走り幅跳び実践の系譜 制野実践を読む
こんにちは。石田智巳です。
今日こそは,制野俊弘さんの「こんにちは!パウエル君」を読みます。
ただ,有名な大阪・枚方の「体育の理科」や,佐々木さんの高校女子の走り幅跳びの実践もあります。
さらに,前史には,寒川道夫の「山芋」の巾跳びの詩もあります。
が,今は取り上げません。
では,どうぞ。
久保さんの『体育科教育法講義 資料集』(創文企画,2010)の一番最後に取り上げられているのが制野さんの実践である(p.216~)。
ここには『からだ育てと運動文化』大修館書店,1987年と書かれている。
あれ?
制野さんは僕よりも3つほど年上だから,1987年にはまだ大学を卒業していないよな。
僕は入学した年。
しかも,パウエルが世界記録を出したのは1991年の世界陸上のときのこと。
その前は,カール・ルイスの時代だから,「パウエル?誰?」となるでしょ。
「こんにちは!カール君」だったら,お菓子のカールか,長嶋さんの「カール,カール」みたいで,これは「いわゆるひとつ」のおかしかったわけだ。
なお,1991年の世界陸上は僕にも少し影響があった。
それは,僕は大学4年のとき,1990年のことだが,円盤投げでインカレに出場した。
インカレは毎年東京の国立競技場で行われる。
しかし,まさに翌年の世界陸上のため,改修工事が行われており,残念ながら平塚の競技場で行われた。
ということで,これは1987年ではなく,1997年の間違い。
なお,222頁には,「体育の理科」の実践が,『体育科教育』19783年の11月号に掲載されていると書かれているが,それだとあと17768年後の話だ(1973年)。
で,初出は『体育科教育』1992年10月,11月号に載っている。
『たのしい体育・スポーツ』の1.2月合併号にも書かれているし,先にも書いたが,パウエル君とは,走り幅跳びで世界記録8m95cmを出したマイク・パウエルのことだ。
そのパウエルに授業の途中で会ったということだ。
制野さんは「持っている」ね。
制野さんは,スポーツとしての走り幅跳びにおける踏み切り線の意味,さらに踏み切り線を軸とした体育実践の系譜を読み込んで,実践化を試みようとした。
その際に,まず「踏み切り線はなぜあるのか?」を子どもに問うことからはじめる。
その際に,パウエルの世界新記録のビデオを見せるところからスタートする。
これが,まずそれまでの実践の系譜との違いだ。
余談であるが,僕が大学で寮にいたとき,鹿児島のアサヒの先輩の反対隣に住んでいた方が,ビデオを持っていた。
それは,ボタンを指で押し下げる方のやつで,今となっては旧式だが,あれが80年代の最新式だったし,ビデオなんて持っている人はいなかった。
その先輩は,三河の呉服屋の若旦那で,シルビアに乗っていた。
ちなみに名前がヒデオだったため,みんなにビデオと呼ばれていた。
制野さんは,このビデオを見せて,パウエルは踏み切りがなくとも8m95を跳べたかどうかを子どもに訊く。
「跳べた12人」「跳べない3人」
そして,子どもにも踏み切り線があった方がいいか,いかない方がいいか訊く。
「あった方がいい2人」
ない方がいい,わからないが13名ということになるが,そこは書かれていない。
そして,踏み切り線はなぜあるのかの討論をさせる。
そこに綴方教師の制野さんは,子どもの作文を載せる。
そして,そこから子どもの「消極的な姿勢」と「背後にある学習観やスポーツ観」を気にしていく。
そういうネガティブな感想を持つ子どもが,「主体的に学習に参加するには,『踏み切り線はなぜあるのか?』をみんなで追究し,章が述べた走り幅跳びのおもしろさをみんなでつかむ以外にないのではないか。そんな思いを強く抱いた」(久保,2010,p.217)。
これすごいよね,二つの意味で。
実践が行われたのは,1992年の1学期のこと。
体育同志会では,1991年の夏大会で,出原さんの中学校の教育課程試案ABが出てくる。
それは,教科内容を軸とした教材の編成(配列)というものであった。
体育同志会では,ここから「走り幅跳びで何を教えるのか」,逆に「何を教えるために,走り幅跳びをやるのか」という言葉が出てくる。
もう少し大胆にいえば,ここが教科内容研究の「零度」なわけで,それ以前の実践を分析すればわかると思うが,「○○で何を教えるのか」という言葉づかいはされていない(はず)。
せいぜい,「わかる」ことと「集団づくり」だと思う。
しかし,制野さんのこの実践記録は,先人の問いを引き継いでいるのだから,言葉づかいは違うにせよ,「踏み切り線」で何を教えるのかを問うているのだ。
もう一つすごいのが,学習観やスポーツ観を問題とし,そこに迫る学習となっているのだ。
今でこそ,この「観に迫る」というのが,体育同志会の人口に膾炙してきた。
それは「3ともモデル」のおかげだと思うが,制野さんは,3とものうちの「意味の問い直し」を行っているのだ。
言葉よりも先に。
これ(構造主義的な実践記録分析)は,研究の対象に相応しいでしょ。
僕は多分やらないけど(やるかも)。
というか,ここまで書いたらもう他の人がやれないかな。
誰か,これを研究としてやってください!!
