体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 5月号(№291) 「プール上屋実践」を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

5月 23日の土曜日は,東京にいてブログ更新に失敗しました。

そのため,アップされない日ができてしまいました。

今日は,そのときにアップするはずだった記事です。

 ということで,今日は『たのしい体育・スポーツ』2015年5月号の「プール上屋実践」を読みます。

では,どうぞ。

 

『たのスポ』の時代を拓く実践をたどるは,もう21回となった。

 この企画は大貫さんが編集長の時に立てられて,森さん,久保さん,そして僕も入って,編集の計画をつくった。

森さんが中心になって,体育同志会の様々な文献(『運動文化研究』『体育叢書』『たのスポ』『体育科教育』の連載,各種書籍など)を分担して,みんなが学習をして,ふさわしいと思われる実践記録を抽出し,時代やテーマに沿って並べるという作業を行ってきた。

 

それで,やはりというのか,体育同志会では実践記録は1960年の秋に出された本が最初であり,それ以前は記録はあっても,実践記録という形ではなかった。

森さんが瀬畑四郎さんのバレーボールの記録を取り上げたが,それは1961年の本であり,それは実践記録ではあるが,教師の語りであっても子どものことはあまり出てこない。

 ましてや,生活体育の頃は,指導案はあるが実践記録はないため,この頃は生活体育の考え方の紹介になっているのだ。

 

で,みなさんは覚えておられるかわからないが,この連載の4月号(先月号)は僕が担当だった。

 

前にも書いたことだが,生活体育の時代,中間項から技術指導の時代を経て,運動文化論へと進むが,60年代後半からの「近代スポーツ批判」の時代,系統性研究の時代,70年代半ば以降の「スポーツ権」,「学力論」の時代,90年代の教科内容の時代,2000年以降のカリキュラム研究,さらに「3ともモデル」の追求の時代がくる。

 

時代区分だけではなく,グループ学習や学習集団をテーマに「わかる,できる」の実践が追求されてきた。

この5月号は,スポーツ権と学力論を追求した実践であった。

しかし,70年代以降90年代初めの頃の体育同志会の研究を整理しておかないと,なんで突然スポーツ権とか学力とかが出てくるのかわかりにくいのだ。

 

という提案を,連載の編集会議でしたら,やぶ蛇となって原稿は僕が書くことになった。

一番年下で,教科内容研究の始まりの頃なんて知らないのに。

 きびしいよね。

 

それで,この上屋の実践であるが,これは村末さんという鹿児島の方の実践であり,それを五代孝輔さんが書いている。

 実は,スポーツ権については,70年代のヨーロッパのスポーツ・フォー・オールなどの動き,日本でも公害問題や教科書裁判などで住民運動の動きなどにあわせて出てくる。

 そういう動きのなかで,草深さんは行政請求権に関わる内容を教えないと,スポーツ体制を変えることはできないとして,スポーツ権に関わる具体的な指導内容を示した。

 

しかし,そのときに体育の学力として「技術・組織・社会」という内容が取り出されたが,実践に移していくのはなかなか難しいものがあった。

実践的な課題としては,「子どもの要求の組織」を学校のなかにとどめずに,スポーツ要求をどう組織し,行政にどう働きかけるのか,あるいはそういった力を実践でどうつけていくのかという課題となるのだが,実践はなされなかった。

このなかで,社会科体育という言い方がなされたが,体育の理科という実践はあった。

技術の分析総合のような実践はあったが,しかし,社会科学的認識を育てる授業はあまりなかった。

 

だから,この上屋の実践は,すぐにこの連載で取り上げるべき実践の候補となった。

 図1にスポーツの三層構造が書かれているが,プレイ場面,集団・組織,そして社会的条件の3つであり,ちょうど学力の3つともかかわる。

 それで,この3つは三層構造というぐらいだから,社会的条件という大きな土台があって,集団・組織に支えられて,プレイが成り立つという関係におかれる。

 

 僕らは,体育の授業といえば,やはりプレイであり,せいぜいグループ学習や学級での組織を教えるにすぎない。

しかし,その土台として社会的条件に目を向けさせたのが上屋の実践だったのだ。

 実践は,社会科の授業にも学んでつくられたようだ。

 

鹿児島では桜島の噴火によって,降灰がある。

そのためプールには簡易の屋根があるのだが,あるとき台風でその上屋が壊れてしまい,プールの授業が中止になってしまう。

 そこで,子どもたちはショックを受ける。

 

 「子どもたちが泳げないことになる『スポーツ上の不自由』の原因を,個人の能力の内にではなく,上屋という施設(スポーツ手段)に求められている今こそ,『プレイ』の向こう側にある社会関係の認識に迫る好機であり,このチャンスを逃してはならない」のであった(31頁)。

 

実践そのものは,社会派の体育同志会らしいといえるが,その当時としてはまだ珍しかったのだろう。

子どもたちからの不満も出てきたし,村末さん自身が失敗実践だったと総括しているようだが,チャレンジングな実践としての価値は十二分にある。

 

ところで,金曜日に中等の保健体育の教育法の授業で,長野の小山さんの実践記録というか取り組みを学生に紹介した。

体育の先生は,体育の授業をやる(技術の指導をする)だけではなく,カリキュラムをつくる必要があること,その際にどんなことを考えながらつくるのかを,小山さんのカリキュラムの変化を追いながら,講義をした。

 

小山さんのカリキュラムは,各学年の教材配列表の段階から,各教材で教えるべき内容と目標が書かれた段階へ,さらに,教科内容というテーマをつくって,教材をはめ込んだ段階へ,そして,学年ごとにテーマを決めて,教材の配列,さらには生徒会が主催する各種スポーツ大会や行事単元を絡めたカリキュラムへと進化していく。

 

して,小山さんの一番の前提にあるのは,「子どものスポーツ要求に対して,できるだけ条件を整える」ということである。

だからといって,小山さんが叶えるのではなく,生徒会活動を組織して,そこで自治的な動きをつくる。

そうやって,スポーツ要求を組織し,それを叶える場をつくることで,授業でやるべき内容や目標といった性格の違いを打ち出していく。

 

こういう要求の組織ももっともっと考慮に入れられていいと思う。

その意味で,最近では「意味を問い直す」という言い方をしてきてはいるが,その内実をもう少し整理しておきたいと思う。

その際に,まさに村末さんがしたように他教科の動きにも注目してみたいと思います。

 

これは,僕ら研究局の課題ですね。

 

 

 

 

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