない計画を立てた。
オリエンテーションの時に,11回はこちらの示す案でいき,3回は学生の時間にして,準備の時間を1回という合意を取り付けた。
11回の内容は,自己紹介,私の教育実習物語,私の見た教師のすご技,事例研究など教育実習に関わる振り返りと交流が中心。
この教育実習物語は,要するにナラティヴ・アプローチだ。
残念な思いをした学生の物語を,ポジティヴに書き換えることを意図した。
その他,隙間時間には新聞記事を読んだりもした。
そして,学校の役割とは何かについても考えてみた。
そうすると教科指導も大切だけど,やっぱり「大人にする」ということで一致していく。
だから,18歳選挙権や政治教育という先日の話になる。
そこで,かねてよりやりたいと思っていた「大貧民・大富豪」を教材とした授業をやることにした。
この授業の下敷きにあるのは,2つの本だ。
竹田青嗣さんの『中学生からの哲学「超」入門』(ちくまプリマー新書,2009)
水野和夫さんの『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書,2014)
竹田さんの本の第三章(Ⅲ)は,「なぜルールがあるのか」というタイトルで,「大貧民ゲームで近代社会を体験する」となっている。
ここには,竹田さんが実際に小学校で社会の特別授業をやったときの話が載っていて,これを真似しようと思ったのだ。
竹田さんの話は本当にわかりやすい。
「中学生からの哲学」となっているが,中学生ではむずかしいね。
それでも,「近代社会」を体験するのだから,近代社会とは何かが問題となる。
という話をする前に,大貧民・大富豪ゲームをやってみた。
僕は子どもの頃にやったのだが,ルールはあまり覚えていない。
とにかく2(ジョーカー)が一番強くて,3が一番弱い。
カードが早くなくなった者が勝ち。
大富豪は大貧民から2枚強いカードをもらい,逆に弱いカードを2枚渡す。
富豪と貧民は1枚交換する,ということしか覚えていなかった。
だから,そのルールで最初しばらくやってみようと思ったのだが,途端に各テーブルからいろいろなオプショナルなルールが提案される。
僕はそれらをよくわかっていないので,各テーブルで合意のできるルールでやるように指示した。
1時間弱やったのだが,ほとんど富豪か大富豪だった人もいれば,ほとんど貧民か大貧民だった人もいる。
あるグループでは,「都落ち」なるルールを採用していた。
大富豪がトップで上がれないと大貧民に落ちるというルールで,最初から5回ぐらい大富豪だった学生が大貧民になった。
しかし,彼女は最後は大富豪に返り咲いた。
ゲームだけに,ルールをよく知っておかないと,いくらいいカードが来ても勝てない。
また,「革命」を採用したグループでは,最後に2を1枚だけ持ってあがる寸前だった富豪が大貧民に落ちるということもあった。
結局,僕が見たところ,先のほぼ大富豪だった学生もいたが,オプショナルなルール,特に革命や都落ちなどで,よりゲーム性を担保しているというか,身分が固定されないような工夫がされているように思った。
僕のねらいとしては,苛斂誅求にあえぐ大貧民の嫌な思いと,大富豪がそれでも転落するということを経験すればいいと思っていたが,まさにそんな結果になった。
13時からの授業だったので,14時までの50分程度ゲームをやった。
もし,これでゲームをやり続けて授業を終わったら詐欺だ。
だから,これで社会を考えることを残りの時間を使ってやってみた。
これについては,水野さんの本とも関わらせたのですが,長くなりそうなのでまた今度にします。