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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『体育科教育』12月号 「ゆるスポーツ」を知っていますか?

読書の記録 運動文化論 体育・スポーツ

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,『体育科教育』12月号を読んでいて,面白い記事があったのでそれについての話です。

「世界ゆるスポーツ協会」というものがあるそうです。

では,どうぞ。

 

『体育科教育』12月号は,先日の記事にも書いたように,特集が「スポーツ庁の発足と学校体育」である。

これは大学で体育科教育法を教える者として,知っておかねばならないと思い,すべての記事ではないが目を通してみた。

しかし,これについては別の機会(があればそのとき)に書くことにしたい。

 

今日は,『体育科教育』の記事で言えば,後ろから二つ目の連載である「スポーツ『新・職人』賛歌」について書いてみる。

この連載は,ルポライターの岡邦行さんが書いており,タイトルが「スポーツ弱者がヒーローになれる“ゆるスポーツ”」(78-79頁)である。

 

「ゆるスポーツ」とは,おそらく「ゆるいスポーツ」のことなのだが,ここで紹介されている澤田智洋さんは,なんと「世界ゆるスポーツ協会」の代表なのだ。

澤田さんは若い方で1981年生まれだ。

ここら辺は,澤田さんが語ったことを岡さんが書いて,それをまた僕が書くといういつもの変な構造になっているのだが,面白いと思ったことを再掲したい。

 

たとえば,2020年東京オリ・パラが決まった2年前に,運動が苦手でスポーツが縁遠かった澤田さんは,「疎外感を覚えた」という。

周りを見ても,オリ・パラで盛り上がっている人は少ない。

「それまでスポーツ嫌いのぼく自身が『スポーツができないのはおかしい』と思っていたが,逆転の発想で『いや,今のスポーツの方がおかしいんじゃないか』と疑問を抱いた」という。

 

そしてスポーツについて勉強したら,スポーツは政治とメディアによって発展してきたことがわかった。

ある意味では,政治とメディアに支配されてきたともいえる。

プロスポーツは,金持ちが儲けのために所有するという側面もある。

 

それで,今のスポーツは,政治に利用されたり,マネーゲームになっていたり,汚職事件もあるというように,スポーツの負の側面に着目する。

そして,次のようにいう。

「そんな最悪の状況にあるのなら,自分たちで本来楽しいはずのスポーツをつくり出せばいいんじゃないか」

 

その後は読んでもらえばいいし,「世界ゆるスポーツ協会」でネット検索すると,以下のようなサイトに行けるので,詳細はそちらをみてほしい。

yurusports.com

 

それで,ここまで読んできた人は大体僕が何が言いたいのかはわかったと思う。

発想が似ているのだ。

厳密に言えば,あるところまで発想が似ている。

「何と?」

「体育同志会と」

あと,「楽しい体育」とも似ているかもしれない。

だって,この2つはもともと同じような発想「生活体育」で出発したわけだから。

 

体育同志会は,というか会を作った丹下保夫さんは,スポーツが多くの人を動かすその力に圧倒される。

それはそれだが,学校体育を構想したときに,子どもの生活に占めるスポーツを含めた遊びに着目し,遊びを学校で取り上げてこれを指導して,生活を豊かにするという発想をとった。

その後,スポーツ界に着目すると,いろいろおかしなことが起こっている。

だから,スポーツをより良くするために,国民運動文化と,その体制の創造を目指す。

 

一部のエリートだけではなくみんなが楽しめるためにどうすればいいのか,文化とそれを支える体制を作るという壮大な構想をした。

丹下さんの中では,本来は「楽しい」ものであるスポーツが,変な力が働いていてどうもみんながその楽しさを享受できていない。

だから,国民みんなのものにすると考える。

 

ただ,国民運動文化の創造とか,その体制の創造というのはイメージしにくいのだ。

この澤田さんの発想は,スポーツ弱者も障がい者も,健常者も,高齢者もみんなが楽しめるスポーツ=ゆるスポーツを作るというものだ。

ユニバーサル・スポーツと発想が似ている。

これは,明らかに今のスポーツとその体制とは別の,ゆるスポーツとその体制を作ったのだ。

 

しかし,体育同志会の体育授業構想は,近代スポーツから子どもを遠ざけるわけではない。

教材化はするし,ルール作りもするが,それによってそのスポーツの最も面白いところが味わえるようにするためである。

今では,それを軽々に文化創造とはいわない。

ただ教材化だとか指導法の工夫によって,みんなが「うまくなること」を保証するのだ。

60年代の教育内容の現代化をくぐってきたわけだし,うまくすることから目をそらさない。

 

ただし,うまくするだけにとどまらず,丹下さんの発想は受け継がれ,今のスポーツの発展の方向やスポーツを管理している統括団体などへは注文もつける。

だから,スポーツの発展とか,スポーツのあり方とか,スポーツ要求なども学習の内容になる。

この辺が,体育同志会の主張のわかりにくさとも言えるのだが,スポーツがスポーツ基本法に明記されているような権利であるならば,それを国や行政に要求するのは当然であり,そういった主体を育てることも視野に入れているのだ。

やや強い個人を視野に入れすぎなのかもしれないが。

 

澤田さんの記事を読むと,昔(1968年頃の)若者らしく政治的な行動で,いわば強面でスポーツ要求を満たそうとするのではなく,それこそネットなどを使って,フォトジェニックで,「ゆるく」仲間を作って広げようとしている。

これが,今の若者にマッチするのだろうか。

 

今の若者に,そしておじさん・おばさんにもマッチする教育研究運動というものを考えないといけないですね。

 

 

 

 

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