体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

原稿のこと

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,1月に提出した二つの原稿のことを書きます。

1つはまだ脱稿していないのですが,ほぼできました。

もう一つは,すでに提出しています。

今日はこのすでに提出した原稿のことについて書いてみたいと思います。

では,どうぞ。

 

火曜日の夜,東京のランともの石井ちゃん(一緒に走ったことはない)からメールが入った。

これは,僕個人宛ではなく,いろいろな支部の人に宛てたメールだった。

石井ちゃんも僕と同じ原稿を抱えていた。

 

この原稿は,次の『運動文化研究』(32号)が体育同志会の60周年記念特集をすることになっており,そこに載ることになる。

石井ちゃんは,70年代以降の特徴的な支部研究を取り上げる。

それで,メールで書いた内容に間違いがないかを確認しているということだ。

 

僕は,「全国研究大会における研究組織作り」を担当した。

これは割と早い時期に森敏生さんがプロットの構成をしてくれて,12月末締めきりと余裕を持って依頼をしてくれた。

しかし,こちらに余裕はなく,始動はかなり遅くなった。

そして,調べてみると,作業課題がたくさん見えてきた。

つまり,これは簡単なことではないことがわかった。

 

というのも,この特集は体育同志会の60年のうち,主に後半の30年を対象としているのだが,じゃあ1985年からスタートというわけにはいかないのだ。

それまでがどういう組織で,どういう内容を研究してきたのか,そして,後半30年はそれがどのように変化したのかという展開にしないと,おそらく分かりにくいのだ。

 

ということで,1955年からの研究組織の推移消長を調べることにした。

ところが,やってみるとこれは大変。

何が大変かというと,研究方法をどう措定するのかというが難しく,この問題にすぐにあたった。

つまり,ある意味で歴史研究になるのだから,その歴史を何の軸で貫くのかが最初の検討課題となる。

 

例えば,伊藤高弘さんは1969年に「学校体育研究同志会運動私論」を出している。

これは,69年の冬期合宿提案資料であり,これをもとに20周年記念の『運動文化論』(通称,赤本)に,今度は,「学校体育研究同志会運動史論」として,時代区分が書かれている。

このとき,伊藤さんは体育同志会の組織的特徴として有名な「実践性,持続性,楽天性」を掲げ,これを軸に時代区分をしている。

 

これは面白い発想であったが,それを批判的に摂取し,「国民運動文化の創造」という軸で研究の区分を行ったのが草深さんだ。

これは立命の人文科学研究所が出している紀要の別刷『保健・体育研究』(1983)にある。

これも手に入りにくいものであるが,必要であれば送りますので云ってください。

さらに,早川さんもその後,時代区分を試みている。

 

で,僕は60年をどうやって区切ろうとしたのか?

前半30年は,上の碩学大樹に任せることにして,後半をどうするか考えた。

というのも,後半になれば組織が大きくなるし,中央の研究の重点と,地方の重点にズレが出てくるし,研究そのものの領域も様々になってきて,なかなかそれを整理するのが難しいからだ。

 

90年代になると教科内容研究が行われ,2000年の中標津大会で発達別分科会が用意され,それ以降は教育課程研究が分科会レベルで進められるというのが一般的な見方だ。

しかし,それは神谷くんの原稿のタイトルになっている。

ということで,そういった軸を作ってストーリーを作ることは断念した。

 

そうではなくて,2つの視座を用意した。

1つは,1985年以降の夏大会の分科会構成の変化を表にして,そこから何が言えるのかを述べる。

もう一つは,『運動文化研究』などから,中間研究集会(かつては,『教育講座』といった)や冬大会のテーマや進め方などをみて意味づけるという方法である。

後者も表にしてみたが,表は載せなかった。

紙幅に限りがあるからだ。

 

でも,2つの方法でやってみて,いろいろわかることがあった。

1つは,やはり中高の先生方の減少による教材研究の停滞だ。

これには,発達別分科会に中高の先生を囲ってしまったこともあるかもしれない。

「停滞」は誤解を招くかもしれないが。

 

もう一つは,大学の先生方も減っていると云うことだ。

体育同志会には,体育科教育以外の大学の先生方も集っていた。

それは,「国民運動文化の創造」という学校体育に閉じない運動文化・スポーツの有り様を研究してきたからだ。

この人たちも少なくなっている。

 

その直接の影響とはいえないかもしれないが,「子ども・スポーツ・社会と学校づくり」分科会(通称,「子スポ」分科会)の成り立ちも象徴的だ。

単純に云えば,体育行事やクラブなどの教科外体育と,国民スポーツ分科会が一緒になって,「子ども・スポーツ・社会」となる。

それに,学校づくり分科会が加わってできたのだ。

 

実は,体育同志会の揺籃期というのか,黎明期にあたる生活体育の時代は,まさに正課体育(授業)とそれ以外のホームルームの時間や,体育行事などを有機的に関連づけて指導し,学校づくりを行っていた。

そのため,体育授業以上に,今で云う「子スポ」分科会の研究内容が大切にされていたのだ。

 

あとは,79年の京都大会で実技を,89年の京都大会で世話人制度を発足させた。

これは,京都支部の人たちの自慢のタネだ。

10京都大会は「若者会議」をやった。

 

こんなことを書きました。

12月末の締め切りからやや遅れて,1月6日に提出しました。

 

 

 

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