体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

実践記録の連載について悩み中

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,今『体育科教育』で連載している実践記録論について悩んでいることを書きます。

午前中に時間がとれたので,じっと考えていたことを書きます。

では,どうぞ。

 

連載は1年続くのだが,最初に12回分の案を考えておいた。しかし,2回目にさっそく予告と違う内容を書いた。

それは仕方がないことだと思う。

というのも,いつも述べるように,やりたいことは書いてみた後で知られるものなので,最初に案を書いたときに,こうなると言うことがまず告げられた。

次に,第1回目,2回目を書いてみて,編集の川口さんから意見をいただいて,路線変更した。

 

第3回目は,実践記録の零度ということで,明治時代に「綴り方」が国語の一領域に位置付くことで,私たちが思ったり感じたことを綴ることができるようになったということを書いた。

そして,私たちが自明に使う「実践」という概念は,1930年代になって教育と結びついて,つまり教育実践という使われ方をしたことを述べた。

ここには,実はマルクス主義的な実践のとらえ方があった。

教師の実践とは,マルクスのいう労働のことなのだ。

といってもわかりにくいかもしれないが。

 

それで,問題は4回目からの流れである。

4回目は,戦後の生活綴方の復興と,実践記録をベースとする授業研究が起こるが,体育科教育界では,教育科学研究会(教科研)に集う人たち(佐々木賢太郎さんを含む)が実践記録を書くものの,1955年までに体育の実践記録集は刊行されていなかったこと。

そこには体育科教育界に戦前のボス的な体制が残っていることや,アメリカから輸入された体育(教育)から抜け出させないでいたことなどがあると城丸章夫さんが嘆いていたことなどを書いた。

 

次は,予定では,佐々木賢太郎さんの『体育の子』実践の読み方を示そうと思っていた。

これは,古い実践だから,どうしても今と比較して「変なの?」となるかもしれないので,そこから何を読み取るのか,というか,どう読むのかについて示そうと思ったのだ。

とくに,バリバリと鍛える体育をしていた佐々木さんが,宗旨替えをして,生活綴方教師になったときに,どれだけ実践を変化させたのか,そこにはどんな困難があって,どう乗り越えたのかを書こうとした。

 

しかし,そうなると,その当時の実践記録論には何が書いてあって,それに対する今の実践記録論との違いはどこにあるのかを書かなければならない。

あるいは,かつて実践記録批判があったこと,あるときに実践記録そのものが衰退していくこと,そして生活綴方もまた後退していくことなども書かなくてはならない。

このいろいろ書かなければならないことを,どのような順番で書けばすっきりと流れていくのかに困っているのだ。

 

こういう悩みがあると,不安になるので、困ってしまう。

見通しが持てない不安であるし,この調子でやっていると四六時中実践記録のことを考えていないといけないという不安,実際には,体育同志会のこと,石井ちゃんに依頼された5月末締め切りの『たのスポ』の原稿のこと,初等の運営のこと,学会のこと,授業のこと,家のことなどもやらないといけない。

 

でも,救いなのは,時間をとって考えたことで,少し頭の中に奥行きができたというのかな。

僕は,ときどき,「よく毎日ブログが書けるな」と感心?される。

よほど暇だと思われているのかもしれない。

しかし,困ったことがあったら,本を手に取るのだ。

それは,構造主義の本,実践記録論,実践記録そのもの,授業研究の本などである。

 

そうして,ある一つの章だとか,節だとかを読むことにするのだ。

そうすると,前に読んだときには思わなかった新たな発見がある。

その発見は自分の物語に入ってこようとするため,頭が回転し始めるのだ。

空回りだってある。

 

今日は,秋田喜代美他『教育研究のメソドロジー,大西忠治『実践記録の分析方法』,バルト『エクリチュールの零度』などを手に取って読んでみた。

 

それにしても,実践記録ブームがくる予感がしないこともない。

今世紀に入ってからだと,やはり田中耕治編著『時代を拓いた教師たち』(日本標準,2005)と『同書Ⅱ』(2009),そして,教科研の「教育実践と教育学の再生シリーズ」(この本のことをブログに書いたものの,まだ出していません),さらには,白石陽一という人の実践記録の読み方(これは,竹内常一さんの読み方の分析と,物語論,ナラティヴ・アプローチへのリンクという意味でとても新しい)がだされているのだ。

 

やはり,実践記録は民間研だよね。

教科研,全生研(高生研),日生連,そして体育同志会だ。

体育同志会では,89年に出原さんが「『みんながうまくなること』を教える体育」の連載を『体育科教育』で行い,その後,『運動文化研究』に「長編実践記録」が載るようになった。

しかし,出原さんに訊いてみたところ,当時,体育では長い記録が書ける人がいなかったので,書かせるようにしたが,方法論を示したわけではないという。

それがいいのだが,しかし,読ませる実践記録を書くということもまた検討する必要があるように思う。

 

 

 

 

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