体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

祝 ブログ開設から1年間。365記事になりました。

こんにちは。石田智巳です。

 

今日はこのブログについてです。

表題に書いたように,1年間続けました。

今日が365記事目です。

 

1年間を振り返って書いてみたいと思います。

では,どうぞ。

 

昨年の6月24日にブログをはじめますと宣言した。

やると決めたらとことんやろうと思い,続くところまで毎日続けようと思った。

とはいえ,途切れたら,「ごめんなさい,終わり」でいいやという感じだった。

でも,そのために記事のストックを作っていたわけではなかったので,結構困ることもあった。

 

1年続けたといったものの,みやぎ大会の総会の様子を翌日にあげるのを忘れて(あげたつもりで),次の日に2つ記事をあげたこともあった。

あと,一度あげたのに,どういうわけか下書きに戻した記事もあって,混乱して,ごまかしたこともあった。

 

いつかは忘れたけど,半年続けた頃だろうか,1年間は続けようと決めたのだ。

だから,今年の6月になって,記事を書いていたら,ゴールが見えてきてしまった。

今日はこのことを書くことに決めていたのだが,最後の記事(昨日の記事)をどうしようかと思ったけど,週末に行われた体育科教育学会のことになってしまった。

 

本当はやはり『たのしい体育・スポーツ』のことか,実践記録の話にしたかったが,もうそんなことは言っていられない。

あまりしないが,ときどき,自分の書いた記事を検索ワードを入れて検索してみると,意外にいいこと書いていると感心したりする。

 

それと,書きぶりが落ち着いてきたというか,スタイルができてきた。

いつも同じ事を書いているわけだが。

たとえていえば,『ドラえもん』のような長期連載の漫画の最初の頃って,まだ画が安定しておらず,粗い感じを受けるのだが,それが段々と安定感が増してきたという感じ。

 

でも内容はバラバラ。

最初の動機は,『たのしい体育・スポーツ』の紹介をして,この雑誌のよさ,体育同志会の実践のよさをもっと表に出そうと思ったのだ。

なにしろ,『たのスポ』とかを検索しても,読後の感想などはほぼ皆無だった。

最初は,FBに書いたりしていたが,FBはグーグルに反映されない。

だから,仕方なくブログというメディアで『たのスポ』批評をした。

ときどき,わずかな毒を吐くことはあったかもしれないが,基本は褒める。

 

とてもじゃないけど,批評しにくい号もあった。

ブログで批評している原稿の数が少ないときは,そういうことなのだ。

やはり体育同志会は,実践記録で実践の事実を語らないといけない。

そんなことを思って,『実践記録論』を書くことにした。

そのために,本を山ほど買って,授業研究の歴史,方法的広がり,授業研究に占める実践記録の位置,実践記録の起こり,実践記録の・・・・などを調べては,ブログにチョコチョコ書いていた。

 

途中,佐々木賢太郎さんが体育の実践記録の祖として,自分の研究とうまいこと合致したので,佐々木さんのことや生活綴方のことも書いたりした。

そして,書くことに関わって,ナラティヴ,バルトのテクスト論,ソシュール言語学などの勉強もしていたら,かつて格闘したメルロ=ポンティのいわんとすることが,奥行きを持ってわかるようになった。

 

そして,これもビックリなのだが,『体育科教育』誌のK口さんから,授業研究に関わって連載を持ちかけられた。

 

敬愛する内田樹さんが,毎日のようにブログで記事を書いて,それをもとに本をつくってきたが(コンピレーション本という),まさか自分にも原稿を書く機会がくるとは思っていなかった。

なるべく断らないつもりでいたが,さすがにこれは無理だと思った。

要するに,中味が薄っぺらになることを恐れたのだ。

しかし,結局引き受けて,今,半分ほど終わった。

 

写真は『体育科教育』7月号。

本当は,「実践記録の戦後復興と城丸章夫の怒り」としたかったけど,「書く・読む・深める」の字が大きいので入らず。

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それにしても,内田さんはブログも本も同じ人格だ。

僕は,内田さんの「まえがき」の書き方と,「本文」の書き方をまねて,最初に「ですます」で,その後,「だ,である」で書くことにした。

最近は,終わりもまた「です,ます」で終わるようにした。

当初,連載原稿は,ブログの人格で書くつもりでいた。

というか,K口さんからそう言われていた。

しかし,ブログの人格では書けなかった。

選択したあるエクリチュールでは書き進められないということが,身をもってわかってよかった。

そのくせ連載は,「だ,である」で書いていたため,僕の連載だけが「えらそう」なのだ。

 

ブログの内容を支えたのは,あと授業のこと,体育同志会の研究会や常任委員会の報告があるが,もう一つ大きな柱は,ランニングの記録だ。

ランニングの記録だけでブログの記事にしている人もいるようだが,レースの報告と毎週走った報告,そして毎月の報告をした。

これは,途中から頭を使わない仕事となってきて,あんまりよくないと思えてきた。

というのも,これは走りにテーマがなくなったからなのだ。

そういう意味では,6月になって,メリハリをつけた走りを心がけてきたが,常に仮説を持って走らねばならないのだ。

 

さて,最後になるが,このブログの最後に,ドラマのような話があった。

それは,先日書いた大阪の上野山さんの実践記録を批評したところから始まったのだが,大津さんの実践記録のことだ。

僕が書いた内容に励まされて,大津さんが書けなかった実践記録が書けるようになった。

これは,本当にナラティヴ・セラピーなのだ。

もちろん,大津さん自身が自分で書けるための枠組みを用意したということだ。

でも,それに一役買えたことは嬉しく思うし,その調子で病気をも吹き飛ばしてほしい。

 

これで1年間続けたので,明日は休みます。

なんていって,書いていないと落ち着かなくなるかもしれません。

でも,ブログを優先させる生活はもうやめにします。

 

1年間ご声援ありがとうございました。

でもブログをやめたわけではないので,またこれからも声援よろしくお願いします。

パチ,パチ,パチ,パチ・・・。

 

 

 

 

 

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