紀南作文教育研究会(紀南作教)の誕生
こんにちは。石田智巳です。
今日は,佐々木賢太郎さんの話の続きで,紀南作文教育研究会(紀南作教)の誕生について書いてみたいと思います。
佐々木さんは,この研究会に所属したのでした。
では,どうぞ。
これから紀南作教について書くわけだが,なにしろ作文の会だから,教師たちもよく書くのだ。
そのため,いろいろな記録が残っている。
それは,当時のほやほやの記録であり,しばらくしてからふり返って書いたものであり,また,紀南作教を題材とした研究もある。
しかも,戦後に発足したわけであり,関係者もまだご存命の場合がある。
なので,資料さえ集めることが出来れば,実証的な研究はできる。
僕は,紀南作教を作ろうと呼びかけを行った1人である真鍋精兵衛さんに話を聞いた。
ちょっと違うけど,佐々木さんのご子息ともやりとりをしたことがある。
紀南作教は,1952年5月10日に正式に発足する。
ただし,その原形となったサークルは,1951年の10月7日にできる。
そのときに中心となったのが,藤田伍与(かずよ)さんと,真鍋さんだ。
サークル結成から1年後に真鍋さんは,サークルを結成した理由を次のように述べている。
「会の結成そのものには,ぼくやフジタのあらゆる意味での心理的な動きがまじっていた。しかし,それよりも以上に,ぼく達仮免教師をして,困難な仕事の口火を敢えてつけさしたのは,日本の教育情勢の,ほっておくことのできない変化と,日本民族のための教育の研究に,じっとしておれないものを感じたからである」。
これは,まさに前のブログに書いたように,アメリカから輸入された新教育への批判である。
さらに,すでに始まっていた朝鮮戦争に見られるように,東西冷戦構造におけるアメリカの対日政策の転換もあった。
ところで,よく戦後新教育によって「学力低下」が起こったという批判がされる。
他にも,這い回る経験主義だとか,教師の指導性の後退だとかだ。
これって,ゆとり教育と全く同じ構図をしているところに特徴がある。
子どもの興味や関心を大切にするという子ども中心主義の思想で,学力低下が戦後2回起こったとされる。
ところが,藤田さんは,『教師の友』という雑誌(1951年1月号)に,「読み書き能力調査」について投稿しているのだが,その内容が興味深い。
そこでは,「『建造』『日時』が読めなかった中学3年生は93人中,それぞれ33人,52人であり,書きに関しては『読めないものが書けないのはあたりまえである』」といい,基礎学力の低さを嘆いている。
しかもこれは,「カリキュラムとか,ガイダンスとか,コアとか何とか頭をなやます横文字をはらいのけて,最も無難な書き取り・習字・そろばんに一生懸命な教師の学級も,新教育に夢中になっていた教師の学級も,どちらにも等しく学力低下がおきていた」のである。
ということは,戦後新教育によって学力低下が起きたのではなく,戦争によって奪われた子どもの学習の時間は大きかったということであり,単純に戦後新教育=学力低下というわけではなかった。
とはいえ,新教育でも,従来の方法でも学力低下が起きているということは,新しい教育方法の模索が必要になるのであった。
こういった状況において,藤田さんと真鍋さんは,和歌山全県下における民間教育研究運動を組織しようとする。
それが,1951年9月16日のことである。
全県下といっても,雑誌『教師の友』の読者に呼びかけたということだ。
そして,紀南の佐藤昭三,川合功一の2人が呼びかけに応えて参加した。
このとき,佐々木さんはまだ参加していない。
まるで体育同志会が最初に7人で出発したように,4人でひっそりと出発した。
これが紀南作教の前身,『教師の友』紀南グループであった。第一回の会合は,江住小学校で行われた。1951年10月7日のことである。
このときに決めたことは,およそ,次のことである。
1 生活綴方運動を推進する。
2 機関誌「紀南教育」を発刊する。
3 月1回例会をもつ。
4 冬休みに研究会をもつ。
体育同志会でも,支部活動は,例会,ニュース,会議の3点セットであるが,そんなことが確認されている。
しかし,このときはまだ生活綴方運動を推進するとあるが,なにをどうしていいのかわからなかったようだ。
「すでに国分(一太郎),鈴木(道太),無着(成恭)等諸氏により平和と民衆文化のためにたたかい今なおたたかいつつある北方教育の実態が発表された」とも書かれている。
これが,彼らの生活綴方の書籍を現していることはいうまでもないが,だからといって,すぐに綴方の指導が出来たわけではない。
それにはもう少し時間が必要であった。
以上は,「紀南教育」1号(1951年10月28日発行)に書かれている内容だ。
とにもかくにも,最初は,『教師の友』紀南グループであった。
佐々木さんが帯同するのはもう少し後のこと。