体育同志会 みのお大会最終日
こんにちは。石田智巳です。
今日は,体育同志会のみのお大会の最終日の様子です。
では,どうぞ。
朝は5時過ぎに起きてパソコンに向かう。
実行委員会から,朝一で「研究のまとめ」を送ってほしいといわれていた。
そういわれても,いつまとめをすればいいのか,という問題もある。
飲んでも酔わない体質だったら,大レクの後に書けば理論上はよいのだが,そうもいかない。
それで,枠組みだけは2日目の午前中に作っておいた。
注目の実践のことも載せようと思ったが,注目した実践一覧を作って載せておいた。
それを実行委員の部屋に持って行こうとしたら,朝はまだ眠っていたようだ。
そのため,6時半からのランニング・クラブに向かう。
昨日は,滝まで行って,その先のとんでもない道を走ったので,記憶になかったが,滝までの道もそれなりの坂道だった。
気持ちよく,行って帰ってきた。
人と一緒に走れば,ゆっくりと走れる。
これで10キロぐらいおしゃべりしながら走るのがいいのだろう。
帰ってシャワーを浴びて,食事。
ちょうど,宮城の矢部夫妻と,渡辺さんと一緒になったので,おしゃべりしながら食べる。
3ともモデル,生活体育,実践を物語ることなど朝から充実した話ができた。
部屋に戻って,教え子のASKAが来ているというので,低学年分科会の会場に少しだけ顔を出して挨拶。
元気そうだったけど,ゆっくり話ができなかった。
僕はまた部屋に戻って,「研究のまとめ」の原稿を書く。
そして,閉会行事。
いつ僕の出番なのかわからずにいたが,司会のアサヒさんがいきなり振ってきた。
そこで,PC画面を見ながら,やや棒読み気味にまとめをした。
そして,大会を振り返ったり,子ども学校の子どもたちを迎えた。
新入会員の紹介。
実行委員長の話,来年の熊本へ体育同志会の旗を渡して,歌を歌って終了。
やっぱり大会というものは,始まったら一気に終わりに向かう。
そして,終わってしまった。
実行委員会のみなさん。
本当にありがとうございました。
お疲れでしょうから,ゆっくり休んでください。
みのお大会 研究のまとめ(ロング・バージョン)
2015年体育同志会60周年記念みのお大会がまもなく終わろうとしています。これから研究のまとめをしたいと思います。
まずは,素晴らしい大会を準備して下さったみのお大会実行委員会のみなさんにお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。
さて,2015年は体育同志会60周年記念の年であり,戦後70年の年であります。体育同志会が生まれた1955年(昭和30年)というのは,戦争が終わって貧しくなった第一の戦後と,豊かになる第二の戦後を分ける年になります。経済的には豊かになったものの,教育政策的には反動化がすすみ,教師や子ども,そして地域住民の自治的で民主的な教育という壮大な実験を捨て,国家主導の教育へと戻したころに体育同志会は生まれたわけです。
一日目の全体会のテーマを,私は「自主・自立・民主主義を守る」であったように受け取りました。
大会の基調提案では,テスト対策的教育,教員への管理統制という,およそ子どもたちの未来のため,教員の働きがいのためとはほど遠い,数値による管理,給料の格差,ものをいわぬ教員をつくるという政策で,教師も子どもも分断された状況が描かれました。
それは大阪だけの状況ではないと思います。
しかし,だからこそ,研究会に結集して学びあい,圧政に対しても飲み込まれることなく,自分たちがいいというやり方を貫き,民主主義を守ろうというメッセージが投げられました。
川渕さんは,子どもたちがともに「わかって,できて,学び合い」,子どもたちが生き生きと輝く体育/健康教育のじっせんを作り出しましょう(WDM)」と述べました。
子どもたちを教育の主体にするために,教師が「民主的な主体者形成を目指し続けること」そして,「研究し,学び高めはげましあえる場の存在を」つくり求めることを訴えました。
記念講演をお願いした森川貞夫さんには,「体育・スポーツのこれまでとこれから」と題した講演をしていただきました。
森川さんは,戦前より見られた,他の教師よりも一段待遇が低く,規律訓練を担い,下士官タイプの教師像,体罰・暴力と親和性の強い体育教師,あるいは教師像がいかにして生まれたのかを解き明かします。
そして,戦前に戦争を唱道した体育/スポーツ関係者が戦後も軍国主義を民主主義に看板を変えて旗を振り続けた問題,つまり,体育・スポーツの民主化の不徹底さ,技術向上と組織の民主主義もまた不徹底であった問題をあげました。
