体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 4月号(№290) 「今月の授業」を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,『たのしい体育・スポーツ』2015年4月号を読みます。

最初の方から読んでいきたいと思います。

では,どうぞ。

 

「今月の授業」を見ると,「自転車でGOGO~学級活動での自転車を使った取り組み~」が載っている。

これは,神戸大学附属特別支援学校の備瀬さんという方が書かれている。

神大附属特支(って訳すの?)は,大宮さんをはじめ,多くの方が体育同志会に参加している。

ベテランの先生もだが,このところ,竹川さん,江上さん,そして備瀬さんなど若い先生たちが参加している。

 

彼らは,特支に関係のないときでもちゃんと参加して,意見を云っていく。

こういうのは頭が下がる。

僕も含めて,多くは,自分に役に立つことのみを求める傾向が強いから。

なお,備瀬さんは,体育同志会60周年記念集会にも若手代表として登壇する。

おそらく,この今月の授業も,大宮さんたちとの共同で作ったものだろうし,報告自体もおそらくそうだろう。

いい職場だよね。

 

さて,色々偶然があるものだ。

4月1日の夕方,僕のFBにメッセージが入った。

送り主は,教え子で奈良の香芝というところにある小学校で先生をしている。

以前,全国常任で『たのスポ』の資料を見ていたら,新規購読者になってくれていた。

このブログを見てくれているからだと思う。

それで電話で話をした。

 

彼は,今年の10月に支援級の体育で研究発表をすることになって,アドバイスを求めてきたのだ。

しかし,僕は自分が特支の体育をどうするこうするとはいえない。

そこで,まさに神大附属の大宮さんに連絡を取ってみるようにいったのだ。

とはいえ,いきなり本人に連絡させられないので,電話を切った後,僕の方で電話をしてみた(が,留守電だった)。

 

それでまた連絡を取ってみることにした。

そうしたら,夜に,牧野さんからメールがあって,その彼に手紙を書いたらメールで返事が来たとのこと。

しかも,牧野さんも同じ奈良県香芝市に勤めているのだった。

なんたる偶然,セレンディピティ

 

それなら,辻内さんに相談するのもありだと思った。

僕は,辻内さんか大宮さんだなと思ったのだ。

しかし,辻内さんは,60周年記念集会とみのお大会を抱えている。

だから,少し遠いが大宮さんと話をしてみるのがよいと思ったのだ。

まさに,大宮さんのところには若い先生が集っているし。

 

体育同志会に奈良支部はない。

大阪支部奈良ブロックならある。

そのことを考えると,やはり辻内さんだろうか。

と思って,牧野さんにも相談したら,奈良なら辻内さんだとのこと。

それで彼にも辻内さんの連絡先を伝えておいた。

 

さて,体育同志会の創立60周年記念集会(兼中間研究集会)は,5月9日~10日に,大阪のホテルアウィーナ大阪である。

9日は13時から,10日は9時から。

上本町の駅のすぐそば。

 

この4月号の裏表紙の裏に案内がある。

「創立60周年記念」と冠がついているところは字体もしっかりしている。

しかし,中間研究集会は・・・。

スペースがなかったのだろうね。

 

話が飛んでしまった。

よくあることだが。

 

備瀬さんが紹介しているのは,「自転車でGOGO」だ。

竹川さんが2013年に取り組んだ実践(注目の実践になった)は,「台車でGO!GO!」だった。

竹川さんの実践は,運動会の実践で,子どもが台車を押してスラロームをやったり,段ボールの山を崩しながら競争するような実践だった(やや曖昧)。

なぜ台車なのか,なぜ自転車なのか,特支の子たちへの配慮は何かなどがわかりやすく書かれている。

 

2013年の冬大会での竹川さんと大宮さんの報告では,とにかく子どもがどう思うのかということを徹底的に追求して,活動が終わった後も,子どもの気持ちが教員で検討され,教材や活動や関わり方が修正されていくのだった。

子どもの見方が鍛えられるね。

 

備瀬さんの実践記録では,最後に次のように書かれている。

「中でも,友達への関わり方が暴力的であるために避けられがちだった生徒が,友達につばをかけるという,普通なら当然嫌がられてしまう行為を『つば爆弾』という楽しい関わりとして友だちに受け入れてもらったことで,クラスの中に楽しいことをする存在として位置付いたことは大きかったです」(5ページ)。

 

こういう見方というか,普通は悪いことだからやめようという指導が入るところを,「楽しい関わり」に反転させてしまうこと,「ダメな自分」ではなく「いけてる自分」にしてしまうというナラティヴ・プラクシスがいい。

 

しかし,実践記録的にいえば,このプロセスをもっと書いてほしいところだ。

なぜ,「嫌がられる行為」が「楽しい関わり」となったのか。

そのために教師はどう働きかけたのか。

子どもたちの中に葛藤があったのではないか。

それがどうやって納得していったのか,あるいはしていないのか。

ここが知りたいところだ。

しかし,「今月の授業」は実践記録ではないから書けないのかもしれない。

その意味では,やはりきちんと報告をしてほしいと思う。

 

僕の教え子にも,教材がどうだとか,活動がどうだということも大切なのだが,その子どもの見方と教材や活動への反映の方法について,特に学んでほしいと思う。

それは,普通学級の子どもたちでも同じかもしれない。

いかにして,みんなが楽しめる環境をつくるのか。

悪口の言い合いではなく,自分たちにとって気持ちいい空間にするために,どんな言葉が必要で,どんな意味が立ち上がるといいのか。

その方法をどうしていくのか。

 

定式化しなくていいから,いろいろな方法を教えてほしいと思います。

 

 

 

 

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