体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育』シリーズ1と2が手に入りました。その2

こんにちは。石田智巳です。

 

一昨日は、『楽しい体育』シリーズの話を書きました。しかし、つい話が脱線してしまい,そのまま着地をしました。

脱線は電車で,着地は飛行機ですが,そんなことは気にしません。

脱線ついでに,一昨日の続きを書いて,元に戻るためのルートを見つけました。

 

ということで,今日は一昨日の続きで,『たのしい体育』シリーズの2「投げる とぶ」の話をします。

*と思いましたが,今日も不時着で終わります。

では,どうぞ。

 

昨日のブログに書いたように,ブックオフに体育同志会の『たのしい体育』シリーズがおいてあったので,つい買ってしまった。

「○田蔵書」という立派なはんこが押してあったが,あまり読んだ形跡はない。

 

さて,「投げる とぶ」の方は,岨さんが担当。

最初の方に,走り幅跳びのことについて書かれている。

走り幅跳びは,やり投げが狩猟のためにやっていたように,川を渡るだとか越えるとかという生活における意味があったという話や,踏切前三歩の助走の歩幅を測るだとかが書かれている。

 

これは,なかなかいい視点だ。

と僕が感心することではないのだが。

久保健さんの出された『体育科教育法講義 資料集』(創文企画,2010)にそのことが書かれているのだ。

書いているのは久保さんではないが。

 

かつて久保さんは,雑誌『教育』の何年何月号か忘れたが,その雑誌に走り幅跳びの実践のことを書いていた。

内容もうろ覚え。

それは,上下になっていて,どちらかが走り幅跳びで,どちらかでは「ある研究会の考え方」を批判していた。

そっちがメインだったような,上下の関係が今となってはわからない。

 

それで,そのなかに戦後の走り幅跳びの実践の系譜について書かれていた。

それが資料として,この『講義 資料集』では読むことができる。

そこには4つの実践が載っている。

 

一つ目が佐々木賢太郎さんの『踏切線の学習』。

これは本にはなっていない。

『体育の科学』という雑誌の1960年2月号に載っている。

なお,「またか」とため息をつかれそうであるが,僕はこの文章の初出(ガリ版)を持っている,コピーだが。

 

このなかで,佐々木さんは「踏切線は何のためにあるのか」を生徒たちに問う。

佐々木さんは,ここで「形式から内容へ」「内容から形式へ」という言い方をしていてわかりにくいのだが,問題提起をする。

そして,踏切があわないのは誤差があるからだとするが,どのぐらいあっていないのか,なぜあわないのかをわからせるために,歩幅を測る。

 

中村敏雄さんに言わせると,歩幅を測った初めての実践であるとのこと。

そして,中村さんの次の言葉がいい。

ちょっと長いが引用する。

 

「佐々木さんがとくに力点をおいたのは勝敗を差別の条件にしないということであった。

佐々木さんが技術分析を学習の中心に据えたのはそのためで,結果の優劣ではなく,結果を生む原因に着目し,これを追求,考察するための視点と方法の指導が佐々木さんの指導の中心課題であった。

この原因の一つに『貧困』が据えられたのは当然で,単に生物的な身体条件だけが結果を左右するのではないということを,佐々木さんはとくに重視した。

また走り巾跳びの学習で『足跡調査』を行ったのはおそらく佐々木さんが最も早く,これが結果を生む原因の調査,研究への第一歩と設定された実践であることは,他言の必要がない」

出典は,中村敏雄「『体育の子』に思う」,日体大大学院保健体育科教育学研究室編『いま,佐々木賢太郎(中間まとめ)』1995

 

いいでしょ。

同世代の中村さんだからこそ,こういうことが書けるのだと思う。

 

ちなみに,佐々木さんがいう「形式から内容へ」というのは,次のことだ。

走り幅跳びは,踏切線(板)で踏み切って跳ぶというルールがある。

ルールがあるから盲目的に従ってやるのではない。

からだづくりの体育を標榜する佐々木さんは,からだのための走り幅跳びとして,踏切線に支配されるのではなく,踏切線を支配することを実践のねらいにする。

 

だから,実践の中心は「踏切線の支配」になる。

これが「形式から内容へ」の考え方。

えっ,わかりにくい?

 

つまり,走り幅跳びという競技の形式(踏切線を越えない)ことから,自分自身の走り幅跳びの内容を創り上げていくという意味。

しかし,踏切線があるから「あわさんならん」と思う子どももいて,それでなかなかうまくいかない。

そこで,佐々木さんは,踏切線で跳ぶという形式を取っ払って,子どもの内容の側から迫っていって,形式の方へ向かうことを一応はOKする。

が,実践記録がやや尻切れのようになっているのだが,その子を納得させようとするようにとれるのだ。

 

そこに久保さんは,「待った!」をかける。

そして,その時代に待ったをかけた人の実践に語らせる。

それが,宇都宮の塚田実さんの実践だ。

 

ここから塚田実践を展開するのは大変なので,また次の機会にします。

あ~あ。

長くなりそうだ。

 

 

 

 

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