坂本光男さんの本を読む1 佐々木賢太郎さんが朱をいれた班ノート付き
こんにちは。石田智巳です。
今日は,坂本光男さん『子どもが主役の学級づくり入門』(明治図書,1995)を読みたいと思います。
坂本光男さんは,知っている人は知っていると思いますが,「3年B組金八先生」のモデルとなった方です。
今日は,「Ⅰ学級づくりのこころ」「Ⅱ子どもの要求に目を向けて」を読んでみます。
では,どうぞ。
坂本光男さんが全国生活指導研究協議会のメンバーであったことは知っていたが,坂本さんの本を読むのははじめてだった。
ほんの2~3日前の前に,アマゾンで注文したのだが,その経緯は覚えていない。
ただ,『ひとりひとりにどう迫るか』という本を注文したついでに,この本を注文したのだった。
定価は1505円+税。
実際には190円+送料で買った。
「ついで」が先に届いたので,さっと目を通すが,つい「Ⅰ学級づくりのこころ」を読み,続けて「Ⅱ子どもの要求に目を向けて」を読んだ。
こういう本は,読み進むということが命だと思う。
だから平易に書かれているし,話が具体的だ。
全生研の人たちは,実践記録をよく出すし,こういう「クラスづくり」や「学級経営」の入門書をよく出す。
僕はこの手の本を読むのが結構好きだ。
自分でもなるほど使えるなあと思ったりすることがあるからだ。
僕だって,大学生を相手に奮闘しているのだから。
うまくいかないことが多いけど。
さて,最初の方に,ほめ方と叱り方について書かれている。
ほめ方,叱り方については,教職の授業でも扱うことがある。
だから,そのためにいろいろな文献をあたってみたりした。
やはり基本にあるのは,ほめることだ。
で,坂本さんの場合は,ほめる・叱るポイントが4つあるという。
それはそのまま,坂本さんの教育観を表しており,そのまま学級の目標になるという。
その4つとは,以下の4つ。
①自己開発の努力(自分を高めようとしているとき,していないとき)
②共同・協力の努力(みんなで共同しなければならないときに,しているとき,していないとき)
③文化的要求実現の努力(美しいもの・よりよいものへの創造の努力をしているとき,破壊するとき)
④人権尊重の努力(暴力を抑止し,平和的解決の努力をしているとき,していないとき)
そして,ほめるときは事実に基づいてほめるという。
「やさしいね」とか「よくできたね」というほめ方よりも,事実に基づいてほめること,そして,成長に従ってほめ方を変えるという。
ここはまあいいのだが,次のほめる材料をつくるために,「子どもに可能な限り多くの仕事や活動に取り組ませること」だそうだ。
これは,自主や自治とも関わってくる。
今,ほめる・叱るの4つのポイントを書いたが,坂本さんは生徒の「なぜ学ぶのか?」という質問に対して,やはり4つのポイントから答えるという。
そのとき,上の4つのうちの①が「自己主張の力」となって,これら4つは「人間らしい人間になるため」となるわけだ。
金八先生が,「人」という文字は「二人の人が支え合っている」というのと何となく似ている。
一昨日の武田鉄矢さんの情報によれば,白川静さんがそれは間違いで,「人が歩いている姿を象形したもの」と述べたという。
まあ,いいではないか。
みんなが感動しているのだから。
それで,自己主張の力とは,自分の不利益になることは黙っていないということだ。
だから,それは自ずと要求を出させることになる。
この辺は全生研の実践に多いし,体育同志会の実践もまた「要求の組織」と「合意づくり」が実践の課題でもある。
単にうまくするだけじゃないよ。
坂本さんは子どもの要求を出させるために,次のことをしていたという。
①要求カード。
これは,「先生に話したいこと,聞きたいこと,要求があること」を書くようだ。
これは,まあよくあるかもしれない。
だけど,要求が出た場合は,朝の会でそれを読み上げ,「○月○日の学級会で取り上げます」とか,「○日までに実現します」とか必ず返事をすることが大切になるという。
それと,公表できる内容はプリントにして,話し合いの材料にするそうだ。
②聞き出し班会議
これは,6人のグループだったら,1人が何か話をする。
それを,順番にその他の5人がその内容について質問する,それを全員やるということだ。
何でもないことだけど,家族で会話がない子,友達とのやりとりが難しい子たちにも応答関係をつくるということのようだ。
そして,深められそうな中味を教師が投げかけることで発展させるという。
③班日記
一人一人に毎日日記を書かせたいところだが,日記を書かせたらそこに必ず朱ペンを入れたいので,全員ではなく班日記。
ポイントは,書けと言っても書かない子の指導だそうだ。
実は教師はそういう子の思いやねがいを知りたいのだが,書いてこない。
そのための工夫としては,最初に書けそうな子に書かせて,朱ペンを入れていき,書けない子は後に回して,班の子たちの書いたものや先生の朱を見ながら書かせると言うこと。
そして,班員に書くように促されれば,1行でも2行でも書くようになる。
その時に先生が,10行でも20行でも書けば,交流のきっかけになるということだ。
作文の会でも,1行日記や1行綴方を大切にするという。
みんなに話をさせるときには,言葉が足りていない子どもが前で話す方が,質問に答える形になるのでいいともいったりする。
でも僕は,何とか書けるようにしたいのだ。
それは,やはり自分の生の物語を作るということを重視したいから。
書くことでみえること,書くことで自分が勇気づけられることもある。
先生は,その手助けができるとよいね。
坂本先生は,「読みあう」ということも大切になるともいっている。
佐々木賢太郎さんも班日記をやっていた。
僕は,佐々木さんの奥様からいただいた高校生のノートを持っている。
今日は,この佐々木さんのノートを紹介することで終わりにしたい。
というのは,書いていて自分が書きたかったことが,紙幅が尽きたときに書き始められたからだ(紙幅は尽きないのだが)。
だから,そのことはまた別の日に書きます。
このノートには,昭和42年9月1日と書かれている。
高校生の2学期の班ノートだ。
日記には,自分のこと,家のこと,掃除をさぼったこと,そして体育授業のことが書かれている。
中には,この上のノートのように,体育の授業でタンプリングが長引いたことに対する抗議めいた内容が書かれている。
それに対して,佐々木さんから朱で「遅らしてすまぬ」と書かれてある。
こうやって要求を育てていることがわかる。
このノートは本邦初公開です。
またレアなものを紹介したいと思います。