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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 6月号(№292) 口野論文を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,『たのしい体育・スポーツ』6月号の口野隆史論文を読みます。

タイトルは「幼児期に体験してほしい運動遊びや体育的活動」です。

これは,「実践のひろば」となっているのですが,なんとなく口野実践とか,口野さんの実践記録というのは,違うように思われますので,口野論文としました。

では,どうぞ。

 

同じ京都支部にいるのに,口野さんに会うのは全国レベルの研究会であることが多い。

口野さんも僕も,忙しくてなかなか支部の例会に顔が出せずにいる。

だから,会うたびに「久しぶり」というような挨拶をする。

その口野さんは,幼年体育の専門家である。

 

まずは,幼児期の子どもたちの現状が語られる。

最近は,子どものケガの発生率が下がっているという。

1995年までは増えているが,それから減っている。

小中高では増えているのだが,2004年をピークに横ばいだ。

なのに、幼では減っている。

 

これをどう考えるのか?

とりあえず幼児期の子どもたちの安全を最優先にするために,大人が子どもに「危険」だと思うことをさせないでいるということだ。

小中高はどうなんだろうか。

これは,あんまりよくわからないけど,2004年というのは平成16年でしょ。

この頃は,体力低下が嘆かれて,取り組みが進んだ頃で,各種のデータを見ればわかるのだが,体力の下げ止まった頃になる。

 

そして,ケガが上げ止まり,体力が下げ止まったということは,体力づくりの成果でもあるといえるのかもしれない。

つい最近なにかで読んだのだが,ある学校では小さなケガが増えたけど,骨折のような大きなケガが減ったという。

これはネットの情報かな。

テレビかな。

FB情報だったら,みんな読んでいるかもしれない。

 

その学校では,一輪車やすもうのような体を使った遊びをさせているという。

だから,擦り傷,切り傷などは増えたが,「身のこなし」が身についたから,大きなケガになりにくいという。

 

森さんの論文を読んだときに書いたが,だから外で遊ばせることも大切だし,ワクワクドキドキ体験のところでも書いたように,朝,目一杯遊ばせることで,子どもが落ち着くということも大切だと思う。

しかし,それだけでいいのかなという思いも持ったりする。

つまり,体育の授業がそういった時間に使われるだけになる可能性があるのだ。

 

戻ろう。

日本の保育所は,園庭が狭く,また園庭がない保育所もあって,それがひいては子どもの遊びの質量の低下につながっているという。

待機児童を減らすという理由があるので仕方ないという見方もあるが,それ以上に子どもの遊びが制限される現状があるということなのだろう。

 

以前,口野さんの論文を読んで,学生が卒論を書いたのだが,その論文の中味が書かれている。

それは,園庭の広い保育所と狭い保育所の子どもの遊びの比較だ。

広ければ,鬼ごっこも多様になる。

狭ければ,高鬼になる。

広ければ,先回りやはさみうちなどの空間を利用した戦術を,狭ければ,タイミングに関わる戦術を使うという。

 

この論文を読んで,学生が書いた卒論は,学校の校庭の広さと体力の関係についてであった。

仮説としては一人あたりの校庭面積が広い学校の子どもの方が,狭い学校の子どもよりも体力のデータはいいのでは?というものだった。

もちろん,ハード面だけでなく,学校の取り組みや地域のスポーツ活動の状況などもあるから一概に言えないのだが。

 

進めていくと,調査協力が得られ,ある県のデータを見せてもらえることになった。しかし,各学校ではなく,地区のデータしかなかったので,県全体のデータをもとに,各地区で校庭の平均を出して,それを平均の人数で割って,地区ごとの一人あたりの校庭面積をだして比較するしかなかった。

 

なので,立てた仮説に関して,そうとも言える部分と,そうは言えない部分がでてきた。

当たり前だが。

やはり足で稼がないといけないが,それは一人でやる卒論では難しいね。

 

ところで,口野さんは主に保育所でデータを取られていたが,幼稚園における園庭の意味について本で読んだことがある。

幼稚園の英語は,キンダーガーデン(英語じゃないけど)だが,これは元々フレーベルが「大人と子どもが相互に人間性を実現する場」という意味を込めた,「子どもの庭」(kindergarten)というドイツ語なのだ。

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写真は,たまたま持っていたフレーベルに関する本(読んでいないが)。

 

フレーベルをロマン主義者とみていいと思うのだが,聖なる子ども,聖なる空間というものが意識されている。

子どもは純粋で,その純粋さを失った大人が自分自身の郷愁を感じるような場としての子どもが想定されていると思う。

 

僕はよく知らないのだが,恩物は積み木のようなイメージだが,フレーベルはおそらく外遊び,鬼ごっこをする聖なる子どもを想定していないだろう。

聖なる子どもが鬼ごっこするって,矛盾だよね。

なんだかすごく想像しにくいからやめておこう。

 

口野論文は次に,子どもの発達の概要である。

乳幼児の発達は,その後の学齢期の子どもの発達に比べると,割と同じような時期に同じような発達となって現れるように思う。

だから,発達に先回りしやすいのだろうか。

あんまり先回りしないで,その時期その時期を楽しませるという発想も必要なのだろうが。

 

そう考えると,発達に差の出始める時期は,普通に考えると教育しにくいのだろう。

異質協同なんてなかなか思いつかないし。

それをやるんだったら,教育内容に加えて,子どもをつなぐようなテーマのようなものが必要になるし。

 

最後に幼児期にしてほしい運動に関する体験についてである。

ここに,最初に述べたようなことが書かれている。

つまり,ケガを恐れて,安全に配慮しすぎると,ケガは防げるかもしれないが,その後の大けがが心配になるということだ。

「“付け”を先送りにしているように思われる」(21頁)。

ツケじゃなくて,付けね。

 

最後に,体育同志会的な実践が報告される。

これは,歴史の追体験学習である。

しかし,スポーツのある段階や次の段階を順番に経験するというような学びのではなく,保育士も入って,徐々にルールを作っていく=スポーツの発生に立ち会う経験を長い時間をかけてさせたという。

 

特集のテーマが,「いのち・からだ」であった。

なかなか引き取りにくいテーマで,書くのも大変だったことが推察されますね。

お疲れさまでした。

 

 

 

 

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