教育実習の話
こんにちは。石田智巳です。
今日は教育実習訪問にいってきたので,その時の様子です。
いろいろ面白かったのですが,帰ってきてからまた面白かったので報告します。
では,どうぞ。
写真は,平城京の跡。
うちから車で5分強のところに太極門(かつて子どもたちはチョンマゲと呼んでいた)がある。この写真は,朱雀門。
僕の住んでいるところは右京と左京の間にある朱雀。
今日は教育実習の訪問指導にいってきた。
指導といっても,授業を見て担当の先生や管理職の先生方にご挨拶とお礼をするという程度の話だ。
今は,指導なんておこがましいと思ってしまう。
学校に丸投げというわけではないが,担当の先生の方針のもと実習をさせてもらっているのだから。
さて,今日は4年生の算数の授業を見たのだが,それを見ながらいろいろ思い出していた。
授業の最初の問題は次のようだった。
ノート6冊と100円のジュースを買って全部で940円でした。
ノート1冊はいくらでしょう。
大人にすれば簡単な問題。
子どもにとっても簡単なのだろうね。
ほとんどの子どもができていたと思う。
というか,僕が見ることのできた範囲ではみんな解けていた。
そういえば,去年も同じような算数の問題があったような気がする。
教育実習で。
まあ,教科書が同じであれば,秋のこの時期に4年生が同じような内容をやっていても何の不思議はない。
授業を見ていて,思い出したのだが,昨年はもっとエキサイティングだったように思えてきた。
去年は,「普通の解き方をしない」子どもがいたのだ。
ノート1冊の値段を求めるためには,ノートからジュースを切り離し,ノート6冊の値段から1冊の値段を出すというのが,実習生の(多くの教師の)ねらう方向だ。
だから,その方向で多くの子どもが解いていたであろうし,実習生も指名した子どもがそのように解いたことで安心をして授業を進めた。
そして,子どもたちに次のことを訊いた。
「940円÷6は?」
しかし,「割り切れない」という意見が出て,先生もこの話を展開するのをやめた。
僕は,ここで「おもんないの」と思ってしまった。
去年は,「ええ,こんな解き方するの?」という子がいたのだ。
つまり,去年は,実習生が求める解き方のあとに,「ほかの方法で解いた人?」という問いが投げられたのだ。
そうしたら,確かに違うとき方をした児童がいた。
その時の解き方が,まさに940÷6だったと思う。
みんなはよくわからないなりにも,でもその彼の説明を聞いてなるほどと思ったのだ。
と,帰ってから,昨年のブログを見たら,何と昨年の今日(2014年10月22日)にそのことが書かれてあった。
書いたのはもちろん僕。
デジャヴ。
なので,そちらを見てほしいのだが(算数の授業を見ました ),とにかく,その子は,次の問題になって頭を抱えて唸っていた。
「ほかの解き方ができない・・・」
だって。
余りの処理などもあるから,940円÷6というのは,問いとしてはよくないかもしれないが,この解き方は,6人いるとして一人が払う値段を求めて,そこからジュースの値段を引いた数がノート1冊の値段という解き方なのだ。
いやあ,「解き方にもいろいろある」ということがないと学びにならない。
みんなができているやり方で,みんなができていたら,学びはない。
そこにいかに学びを持ってくるのかがポイントだけど,教育実習ではまずは指導案通りに授業をやってみることが大切。
今後,考えてみてほしい。
算数も1950年代までは,生活教育の中におかれたりした。
遠足に行くにあたって,いろいろな計算が必要になる。
切符を買ったり,おやつを買いに行ったり。
そのときに,足し算も割り算もかけ算も同時に教える。
認識の発達とは関係ないのだ。
関係あるのは,生活との密着度だ。
しかし,算数の体系にのっとらないということで批判を浴びた。
もう一つの批判は,買い物ができる状況にない子どもたち(田舎,貧困)がいたことによる。
生活綴方は,それでも算数を生活から学ばせたけどね。
結局,算数の体系の重要性が生活に勝って,系統的な指導が行われるようになった。
それでも,抽象的な授業をやっていては,子どもはわからなくなる。
全員で教室から音楽の準備室に移動して,息苦しさを感じさせて,密度の濃さを教える授業があったが,その生活的な指導というのも重要だ。
4年生でしょ。
娘にときどき買い忘れたにんじんを買ってきてもらうことがある。
そのときに,消費税のことをいう。
だから,100円でも108円必要だ。
よく見ると税込み価格があるので,それを教える。
この算数の問題は税込み価格ではないのだね。
そんな生活がどこにあるの?
なんて思うのは,物理で空気抵抗を入れないのはおかしいというようなものか。
屁理屈かもしれませんね。