体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

「美しいリレー」の授業で「美しくない」ことが。

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,初等体育という授業でリレーの教材研究をやった話です。

これまでのやり方を変えたのですが,途中でアクシデントに遭いました。

痛すぎるアクシデントでした。

では,どうぞ。

 

最近,リレーの授業では行き詰まりを感じていた。

それは,成果が出ないからだ。

かつて,第一体育館という正門近くにある体育館で初等体育を行っていた。

古いこともあるが立地がよいので,体育館を壊した後は図書館になることになった。

 

この第一体育館は,アリーナが広かったため,曲線ではあるがゆったりとしたカーブの50mを走路としてとることができた。

ゆったりとしたというのは,円弧の大きさがそうであるし,ゴールしてから壁の距離も充分な距離をとることができたのだ。

 

そこでは,GOマーク鬼ごっこから,バトンパスの練習をやって,50mを二人で全力でつなぐリレーをやると,比較多くのペアが二人の50mの平均記録を超えることができた。

しかし,第一体育館がなくなるにあたって,第二体育館の場所のところに新たに体育館を建てて,二つのアリーナを一つの建物に入れた。

ここには,卓球場も,武道場も,トレーニング施設もすべてある。

 

しかし,第一アリーナと比べると狭くなった。

そのため,50m走はややカーブがきつくなり,ゴールと壁の距離も近くなった。

それだけではないのかもしれないが,二人のリレーでタイムを縮めるのは難しくなった。

 

でも,考えてみれば,二人で50mということは,2走目の人の加速距離を10mとるにしても,一人30mずつしか走らない。

これでは,一走の人は,自分のピークより前でバトンパスをして,二走の人もピークよりも前でゴールすることになる。

その意味では,できれば直線70m+安全な距離ぐらいの走路はほしい。

もちろん外で。

 

そんなこともあったし,前期には光電管のシグナルが手元の機器に届かないというアクシデントもあった。

それで,前期はタイムを計るのをやめた。

そして,宮城の制野俊弘さんが紹介していた,「美しいリレー」を試してみようと思ってやってみた。

しかし,浅い教材解釈であり,何よりも,成果をタイムの出来高に求めようとしたために,中途半端に終わった。

 

制野さんの「美しいリレー」というのは,『たのしい体育・スポーツ』2013年11月号のタイトル「美しいリレーとは何か」に載っている。

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制野さんは,2004年に出た『体育科教育』誌の50周年記念増刊号に,「リレーの実践」を載せている。

このときはどうだったかは知らないが,かつては懸賞付きの論文であった。

ここには,制野さんのリレー実践のほか,瀬見さん(奈良),大津さん(大阪),江原さん(兵庫)のメンバーの論文(実践記録)も載っている。

7分の4だから,体育同志会の実践(記録)の優位性はすごいと思う。

しかも,「ゆとり教育」時代において。

 

このときの制野さんの実践は,二人の実践でまさに「いつ,どこで,どのように」バトンパスをするのかに焦点を当てた科学的なリレー実践であった。

それが,2007年の冬大会では,「競争性とカーニバル性」という,リレーの持つ「競技性」と「お祭り性」の両方を追求するリレーを試みた。

これはなかなかインパクトがあった。

子どもの勝ちたいという気持ちと,楽しく参加したいという気持ちを,競技の持つルールと,「リレーカーニバル」のようなシーズン開幕のお祭りの二つの側面に照らして,この二つがぶつかることで,これらを止揚することをねらった実践であった。

これは,生活課題(子ども研究)と文化研究(教科内容研究)を志向したレベルの高い実践研究であった。

 

しかし,制野さんの模索は続き,文化の側の模索から,競技の中に存在する人間の美や内面的な感覚へ進む。

制野さんの実践は,基本的に先行実践に支えられて存在する。

この論文も丁寧に先行実践が紹介され,実践のプランが示されている。

 

さて,前回僕の授業では結局,中途半端になったと述べた。

それは,制野さんが紹介する「併走リレー」のような形でやろうとしたものの,GOマーク鬼ごっこをやり,そこからバトンパスで,後ろの走者の走ってくる音を聞きながら,前の走者が手を出してパスする形式にしたからだ。

GOマーク鬼ごっこがいけないのではなく,全力でやって,タイムを伸ばすことを狙ったため,形式と内容,ねらいと中味が一致しなかったのだ。

 

そこで,今回は,全力でなくてもいいので,気持ちよく走って感覚を研ぎ澄ませながらパスできる助走距離とスピードを探すことをやった。

全力ではないので,これまでのように足が痛いだとか弱音を吐くものもいなかった。

それでも,まだぎりぎりの点で渡そうとする物もいたが,だいたいいい感じに仕上がってきた。

 

そこで,タイムを計らずに,それぞれのグループでバトンパスを披露して,みんなで採点することにした。

最初は僕が一走で,女子学生が二走のペアから。

スタートして,徐々に加速をして,「GO」と声をかけて,女子学生が走り出す。

そのとき,左ハムストリングスが「ビクン」と波打った。

 「やった・・・」

 

肉離れだった。

こういうときに,女子学生たちは心配してくれるけど,男子学生は大笑いする。

まあ笑えるのもわかる。

かなり緊張して臨むようにいったし。

 

しかし,この肉離れは痛い。

肉体的な痛さもだが,精神的な痛さが上回る。

この日は木曜日。

僕は土曜日に30キロ走をやろうとしていたのだ。

そのために,禁酒をして,さらに水曜日はそれなりに強度の強いトレーニングをしていたのだ。

だからこそ,木曜日は足を休めないといけなかったのに。

マラソンはマラソン,授業は授業と頭を切り換えていたが,身体は一つで切り換えられない。

 

マラソンの計画が大きく狂ってしまいました。

リレー実践の成果については,また分析してみます。

話も中途半端になってしまいました。

 

 

 

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