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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

体育同志会の実践研究についての覚え書き3-生活体育論と運動文化論

こんにちは。石田智巳です。

 

「覚え書き2」では,体育同志会が科学を志向する経緯を書いてみました。

単純に戦前の教育への反省ではなく,むしろ1950年代の文部省の教育支配に対して,対抗軸を見出すために,教えるべき内容を含めた教育課程の自主編成の成果を出そうとしたということです。

今日はその続きになるのですが,体育同志会は,生活体育論の発展の上に運動文化論があるのかということです。

では,どうぞ。

 

ここでいいたいのは,体育同志会は生活体育から出発して,運動文化論へ進んだという定説があるのだが,この関係をどう見るのかということだ。

もともと,生活体育論→中間項理論→運動文化論という見方もあった。

が,今では,生活体育論から運動文化論へという流れがあるといわれている。

しかし,違う見方もできるような気がする。

 

くどいようだが,繰り返し見ておきたい。

体育同志会は生活体育=アメリカからの輸入体育を,日本の地域の現実に合わせて新たにつくっていくという時期があった。

 

しかし,旧い生活教育は批判され,コア・カリキュラム連盟も日本生活教育連盟(日生連)へと看板を掛け替えた。

他団体のことは,詳しく知らないのでいい加減なことは書けない。

しかし,体育同志会についていえば,もともと技術指導の研究会として出発したわけではない。

生活体育と地続きで出発した。

それに対して,教育科学研究会(教科研)の身体と教育部会から批判を受けた。

 

写真は,則さんの研究室の本棚(本文となんの関係もありません)。

 

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この教科研の批判は,技術指導をしていないことからくる批判ではなく,アメリカ的「生活体育」に対する,日本的「生活体育」からの批判であった。

教科研・身体と教育部会が「生活体育論」だという説を発表したら,珍説だと笑われるだろうが,時代が時代だけにある意味ではそうとも言える。

 

身体と教育部会(その前身)は,佐々木賢太郎さんの体育実践に学んでいたわけだし。

佐々木さんの『体育の子』は,副題が「生活体育を目指して」であった。

教科研の批判は,生活綴方を用いて明らかにされた,子どものリアルな生活を背後に持つ「からだ」をつくるという立場からの批判であった。

 

しかし,教科書のない体育はいざ知らず,教科研も生活綴方の研究上の位置づけを変えていく。

その決定打は,教科研の常任委員会名で出された「研究活動の計画をどのようにして作るか」(『教育』1961年8月号)であろう。

 

「戦後の教育史上の事実としては,この子どもへの着目から,必然的に教材の検討の必要性を感じるようになる(中略)。しかし,その方向への道を自らふさいでいる考えもあるのではないか。このことは,子どもと彼が習得すべき教材の関連という問題の検討を要求する」。

この「教材というものが,現実には,各教科の教材であることは,あまり明確に捉えられていなかった」。

 

さて,僕の「覚え書き2」の最後の方に以下のように書いた。

「(1958年の)この学習指導要領は,教科カリキュラムとなった」。

 

「この文部省主導の支配的な教育に対抗するためには,真の科学を背景にした教育研究,授業研究が必要になる。

そして,教育内容の現代化の風のもと,水道方式などに学び,各教科で民主的,科学的な教育内容の自主編成を行っていく。

体育同志会も,生活体育論から運動文化論へと発展するその原動力は,『科学への志向』であり,教育内容の現代化運動の風をとらえて,そして,水道方式に学ぶのであった。」

 

だから,教科研もまた,1958年の指導要領の改訂に際して,教科・教材を正面に据える必要があったのだろう。

 

体育同志会が,未だ「生活体育」の立場に立ちつつも,今日の技術指導の考え方の原型を提出したのは,1960年頃のこと。

また,「批判理論」的な発想に立ち,運動文化論を展開し始めるのは,1963年ぐらいのこと。

このときに,川口さん,中村さん,伊藤さんなどの後の体育同志会の指導的立場の人たちが,雑誌に出てくるが,それまではあんまり出てこない。

永井さんの論文のインパクトはあっただろうが。

やはり丹下さんの会だったのだろうか。

 

