50mを一人で走ることの是非について
こんにちは。石田智巳です。
今日は,木曜日の初等体育という授業の50m走についての話です。
結果的に50mを測定をしませんでした。
授業中に,計画をしていた中味を変えることは勇気がいるのですが,急遽,回避しました。
では,どうぞ。
初等体育という授業は,1回目と14回目,15回目を除いて,全部体育館でやる。
1時間目は,教室でオリエンテーションとともに,僕からのメッセージを投げかける。
それは,体育の授業は「うまい子も下手な子もみんなが学ぶ」のであり,そのための教材としてスポーツはあるということ。
しかし,教材であるスポーツは競争を本質に持つため,「学びのための競争」であるはずの位置関係が倒錯して,競争が目的となり,評価の対象になってしまうことがしばしば起こる。
だから,この学びのためにどのように競争を位置づけるのか,得意な子と苦手な子が一緒に学ぶために授業にはどんな可能性があるのかに触れてほしいと思っている。
というような話をして,2時間目は体育館で実技オリエンテーション。
それが,昨日の授業。
まず準備運動(準備体操)の原理について説明する。
それから50m走のタイム測定。
そして,バスケットボールのシュート調査。
50m走は,次のリレーのためにどうしても計っておきたいので,毎回2時間目にやることにしている。
リレーは二人のタイムがなるべく近い者同士でペアを作って,それで二人の平均タイムを目標タイムにする。
体育館のため50mしかとれず,やや強引だが,50mのリレーのタイムを測定するのだ。
今年はある実践記録を読んで,ちょっとやり方を変えようと思っていた。
それをやるにしても,50mのタイムは必要だった。
準備運動の後,走のための簡単なアップをやってから,実際に計測に入る。
二人組を作って,前半の人と後半の人に別れる。
前半の人が走ったら,光電管からタイムが手元に出てくるので,それをペアの人に見せる。
そうやって,記録がなるべく他の人にわからないように配慮した。
しかし,女子学生から,「一人で走るんですか?」という質問があり,「そう」と答えると,「最悪~」,「さらし者~」という声が漏れきこえてきた。
実は,前の週の授業で,体育嫌いの例を紹介した。
そのなかに,「やりたくない競争をさせられて,スポーツが要求する速い,高い,遠い,強いなどの価値で評価されること」,「うまくならないこと」と並んで,「さらし者にされる」というのをあげていたのだ。
なので,「さらし者~」という声に,ひるんでしまった。
しかし,そうはいっても,ここはデータが必要で,光電管だから二人で並んで走るというわけにはいかない。
申し訳ないが,進めさせてもらうことにする。
最初にある男子学生に走ってもらうことにした。
そうしたら,彼は最初の数歩で足がもつれ,立て直して走りきった。
しかし,なんと電波が来ない。
通過の音はしたのだが,手元で電波を拾っていないので,ストップウォッチは動いたまま。
電池が弱っているのかもしれない。
何かを暗示しているのか?
次に女子学生の番だったが,もし次にも同じように計測できていなかったら,50m走はとりやめ,と宣言をする。
はたして。
やはり拾わず,結局,取りやめになった。
女子学生たちは大喜び。
男子学生の中には,走りたかった者もいたようだ。
で,用意しておいた資料で,走運動の学習のポイントとして,スピードの落ち込みとその克服が課題であること。
具体的には,足の乱れとその克服ということを話す。
その際に,過去に無理してとった歩幅のデータとかを使う。
面白いのが,過去に3名の歩幅を計ったが,判を押したように11歩目に乱れが起こっていた。
ここでギアチェンジが起こるのだろう。
で,そのことを話しながら,最初に足がもつれた学生の例を引く。
ついでに,アップで実際に転んだ学生のことにも言及する。
さらに,後半の乱れについても話をする。
それから,スタートダッシュの方法について。
これは高田典衛さんだったか,山本貞美さんだったかが書かれていた,二人で並んで数歩の競争を何度もさせるという方法。
これをさせると,だんだん姿勢が低くなっていく,体重を前にかけて,前に倒れるようなぐらいになったら,そこで片手で手をついてスタートさせる。
要するに,クラウチングスタートを教えるときに,形を重視して下から教えるのではなく,上から下に重心をおろしていくようにして教えるということだ。
そんなことをやって,バスケットボールのシュート調査へ移行して,結果の集約とそこから読み取れることの話をした。
それで授業は終わり。
さて,来週はリレーの授業である。
これ自体を変えるわけにはいかないが,どうしよう。
やはり宮城の制野俊弘さんが紹介してくれているリレーの実践をやることにしよう。
これは,『たのしい体育・スポーツ』2013年11月号では,「『美しいリレー』とは何か」というタイトルで構想され,『体育科教育』2015年3月号にも紹介されている実践だ。
バトンパスの際に,ある程度の距離を並走して,声をかけずに気配を感じたところで,2走の人が手を出して,それに1走の人がパスをするというものだ。
パスはタッチでもいいかもしれない。
これはタイムを競うというよりも,二人の関係をいかに作って,共振させるのかを競う(?)というものだ。
制野さんは,全力では難しいといっていた。
前回は,全力でやってなかなか結果(タイム)に結びつきにくかった。
なんとなくそれがやりたくて,50m走の測定をやめたような気がします。
真相は僕にもわかりません。
また,報告します。