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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

11月全国常任委員会の様子

こんにちは。石田智巳です。

 

11月28日と29日は,新宿事務所で体育同志会の全国常任委員会が開催されたので,参加してきました。

今日はその時の議論の様子です。

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では,どうぞ。

 

全国常任委員会は,これで今期2回目になる。

8月の総会を経て年度が替わり,9月の常任委員会が1回目で今回が2回目。

11月の常任委員会はこれまでは「拡大」とされていて,関西近畿や東海などの各ブロックの代表者も参加していた。

しかし,今回は規模縮小というか,いつも通りのメンバーで行われた。

 

民間研は,どこも平均年齢が上がって若い人がなかなか入ってこないという同じような構造的問題を抱えているようだ。

だから,規模が小さくなって行くに相応しい常任委員会体制にする必要がある。

前に書いたことがあるが,常任のメンバーもどんどん新陳代謝をしていく方がいい。

常任委員を辞めたいとかいっているわけではないのだが,意外な人が力を発揮することも考えられるので,その機会を奪ってはいけないのだ。

でも,やはりあの人はいてほしいとかいう矛盾した考えもある。

 

僕はとりあえず,体育同志会で育ててもらったので,同じように体育同志会に対して自分なりにできることをするのだ。

以前,原発の問題に関して,内田樹さんがいっていたことでもっともだと思ったことがある。

政府がやるべきことは,①国土の保全,②国民の健康,③通貨の安定だということだ。

しかし,今の政府はカネがすべてだ。

 

そして問題なのは,尖閣諸島竹島で云々いっているけど,福島では小さくない土地がダメになっている。

そのことを見ていない。

しかも,国土だとか自然というのは先人から送られてきたものであって,それを次の世代が使えるようにして渡してやる,こういう贈与的に考えるべきものである。

しかし,目先の金のために,人間がハンドルできないような原発のリスクに目をつぶり,再稼働して国土荒廃を進めているというところに問題があるという。

快哉を叫んでしまった。

 

話が大げさになったのだが,だから僕は体育同志会から利益を得たので,僕が得た利益を僕なりに体育同志会に還元しようと思っているのだ。

そのやり方はいろいろだけどね。

 

さて,何でこんな話になったのかはよくわからなくなってくるのだが,とりあえず内容に入ろう。

今回の中心的な課題は,冬大会と『たのしい体育・スポーツ』についてだ。

先に,『たのスポ』の問題について取り扱った。

 

『たのスポ』問題とは,『たのスポ』の発行形態が,今後変わることだ。

それで,冬の全国委員会で提案をしなければならないのだ。

提案の内容はここで書くわけにはいかないので,決まったら報告することもあるかもしれない。

いずれにしても,夏のみのお大会の総会で決まったのは,月刊『たのスポ』から季刊『たのスポ』となるということだ。

 

若者の活字離れが進んでいるという。

電子書籍ということも考えなかったわけではない。

なにしろ,僕のこのブログは『たのスポ』を個人的に宣伝するために書いているのだ。

これまでに,3部ほど増やした(すくなー)。

購読するように強制はしない。

でも,読みたくなるようにしたいとは思う。

 

僕はときどき書くけど,力量をつけようと思ったら,まず何をしなければならないのかというと,手持ちの切れ味の悪いナイフを捨てるということだ。

それは,先輩に聞く,本を読むでもなんでもいいので,他人の身体に自分の頭を乗せるイメージで,最初は動きにくさから入る必要があるのだ。

そうして,徐々に他人の身体の操作に自分の頭が慣れてくるというのが,他者の知恵が自分の血肉となるということだ。

研究の本や論文だって,最初は何書いてあるかわからない(という動きにくさを感じる)けど,慣れてくると読める(=動きやすくなってくる)ようになるものだ。

 

しかも,ハウ・ツーを読むのではなく,実践者の思いや願いと,それを実現するための具体的な方法や結果が書かれている実践記録を読むことが必要だ。

先日,11月号で大阪の片本さんの実践を読んで,そのことをブログに書いたら,教え子の太郎くんが,「ブログを読んで,あの実践の読み方がわかった」ということを書いてくれた。

ただ実践記録を読むとなると,他人の身体に頭を乗せたら本当に動きにくくなるのであって,そのために少しでも動き安くすることが僕の仕事だと思うのだ。

そうやって読むことを繰り返してみれば,当然,自分の問題意識というフィルターに引っかかってきて,僕とは全然違う読み方ができるようになることを期待する。

それが,力量をつけるということなのだ。

 

フッサール哲学では,より多くの人が共通に認識できるように,間主観性を広げていくことが目指される。

体育同志会でも,様々な考え方の人たちが共生して,理解をしていかないといけないと思う。

そのためには,対話をしていく必要がある。

それは,ベテランと若手の落差を埋めたり,違う考え方の実践を理解しようとすることだ。

これはそうはいっても難しいと思う。

みんな自分のやってきたことが正しいと思っているから。

 

ついでにいえば,他の研究団体の人との間主観性を広げていくことが目指されるべきだと思う。

「べき」なのだが,これは難しい。

なにしろ,しゃべっている言葉が違うのだから。

しゃべっている言葉が違えば,理解するのも面倒になるだろうし。

そして,ヘゲモニー闘争のようになって,すれ違うのかもしれない。

 

あれ,『たのスポ』の話ではなくなってしまった。

冬大会の話もできないままでした。

また今度します。

 

 

 

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