『たのしい体育・スポーツ』1.2月合併号 堀江さんの文章を読む
こんにちは。石田智巳です。
今日は,堀江邦昭さんの文章を読みます。
本当は,丸山さんが「5人の実践研究とその軌跡に学ぶ」という文章を寄せているので,僕が屋上屋を重ねることをする必要はないと思っていました。
でも,堀江さんの文章を読んでいたら,かつて書いた菊池浄さんの文章(菊池浄「末吉小学校を思う」を読む )と被るところがあり,面白く読めたので,書くことにしました。
では,どうぞ。
堀江さんには,僕がまだ和歌山にいたときに,支部の総会で話をしに来てもらったことがある。
ちょうど,退職された年だったと思う。
その時は,体育の話よりも理科の話の方が印象に残っている。
というか,なんで堀江さんは,体育同志会の総会に来て理科の話をしているんだろう?と思ったのだ。
そのときは,理科の話というか,実験をしてくれたのだ。
その時になぜ,理科の実験だったのかよくわからなかった。
堀江さんは,1969年に末吉小学校で勤務をはじめる。
そこで,先輩の教師たちに授業のダメ出しをされる。
体育の授業は見れば何をやっているのか分かるから,見られる方はつらい。
ところが,国語の授業で,教室にテープレコーダーをこっそり置いて,45分の授業を録音されたという。
「堀江さんの発言124回
子どもの発言17回
こういうの授業といわないんだよな。」
僕はこれには感心した。
日本では,木原健太郎さんの『教育過程の分析と診断』や重松鷹泰さんの『授業分析の方法』など,いわゆる科学的な研究は1960年頃に行われるようになる。
小林篤さんが書かれていたが,要するにテープレコーダーが使えるようになることで授業を再現することができるようになるのである。
もう一つは,そういう研究の方法が輸入されてきて可能になったこともある。
ただし,当時はまだオープンリールで大きく,しかも高価だったこともあり,そうそう使えるものではなかったという。
で,小林さんも,教師の発言を分析する研究をされていた。
それが,1962年だった。
もちろん,単純に発言の回数だけではなく,「発問」「指示」「説明」だとか,「賞賛」だとかのカテゴリーを作り,説明と指示ばかりの教師よりも,発問や賞賛などが多くあるほうがいいとかそういう研究だ。
で,それは当時,大学教員の研究だった。
それを,それから数年もせずに,学校の教師が個人でやって客観的なデータとして提供するとはすごいことだ。
鍛えられるわけだ。
これは先輩教師が,若い堀江さんという教師に対して行ったわけだが,子どもの研究にも応用する。
つまり,子どもの事実をつかまえることで,子どものわかり方やでき方に含まれる法則性のようなものを引き出そうという研究だ。
これもすごい。
「具体から抽象へ認識を飛躍させていくには,あいだにタイルのようなものが存在するのではないかという確信へ近づいていった」(18頁)。
タイルとは算数の水道方式で,数を量で表す教具のことだ。
球技の「2対0」もタイルの役割を果たすという。
そして,理科の実験である。
先に,僕は堀江さんがなぜ和歌山に来て,実験をしたのか分からなかったと書いたが,実はまだよくわからない。
理科の素養がまるでないのだ。
そして,体育同志会では有名な,「ゲームの心電図」の誕生が語られる。
2対0の学習内容が,確かめのゲームの中で生きているか,実証していく必要が出てきたという。
まさに研究だ。
そして,それを捉える方法が,パスのつながりを記録し,コンビネーションからのシュート率を割り出すという方法で,そのときのスコアが載せてある。
このときは子どもではなく,あくまでもパスのつながりを見ようとしていたことが分かる。
それに対して,テープレコーダーをもって,ゲームの実況録音をして,このテープ起こしをやってゲーム記録を作って,ゲームを分析しようとする。
なるほど,僕はここで学会論文で通用するような大発見をした。
が,出し惜しみをせずに書いてしまおう。
つまり,先の教師の発言を記録した素朴な授業研究は,テープレコーダーがあったからできたのだった。
もちろん,速記録や回数を正の字でチェックしていくやり方もあるだろう。
で,心電図が生み出されるのは,最初はまさにゲームを見て,速記録やカテゴリーごとにチェックしていくやり方が取られていた。
それを,テープレコーダーに録音して,それを起こしてゲーム記録を作っていく。
授業の場合,授業記録がテープレコーダーによって,ゲームの場合,ゲーム記録がテープレコーダーによって作られるのだ。
そして,尊いのは,これを教師たちが自らの研究で生み出したということだ。
二人のコンビであれば,パスしてシュートやパスリターンパスからのシュートが,3人のコンビであれば,3人が絡む記録がどのぐらい出たかで,うまくなったかどうか分かるのだ。
僕らも,彼らが子ども認識や習熟に迫ろうとしたように,事実を探る研究が必要になると思う。
あっ,このぐらいでは学会論文には通用しないか。
堀江さんは,最後に,末吉小で鍛えられたことを述べている。
このナラティブを解釈すると,木原さん(成一郎)がどっかの研究に,初任からの5年までの課題と,5年から15年までの課題だったかを載せていた(多分その引用も木原という人だったと思う)が,まさに5年未満の教師の課題にあてはまる。
「最初の3年間は,明日の授業のことで精一杯で,自分のめざすものは何かなど,考えも及ばず,毎日の焼酎となっていた。
末小の仲間に鍛えられ,支えられて,同志会と出会い,一人前の教師(に)育てられていったのだと思う」。
だから,若い先生は早いうちにいい教師(たち)との出会いがあるといいね。
ということで,あなたも体育同志会に来ませんか?