研究といえば,ここから制野さんの実技が始まるが,実験的,研究的なのだ。
踏み切り線がない場合とある場合で,実際に跳んで,どちからがいいのかを書かせる。
そして,それを表にまとめている。
そして,助走の速度と踏み切りの関係について引き出し,動力と制御の関係の重要性を指摘する。
「動力と制御」は,「学習内容としてとても重要な意味を持つ」(p.217)。
「動力と制御」は,「体力と認識」と置き換えてもいいが,これは伊藤高弘さんの言い方で,「身体運動は動力と制御からなる」のであって,どちらも欠かすことができないのだ。
踏み切り線肯定派が増えてきたところで,「遠くへ跳ぶ」ことをテーマとした学習へ。
ここで3人のグループで,①助走スピード,②踏み切り時の視線と角度,③空中姿勢を探らせていく。
70年代の探求的なグループ学習が行われる。
そして,結果が出る。
結果は,遠くへ跳ぶことというよりも,自分たちの走り幅跳びの練習の方式を造ることに向けられる。
『体育科教育』には,跳ぶときの目標となるように,空中にぶら下げたヘルメットの写真があったが,版権か紙幅の関係でそれはない。
で,ここで制野さんは,前半の学習の締めくくりとして,パウエルに手紙を書くという形で,自己分析させる。
昔,ちびまる子がマンガのなかで,鉄棒不要論だったか,体育不要論だったかをいっていて,それに対して,体育受講の学生がちびまる子に手紙を書くという出原実践(だと思う)があった。
ちびまる子は,手紙を受け取らなかったが,パウエルは受け取った。
というか,パウエルに会って話を聞く機会を得た。
制野さんは「持っている」ね。
詳細は書かないが,パウエルだってあんまり考えていないわけだ。
ルールにあるからやっているだけで,そんなこと考えたことがないから,訊かれても明確に答えられない。
でも,「大切なのは,スピードのコントロール」だということを引き出し,これを後期の学習のテーマにしていく。
助走と踏み切りの間というか,「つなぎ」が大切になる。
ここで,助走のスピード曲線(線はないが)が出てくる。
そして,助走スピードと記録の関係を探らせる。
結果,「全力ではない」助走が全力よりも「記録がいい」という結果が引き出される。
動力と制御の関係を捉えることは,「『跳べた』『跳べない』の出来高だけに着目した授業や教えられた技術を『身につける』教え込みの授業,子どもがバラバラにさせられた状態で一人一人の課題が個人の問題とされる授業から脱皮する契機を含んでいる」(p.220)。
制野さんは,「技術観を変革する第一歩」といっているが,これもすごいね。
技術と集団で,グループ学習がつなげるのではなく,「わかる」ことでつながるだけではなく,技術観,スポーツ観が変わるといっているのだから。
この辺は,出原さんを意識しているのだろうが,じぶんなりに答えを出している。
そして,さらに踏み切り前の三歩の歩幅まで測っている。
そして,踏み切り前のストライドが狭くなっている方が,達成率(ベスト分の記録の率)がよいことが事実として示されている。
こうして,子どもたちの実技の学習は終わるのだが,制野さんはそこで終わらせない。
授業のテーマであった踏み切り線の意味を書かせている。
そのなかには,自分にとっての意味が書かれたものが多いが,パウエルの「考えたことがない」発言に対して,つまりパウエルに対して踏み切り線の意味を伝えるように書かれているのだ。
子どもの方が上だね。
さて,佐々木実践から制野実践までを見てきたが,佐々木さんの走り幅跳びの「踏み切り線」を我がものにするという意味と,制野さんのそれとでは変化していることに気づく。
それは,方法的な違いであるが,制野さんは単に走り幅跳びの実践の系譜を学ぶだけでなく,探求的なグループ学習,作文(綴方),「動力と制御」などの語る言葉も身につけて,それをいかんなく発揮している。
パウエルという効果的なアイテムもあったが,戦後の走り幅跳び実践の系譜として最高位(?)に位置づけるに相応しい実践だ。
この実践は「やりすぎ」なのかもしれないが,この実践の上に次の実践が出てくるのは間違いないのであって,これ(ら)を意識した実践がほしいと思う。
もちろん,意識はするけど違うアプローチをするのもありだ。
書きすぎましたが,これで走り幅跳びについて終わります。
最高字数となりました。