数教協や科教協などが,科学の体系に基づいて教材研究を行ったように,体育同志会もまさに「批判理論」的に,既存の指導法や内容を批判し,新たな方法や内容を作り出していく。

水道方式がそうであったように,体育同志会では典型的な教材である「ドル平泳法」を創出して,従来の指導法のオールタナティヴを世に問うていく。

 

この流れを整理したいが,ブログでは図示できない。

体育同志会の出発点は,アメリカ輸入の「地域カリキュラム」であり,「体育生活を豊かにする」生活体育論。

民主的な人間関係の形成から,「グループ学習」も取り入れる。

 

しかし,日本的「生活体育論」からの批判,系統学習派からの批判を受け,技術指導を研究する会として,そしてここがややこしいのだが,「グループ学習」へのこだわりを強く持ちながら,教材研究だけではなく,運動文化体制の構築も視野に入れて,運動文化論を展開する。

 

数教協の遠山啓さんは,アメリカ直輸入の生活教育における算数の指導も,日本的な生活綴方を用いた指導も,両方とも否定する。

遠山さんの「生活」批判を見ておこう。

「『生活』という概念は『世界』とか『宇宙』とかということばと同じくらい広い意味を持っていて,それだけでは広すぎて何一つ確定的なことは表現できないようなことばの一つである」(『現代教育科学』1961年8月号)。

そして,教育で語られる「生活」にはある「ムード」があるという。

体育同志会も,これは我がこととして受け止める必要がある。

 

さて,教える中味が,生活にしか見いだせなかった時代ならいざ知らず,教科の背後にある文化,あるいは教材などの世界があるにもかかわらず,それから目をそらしているならば,まさにプラグマティズムの過ちを繰り返すことになりかねない。

 

体育同志会は,研究の方法(分析-総合,要素と単位など)を数教協に(も)学んだ。

数教協は,生活教育を批判した。

僕がここで言いたいが,言いよどむのは,体育同志会は自らの「生活体育」を批判したのではなかったか,ということである。

高津さんの論(『体育実践とヒューマニズム』所収論文)に異論を唱えるわけではないのだが。

 

その場にいた人たちは,そういう認識は持てないかもしれない。

これまで持っていた考え方を変えていかねばならないけど,当人たちは頭をすげ替えるわけにはいかない。

かつての考え方の上に論が築かれたのではないかということだ。

それを発展というのかどうか。

 

当事者たちは矛盾なき接合と思っているかもしれないが,おそらく,新たな論の構築は,自分たちのこれまでの古い考え方を変えていく機会になったのだろう。

 でも,自己否定をした上でなければ,発展できないような気がするのだ。

とはいえ,自己否定を「転向」として書き留めたということではない。

 

そこには,内発的な動機と同時に,「客体の研究」をせざるを得ない「時代的空気」があったということだ。

体育同志会は,生活体育というカリキュラム研究から,客体研究へすすんだ。

 

教科研身体と教育部会もまた,方法としての生活綴方(もう一つの生活体育)を否定はしないが,1961年以降に新たな方法の模索を始めた。

それは,ともに客体としてのスポーツ・運動文化の系統性,指導法を探す仕事であった。

 

目的としての「からだづくり」と「体育文化のおもしろさ」の追求。

「運動文化」ではなく「体育文化」。

「動作」「つなぎ」「調合」などがキーワードであった。

動作と動作をつなぐということは,要素ではなく「単位」を問題にしたとみることもできる。

これも時代的な空気を表している。

ヴィゴツキー的であり,水道方式的な「要素」だ。

 

新たな珍説と笑われてしまうかもしれないですね。

僕が書きたかったことはまだまだ書けていません。

次は,人間形成に関わった話になりそうです。

 

 

 

 

 

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