体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

佐々木賢太郎さんの話 矢川徳光さんとの関係

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,佐々木賢太郎さんの話の続きです。

まず前に,白浜集会の様子1日目の2 で書いたことを振り返ります。

それから,矢川徳光さんとの不思議な関係について書きたいと思います。

では,どうぞ。

 

佐々木さんは,1952年の4月(実際には5月)から生活綴方の実践を始める。

それまで,鍛える体育をやっていた佐々木さんは,それを戒められて,生活綴方を志すわけだ。

 

僕の手元には,1952年5月30日に書かれた体育授業の実践記録「バレーボール」が残っていて,それをみると,いびつなほどに実技の時間が少ないのだ。

歴史の話や,ゴムなどの素材の話などが並んでいた。

それはなぜなのかを調べていたら,矢川徳光さんの『ソヴィエト教育学の展開』という1950年の本の中にある書き込みを見つけた。

 

 「己のむかふ方向は,

○総合技術教育→方法,理論,実践。

○生活教育→ 綴方,詩を通じ,子どもたちの魂の発達。

平和教育→ 人権擁護,生命の尊重(健康),安全,休養,疲労と回復」

この総合技術教育は,ポリテフニズム的教育という。

 

矢川さんの本には,「裁縫を手わざとして教えることもできるし,材料や道具や動力などの分析と結び合わせながら,裁縫を教えることもできる。-この後者のようなものをポリテフニズム的教育という」と書かれている。

だから,バレーボールの実践は,そのままポリテフニズム的になされていたといってよいのだ。

 

で,『体育の子』が出版されたのが,1956年である。

この翌年(1957年2月)に,矢川さんの『国民教育学』が出る。

この『国民教育学』といえば,「ダマサレナイ」学力,「テヲツナグ」学力,そして「平和を守る」学力で有名だ。

 

この本の中に,『体育の子』を批評する箇所がある。

矢川さんは,佐々木さんの実践記録を丁寧に読みながら,「熱情から生まれている佐々木の実践は人びとの心をうつ。わたしもまた,感動しながら,いわば心身一如の彼の指導記録を読むのである」と述べる。

 

しかし,次のようにも云う。

「だが,さて,ここまでくると,体育とはなにかと考えこまされる」中略。

「なるほど,『体育の授業だけを体育だ』とするのは『体育の一面性』かもしれない。では,体育の独自性はどこにあるのであろうか?」という疑問を示す。

 

そして,佐々木さんの「すくなくとも体育では,からだをたくましくそだてるためにからだをみつめさせる教育と,そのからだをささえるものへの教育を強く打ちださねばなるまい。とくにモラルと美の点について,たのいかなる教材よりも重大な使命をおっている。それだけに,人間そのものの想像のための努力が体育では要求されるのである」(佐々木,「肩を組み合う子どもたち」,『体育の子』所収)を引いて,次のように云う。

 

「いったい,モラルを深く教えるであろう文学教材や歴史教材よりも,また,美を深く味わわせるであろう音楽や図画よりも,つまり,『他のいかなる教材よりも』,モラル教育,美の教育にたいしてヨリ『重大な使命をおびる』体育という巨大な領域を教科の独自性は,いったいどんなものであろうか?その『生活体育』という教科は人間形成の総元締のようにさえ聞こえる」(矢川『国民教育学』pp.183-185あたり)。

 

要するに矢川さんは,佐々木さん,あんたは体育の教師なんだから,子どものからだ,身体の円満な発達に責任を持てといっているわけである。

前にも紹介したが,矢川さんは,知的教育,身体教育,ポリテフニズム的教育が教育の3つの役割だとした。

当然,体育は身体教育だといっている。

 

しかし,その3つの領域を佐々木さんは一人で担おうとしていた。

なにしろ,鍛える体育をやめた佐々木さんは,自分の生きる道を求める際に,実技以外の領域としては,必然的に知的,美的,そしてポリテフニズム的教育に求めるしかなかったからだ。

 

だから,1952年の4月から佐々木さんは自身の実践の出発点として,生活綴方という方法と,矢川さんに教えてもらった3つの領域をもとに実践をはじめたのだった。

 しかし,その矢川さんに実践の批判をされるんだから,たまったものじゃないだろう。

 

ちなみに,矢川さんは上の引用で,佐々木さんの「教材」概念を間違って捉えている。

つまり,佐々木さんは,「体育教材」一般のことを指していったわけではなく,「タンプリング」(このときは,組立体操)のことを指していっていたのだった。

 

だから,体育がモラルへも美へも責任を持つというのではなくて,他の体育教材に比べて,タンプリングでは,より重大な使命をおびているといっていたのだ。

まあいずれにしても,佐々木さんの構想はデカかったのだが。

 

それから,佐々木さんには,矢川さんに反論する文章がある。

実践家だから実践記録で反論する。

しかし,それは1957年のことで,『体育の子』以降のことになるので,ここでは取り上げない。

 

またどこかで取り上げます。

 

 

 

 

広告を非表示にする
http://tomomiishida.hatenablog.com/