体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

竹内常一『おとなが子どもと出会うとき 子どもが世界を立ちあげるとき』を読む3

こんにちは。石田智巳です。

 

今日もまた,竹内常一さんの実践記録批評を読みます。

もとの実践記録を読んで書きたいところですが,よその研究団体の文章を僕がわざわざ批評するのも変なので,竹内さんの批評を読むことにします。

では,どうぞ。

 

先日,東京に行ったときに,星野さんから「竹内常一さん,難しいね」といわれた。

竹内さんが難しいのではなく,僕が書いた中味が難しいといったのだろう。

こういうフィードバックは嬉しいが,「難しい」といわれると困ってしまう。

ついでに,『体育科教育』6月号の連載記事はよかったといってもらえたが,『たのしい体育・スポーツ』9月号の原稿は,「哲学だ」といわれてしまった。

言語学だけどね。

 

ブログを書くときは,あんまりリーダビリティーを考えずに,頭から書き下ろしていく。

最初に,優しそうな石田さんが,優しそうなエクリチュールで書くが,すぐに,威張った石田が威張ったエクリチュールで書く。

この威張り具合が抵抗となっているのかもしれない。

まあいいや。

これで11ヶ月やってきたのだから。

 

さて,今日読む話は,第7章の「学級づくりから子ども集団づくりの方へ」というタイトルである。

全生研は,基本的に子どもの人間関係,集団と個人の位置などを組み替えるような実践記録が多い。

だから,この「学級づくり」から「子ども集団づくり」の方へという言い方にあまりピンこなかった。

 

読んでいて,竹内さんの意図がわかった。

竹内さんは,基本的に普通の学校で普通にやろうとしていることをやや批判的に捉える。

たとえば,この話では一番終わりに,「支配の装置としての『学級』の問いなおし」(120頁)という項目があり,そこには以下のように書かれている。

 

「日本の伝統的な小・中学校の『学級』は学習のために編成された集団のようにみえるが,実際は道徳と規律を訓練するための集団なのである。それは『授業』という名目で子どもに規律を課すものである」(120頁)。

 

「そして,この『道徳と規律の教授』に子どもを自発的に従わせるために,『学級』はその内部に共同体組織のひとつである『地域子ども組』を取り込んだのである。だから,『学級』はいまも『組』といわれるのである」。

 

「だが,まさにこのために,『地域子ども組』は『学級』のなかでその民衆文化をそぎ落とされ,規律の教授を生活化する受け皿にされたのである」。

 

ね。

竹内さんの書かれるものは,大抵,この学校,学級という抑圧のシステムから,子どもを解放するという話になる。

それは,竹内さんが選び出した実践がそういう話形をしているから,竹内さんの書かれたものもまたそういう話形になっていると言ってよいだろう。

 

水戸黄門を毎週見ていたとして,今週は黄門さまがお休みだとか,ハチベエがしっかり者だとか,由美かおるが,はるな愛だったりすると困るのだ。

はるな愛の方がいいという人もいるだろうが。

いつも最後に,天網恢々疎にして漏らさず,「かっ,かっ,かー」と笑って終わらなければいけない。

竹内さんがいつも同じ話をしているというのではなく,ある種の構造枠組みに語らせているということ。

 

それで,この実践記録の詳細や筋は報告しないけど,読んで書こうと思ったのは次のことである。

所得制限のある公団のA地区と,駅近くの一戸建ての多いB地区という階層差がある子どもたちを前にして,小学校3年生の担任は,今までのやり方では駄目だと思うようになる。

今までのやり方は,「ベル席」(ベルが鳴ったら着席)や男女混合の班編制のことだそうだ。

 

このやり方は,全生研が1971年に提起したやり方である。

全生研も,ある時期に指導法が批判にさらされたり,変な映画になったり,変な書籍で暴露みたいなことをされたが,やはり規律訓練的でもあったのだろう。

しかし,そういう批判を受けながらも,子どもの要求とは何かから実践の形を作り直していった。

細かいことはよく知らないけど。

 

で,この担任は,やり方を変えるのであるが,それが以下の通り。

「同学年のもう一人のクラス担任と合同音楽,合同体育を行うことにした。学級崩壊が生じたとき,学級を越えて学年で授業や活動をすることが必要となる。合同授業に取り入れたものは,身体表現,ゲーム,手遊び歌,ぶつかりあいのSケン,団結くずし,人間知恵の輪などであった」。

 

「これらのからだを軸とする活動は,学校秩序に縛られながらも,それに逆らってきた子どもたちの体を解き放つものであったために,彼らはそれに夢中になった」(109-110頁)。

 

さらに,「子どもとの話しあいで,みんな同じ内容・同じ量の学習や宿題をやめて,基本コース,おすすめコース,チャレンジ・コースの学習に変える」のであった。

これって,習熟度別でしょ。

 

男女混合をやめた理由は?

「同性の親密な仲間をうまく作れない子どもたちにとって,同性の班はどうしてもくぐらなければならない道だ」ということだ。

だから,男女混合をやめたのではなく,男女別も認めたということである。

 

これらは実は体育同志会の中学校の実践で考えてみると,男女共修で,異質共同の学びを基本(理想)とするのだが,この実践は(小3であるが),そうなっていないのだ。

合体(ごうたい)もされているし。

 さて,男女についてはちょっとおいておくにしても,僕が言いたいことはわかってもらえるだろうか。

 

というよりも,昨年の冬大会の議論を思い出すよね。

石井ちゃんの実践は,異質協同で教え合い,学び合いにしたかったが,そこに行く前に,習熟度別や好きな子同士の班編制を迂回した。

結果的には,教え合うことで子どもたちは居場所を見つけたのだが,そのことで体育同志会の先生方からは違和感が吐露された。

 

体育同志会は,今さらかもしれないが,出原さんの『体育の学習集団論』や『異質協同の学び』でわかるように,異質協同を大切にしてきた。

そのモデルは,50年代のB型学習にある。

しかし,それを出原さんは,うまい子とへたな子がいるからこそ学び合いが成立するとした。

それは1つの見識だった。

 

しかし,そのことと異質協同ではじめなくてはならないということとは違う。

走るときに,腕を後ろで組んで走らせることで,腕降りの重要性をわからせることができるように,不自由さを迂回するという考え方はありだと思う。

もちろん,不自由さを迂回させれば必ずしもうまくいくというものではない。

ここら辺は実践的には難しいと思うが,子どもの要求という観点から見れば,要求に従ってみて,なんかうまくいかないという思いをさせてみることもありのような気がする。

 

いずれにしても,異質協同の学びが教師の管理の手段とならないように注意が必要なのかな。

その意味で,長野の小山さんが,異質協同,男女共修の学習は難しいので,そういう教科内容や仕掛けが必要だといったことにはとても納得ができる。

「異質協同は難しい」という認識からはじめて,そのためにどんな工夫や仕掛けが必要なのかという議論からはじめないと,理解されないような気がする。

 

この方の実践は,子どもの集団を組織することがうまくいくのですが, なんだか,実践そのものを紹介せずに終わってしまいました。

 

 

 

 

 

 

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