体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 4月号(№290) 花田実践を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

新学期が始まりましたね。

僕は,気分的なものなのかもしれませんが,いろいろな仕事が一気に回ってきていて,少しへばり気味です。

へばるというか,よくあることだと思うのですが,あれもこれもあるから,一つのことにじっくり集中して取り組めなくて気ばっかり焦っています。

細かいことを片付けて弾みをつけたいのですが,引っかかることがあると落ち着いてできません。

実は,ブログも日課なので,これも書かないといけないので,さっさと書いてしまいます。

 

それで,今日は京都の花田さんの「2年間続けてきたグループ学習」を読みます。

では,どうぞ。

 

「たのスポ」4月号は,グループ学習だ。

先日,京都支部の事務局長の松元さんから,メールが回ってきた。

「たのスポ」の「読者の声」への原稿依頼があったということである。

それに,ベテランの長尾さんが応えてくれた。

そのメールには,「定年前最後の年やし、引き受けても良いかなって思っています。今月号(4月号)には、花田さん、石田さん、口野さんと、京都支部が3人も載ってるやん」とのこと。

 

確かに3人が載っている。

花田さんは,京都支部で事務局だ。

口野さんと僕は不良局員だ。

口野さんは,大学で重役になってしまい,また家庭の事情もあるようで,今は顔が出せていないようだ。

僕は僕で,支部活動にはほぼ参加できず。

だいたい,常任委員会が重なることが多い。

だから,誌上で京都支部が頑張っているように見せているのだ(そんなわけではないが)。

 

さて,花田さんの実践である。

実は,花田さんは「たのスポ」7.8月号の「陸上運動」の特集のときにも執筆されている。

その内容と少しかぶる部分もあるが,グループ学習の考え方がおもしろいと思ったのだ。

今回は,おもしろいと思った部分を取りだしてみたいと思う。

 

花田さんは,体育の苦手な子にとって,第一印象が大切だという理由で,グループ学習をはじめるのだが,「学習の場が固定しやすいマット運動から学年当初の体育実践を始めました」(17頁)と述べる。

先日書いた記事(『たのしい体育・スポーツ』 4月号(№290) 「座談会」を読む)で,埼玉の國井さんが「4月当初からリレーとマットの『グループ学習』に取り組みます」と述べていた。

そして,多くの人がリレーから取り組む,あるいはマットから取り組むのには,やはりわけがあるのだろう。

 

4月5日のブログに,僕は以下のように書いている。

「今回の『たのしい体育・スポーツ』4月号の座談会も國井さんがしゃべっていたし,川渕さんの実践でも、かつてのあのNHKスペシャルの制野さんの実践でも,リレー実践を春にやるのは,何らかの可能体としての子どもを見出しているのからであり,ボール運動を秋にやるのもそうであろう。」

 

花田さんがマットに取り組むのは,学習の場が固定しやすいからという理由がはっきりしている。

僕は,わざの難易度の追求よりも,うまくなる筋道がわかりやすいので,みんながみんなでうまくなることを教えるのに適していると思っていたのだった。

それだけではなく,学習の場か。

なるほど。

 

体育ノート(個人ノート)についても書かれている。

「感想だけでなく,『1時間の学習の流れ』や『どんなポイントを観察するのか』『友だちからのアドバイス・友だちへのアドバ(イ)ス』」の項目をいれることで,記述しやすくなるという。

この点については,神谷論考の11頁あたりを併せて読むとわかりやすいだろう。

 

感想文やノートへの記述は,授業で抑えるべき指導内容がおさえていないと,どうしても「楽しかった」「つまらなかった」とかになってしまうのだ。

だから,そういう感想が出てくるということは,抑えるべきポイントが明確ではないとか,授業に集中して取り組めていないとかの原因が考えられるのだ。

 

でも,よくいるよね。

人の話を全然聞いていない子どもって。

うちの子もそうかもしれないし,僕もそうだったような気がする。

とりあえず,自分の番が来たからやるけど,ポイント?何それ?って感じの子ども。

そういうときに,どうやってその子をグループに取り込むのか,あるいはそういう感想にどうやって教師が朱を入れるのか,花田さんなりのやり方が書かれている。

 

そうして,5年生でも取り組んだペースランニングの授業へとすすむ。

ここでおもしろいのが次の二つ。

一つは,教師が設定した課題に,子どもを乗せていくのではない学習を仕組んでいることだ。

先日,体育同志会のグループ学習には4つぐらいのパターンがあるということを述べた。

 

そのうちの3番目についてこう書いた(『たのしい体育・スポーツ』 4月号(№290)が届きました。)。

「大枠は子どもたちの自主的な運営ではあるが,系統的な指導はなしで,子どもたちが『速く走る』,『遠くへ跳ぶなど』の問いに仮説を立てて実験して検証するやり方。」

花田さんのやり方はまさにこれ。

かつての出原さんの田植えラインが生まれる前の実践や,「体育の理科」といわれた大阪・枚方の実践がそうだ。

 

そして,もう一つは,グループ学習ではありながら,「固定した異質集団グループでは行いませんでした」,「意図的に毎回グループを変更し,偶発的グループを組むことにしました」(18頁)。

ここは,もう少し説明がほしいところだが,「最後に」のところで,次のように書かれている。

「必要とする場面で子どもたち自身が自分でグループを選択しました。

友達だから,一緒に遊ぶ仲間だからという理由でグループを構成しているのではなく,目的意識を持ってグループを選択している様子から,グループ学習の新しい側面が見られたように思いました」(19頁)。

 

いろいろな課題を試す場があったということなのだろう。

体育同志会のグループ学習=異質協同という枠をはみ出していこうとしている。

それも,異質協同の学びが成立したからだとは思うが(ここが重要で,でないと単なるめあて学習になる)。

冬大会の石井実践もそうだが,子どもたちのことをよく見ているから,学習の形態は選び取られるのであって,グループ学習に子どもを当てはめるというわけではないのだ。

ここは重要だと思う。

 

この実践は,少し,発展的なグループ学習の内容といえるかもしれませんが,そして小学生では難しい取り組みなのかもしれませんが,多様なグループ学習の一端が見られたような気がしました。

 

 

 

 

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