民主主義をないがしろにする勢力にも,民主的に立ち向かわなければならないというジレンマがありますが,これに対しては私たちは当事者意識を持って,我がこととして受け止める必要があります。安保法案の反対には,若い人も声を上げています。
みのお大会では,「悪政からの反転を展望できる大会にする」ことを掲げました。
私たちは,政治的な動きに敏感になることもですが,まずは自分が教育の主体者として,子どもを主体者にする教育の模索が必要になります。
それには,協同で研究をすることだと思います。
次に,研究の内容についてです。
今回,みのお大会実行委員会では,議論を重ねて,なるべく難しくないように,「WDM」というわかりやすいスローガンを掲げました。
今回の大会提案集に載った実践のうち注目の実践を見てみたいと思います。
まずは,藤江直樹実践(兵庫・小学校中学年分科会)。
マット運動の教材を,体をゆっくりコントロールする表現の拡大と自由の拡大表現という独特の観点から捉え直しています。その教材解釈をもとに、ある子どもと周りの関係の変容に着目した実践記録でした。教師が教えようとしたことが子どもの教え合いの中から内面をくぐり抜けた子どもの表現となって出てきて,非常にいいものとなっていました。
次に,堀江なつ子実践(山梨・中学校分科会)。
この実践は,これまでの伝統やしつけを教える、権威主義や精神論の剣道の授業観を批判的に検討しています。そして,体育同志会のこれまでの実践記録から,剣道教材の問い直しを行い、こころとからだが解放されることのない棒人間状態の中3女子に対して、「制約だらけの剣道の所作を小笠原流礼法や古武術による身体操作方法によってその意味を解明する」ことを学習内容として実践を展開しています。剣道という文化の本質(身体操作に関わる秘伝)に生徒が触れる(学ぶ)ことが子どもに跳ね返って子どもを変えて(解放して)いく。文化の学び(技術、知識、観)こそがこころとからだを解放し、子どもを変える力になることを教えてくれています。
この実践では,丁寧に体育同志会の先行する実践記録にあたり,そこから自分なりの構想を立てている点を学びたいと思いました。
最後に,大津紀子実践(健康教育、小4年)「原発授業を参観日に」です。
原発問題を「告発型授業」ではなく、科学的な内容をベースに置きながら、子どもー保護者(3世代)との対話を組織して、子どもや保護者のリアルな声を拾い、学校という枠にとどまらず子どもの学びを知識→観→行動へと広げかつ深める実践を展開しました。文化の学びと子どもをつなぐ実践としては非常にすぐれた実践記録でした。
今回の実践のなかでは,一番まとまった,迫力のある実践記録でした。この健康教育実践をぜひ読んで味わうとともに,何がすごいのか,どこに引きつけられるのかを分析してみてほしいと思います。
他にも,幼年で荒馬を扱った齋賢太郎実践,競争を教科内容として子どもたちの競争観に迫った石井崇史実践,表現にこだわった岨賢二実践なども面白い実践として一定の評価がありました。
さて,最初のテーマに戻ります。
「わかって,できて,学び合う」というのは,体育同志会の研究内容をわかりやすく表現しています。
体育同志会の実践的な理論は確かに難しく,簡単には理解されえないものかもしれません。
しかし,スローガンを優しくするのではなく,実践の仕組みや成り立ちそのものをわかりやすく説明する努力が我々には求められているように思います。
それは,もちろん全国研究局の仕事でもあります。
とりわけ,子どもと教材となるスポーツ・健康問題を並べて,これをいかに統一するのか課題だと思います。
この課題に対して,その紐帯の役割を果たすのが教科内容であると思っています。
「わかる,できる」を越えた学び,教え・学ぶその先にある育てるものが設定される必要があり,その窓として教科内容があるということです。
ここは難しい課題かもしれません。
しかし,今回でいえば,大津実践,石井実践,堀江実践などはその可能性を秘めた実践となりました。
最後になりますが,今回の藤江実践,堀江実践のように,若い先生のチャレンジングな実践は,これまでの私たちの実践観や実践を語る枠組みとはやや違うものになっているかもしれません。
しかし,体育同志会の研究枠組みを広げていくためには,こういう実践と向き合い,評価していく必要があるように思います。
それがなければ,同志会の実践は同志会の内側のみにとどまり,学校づくりもむずかしくなるでしょう。
問われるのは,私たちの構えです。
暑い3日間もまもなく終わりです。
このみのおでの研究や議論をもとに,さらに実践研究を深め,来年はまた熊本の地に集まりたいと思います。3日間お疲れさまでした。
以上,研究のまとめです。