理論と実践の関係について(新説)
こんにちは。石田智巳です
今日,3月29日は,夜の9時からNHKスペシャルで,宮城の制野俊弘さんの実践の記録が放送されます。
震災によって,自らの実践を変えざるを得なかった制野さんの取り組みの意味に迫れるかもしれません。
楽しみです。
さて,昨日は学習指導要領の改訂に向けた作業が,上意下達となって日々実践をしている教師たちや,子どもと向き合う教師たちと,乖離があってはいけないという毎日新聞の社説から話を展開しました。
そして,思わぬ方向へ進んでいって終わりました。
今日は,その続きというのか,落とし前をつけようと思います。
では,どうぞ。
昨日のブログでは,学習指導要領の上意下達に対して,ドイツのある州の住民参加のやり方を紹介した。
そして,実践記録をもとに実践をしていくことで,実践の伝承ができると書いた。
伝承されるべきは,教育の理念(お題目)ではなく,実践とそれに含まれる理念である。
こういうことが書きたかったわけではないのだが,書いてみたらそうなったということは,どこかでそれが書きたかったということだろう。
いつもいうように,書きたいと思ったことは,後で知られるのだから。
でも,一応,別のことが書きたかったのだと言っておきたい。
それもいつものことだが。
以前,実践という概念は,1930年代に登場すると述べた。
これは,当時の教育学が外国の翻訳調で,ちっとも現実にそぐわないということに失望した教師たちが,みずからの教育実践を出発点にしようとしたのだ。
そのために,「教育の実際」を記録し始めた。
その「教育の実際」を教育実践と呼ぶようになった。
それが,1930年代後半。
実践という言葉が生まれたというよりも,教育という言葉に実践という言葉が結びついて,教育実践となったということだ。
もっとも川口幸宏さんは,さらに細かく歴史を調べている。
それによれば,1899年に『実践教育学』(槇山栄次、金港堂書籍)が出されている。
ただこの本の中では,いわゆる「教育実践」にあたる言葉は,「教育ノ実際」であったという。
実践教育とは,まさに思弁的な教育理論の現場への適応という発想であったという。
1930年には,篠原助市という影響力のあった学者が『理論的教育学』という本を著す。
そこでいう理論教育学とは,現場への適用という発想は全くなく,実践とは独立した一つの科学的な立場の樹立が目指されていた。
この立場だと,理論は実践を指導しないから,実践は実践家がやってくれということになるのかな。
ときどき,教育実践を見ることなく,教育実践批評のようなことをする教育学者がいるけど(政治家も同じだ),それよりはましか。
でも,そうなると,理論と実践の関係がつきにくい。
同じ1930年には,ヘルンレという人の『プロレタリア教育の根本問題』という本が屋井参一という人によって翻訳されている。
その本では,教育の事実に立脚して,それを分析して,批判的検討を加えることで,理論を構築しようとする。
その理論をもとに実践をして,理論を確かめていくといういわば,弁証法的な関係に置かれている。
ここでは,理論→実践ではなく,理論と実践は対等に並び,その間に→と←が上下にならんだ記号で結ばれる。
手書き入力したらありました。
理論⇔実践
これ以降については省略するが,理論と実践に関しては,以下の3つが区分される。
これは理論の側から実践を見た場合だが,②は実践もまた独立した領域になる。
当然,実践のなかに理論があるという立場もある。
それが,③に近いのだろうが,たぶん,当時と今とはニュアンスが違うと思う。
でも,実践という言葉を教育に結合させて,「教育実践」という言葉を使い始めた頃から,理論化を目指すというわけではなくとも,実践ベースの現場教育学が出てきたのだろう。
それにしても,理論と実践の弁証法という発想が出てくるのが,外国の文献からというのが面白い。
やっぱり日本語のなかにある上下関係を表す体系が,いつも上下関係を作ってしまうのか。
でも,西洋でも同じような発想で,理論と実践,精神と身体,ブルジョアとプロレタリア,ホワイトカラーとブルーカラーなど,昼と夜のような二元論的発想はあった。
だから,理論と実践とが対等に表現されるのが,『プロレタリア教育の根本問題』というマルクス主義的教育学に出てくるんだね。
マルクスの理論がプロレタリアの解放にあったならば,教育におけるプロレタリアであった「実践」の位置を理論と対等,もしくは位置を逆転させたということだ。
実践の解放は,マルクス主義教育学から。
珍説と言われるかもしれないけど。
これは面白いね。
そして,実践ベースの教育学は生活綴方からだし。
今では,「実践の中の理論」が当たり前のようにいわれているし,レヴィ=ストロース(ジーンズのメーカーと一緒の名前)の構造人類学なんかによって,エスノグラフィーのような方法が出てくると,進んだ西洋と未開の地という二元論もひっくり返される。
ひっくり返したりするには,ある装置が必要になるわけだ。
それが,エスノであり,ナラティヴだったりする。
エスノやナラティヴだといいけど,マルクスだと体制は嫌がり,嫌うよね。
今日も書けなかったけど,やはり構造主義的に捉えることは必要だ。
理論と実践を構造主義的に捉えるということが書きたいのに,それが書けないということは,本当は(潜在意識的には),書きたくないということなのか。
書けなくしている何かがあるというのは,フロイト的な意味で構造主義的だ。
今,ルーターがない中で,iPhoneの脆弱なテザリングを頼りに書いているので,書くのが本当に大変でした。