肩凝りの話2
こんにちは。石田智巳です。
昨日,肩凝りの話を書きましたが,今日は,その続きです。
整体にも行ってきました。
では,どうぞ。
昨日(水曜日)は,朝起きるとまだダメだった。
火曜日よりもひどくなっているような気がした。
火曜日は午後よりも,午前中がひどかったので,水曜日もそうなるかと思った。
整体に行こうと思った日にいけなかったのがつらいところだ。
それで,朝は右耳の後ろにビリが来るので,藁をもすがる思いでネットで検索してみた。
キーワードは,「肩こり」「頭痛」「体操」である。
そうして,いろいろ見ていたら,「30秒で効く肩こり体操がスゴいと話題 」というサイトがあった。
それを見ながら,一緒に「あべこべ体操」なるものをしてみた。
でも,これはいわゆる肩こりをほぐすものだが,僕の首から肩,背中にかけての頑固な凝りはほぐれない。
ワープロをずっと打っていて,「凝った」と思ったときにはいいのだろうが。
話変わるが,「肩が凝る」というのは,日本人だけだというのは割と有名な話だ。
これは夏目漱石が造った言葉とされる。
じゃあ,それ以前にはそういった症状は無かったのか。
あったのかもしれないし,無かったのかもしれないが,無かったのだろう。
というか,言葉が出来ることによって自覚されるということだ。
この話は,ソシュールの言語学におけるシニフィエとシニフィアンの関係として語られる。
普通,僕らは,客観的な対象にそれぞれ名前を与えていくという仕方で,ものを区別していると思う(と思う)。
が,ソシュールは,そうではないという。
例えば,犬という言語記号(シーニュ)があると,それは,「いぬ」という音(シニフィアン)と,概念(の意味)としての犬(シニフィエ)の二側面を持つ。
このあたりは,尼ヶ崎彬さんの『ことばと身体』を読んで勉強した。
日本人は,虹を7色に見分けるが,アメリカ人は6色で,アフリカのある民族は2色に分類するという。
アメリカ人にないのは,藍色だそうだ。
尼ヶ崎さんは,インディゴがそうじゃないの?というが。
ということは,藍という言葉があるから,分節できるのであって,客観的な7色が先にあるのではないということになる。
同じことを内田樹さんは,フランス語のムートン(羊)のシニフィエは,英語ではシープ(羊)とマトン(羊肉)となって,一致しないことを上げている。
これは,国語(ラング)の体系によって違う,つまり恣意性を持つということである。
そうそう,肩凝りの話だった。
ということです。
言葉が先なのです。
この話を実践記録論で展開したいものだ。
ラングとパロールとあわせてね。
さて,最初のyou tubeの体操は,効かなかった。
別のページを探していたら,面白いページがあった。
所ジョージさんの「学校では教えてくれないそこんトコロ」で,3つの体操が紹介されていた。
で,面白かったのは,肩甲骨の可動域が広いトレーナーが出てくるのだが,なんとそれが武井壮さんだった。
バラエティに出てくる前のことだと思うが。
腕立ての姿勢で,背中にウズラの卵を乗せて,肩甲骨を動かすとウズラの卵がパンと割れるのだ。
それで,ここで紹介されている体操をしてみた。
確かに,効いたような気がする。
全く痛くなくなったわけではないが,昼下がりにはビリが無くなった。
でも,ここで調子に乗ってはダメだから,やはり整体に行くことにした。
予定としては,JR奈良駅そばの整体まで電車でいって,終わったら走って帰るつもりだった。
だからランニングの格好でいったら,「整体の後はランニングは駄目」といわれた。
で,1時間背中と肩の凝りをほぐしてもらう。
80年代の演歌が流れていた。
中国の方なのに,日本の演歌が好きなのだろうか。
途中で1回,そして終わり頃に「ものすごく硬いですね」と云われた。
1時間ではほぐしきれなかったようだ。
前に腰を痛めたときは1時間で治ったので,治るものだと思っていた。
なかなかうまくいかないものだ。
ということで,終えてまた電車で帰った。
でもすっきりした感じはする。
朝,目が覚めると,軽くではあるが「ビリ」っと挨拶してくれた。
長いつきあいになるのだろうか。
やれやれ。