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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』1.2月号 田中論考を読む(と思う)

運動文化論 『たのスポ』を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

昨日は,『たのしい体育・スポーツ』1.2月合併号の田中論考を読むと書きながら,昨年の10月号を読んでいました。

しかも,読んだというか,読んで自分が考えたことを勝手に書いて終わりました。

何の主張もありませんでした。

今日も何かを主張しようと思って読むわけではありません。

何が出てくるのかは,ワープロを打つ手に訊いてください。

では,どうぞ。

 

今日は,「運動文化論を自己点検する」を読む。

というか,もう2回読んだ。

久保さんの論考を読んだときに書いたように,あるいは昨日もそのことに触れたのだが,「時代認識」が重要であることを教えてくれる。

 

今,時代はだんだんと戦前と同じような状況になりつつある。

というか,戦争ができるようにして,焚書坑儒とまではいかなくとも,国家の秘密は漏らしたら罰せられ,愛国心が語られ,総動員体制が求められる。

愛国心を強調する首相は,一部の取り巻きを除いて,戦後の日本人,つまり今の日本人が嫌いという変な愛国者なのだ。

 

丹下さんは戦争経験者だから反省も大きかった。

体育同志会を作った面々も,戦前戦中と戦後の断絶と連続を経験したため,連続面を否定しようとサークルを作った。

このときは,教育委員会のメンバーや校長なんかもいた。

しかし,59年には組織(というか研究の体制)にほころびが見られるようになる。

それが,「福寿司の座談会」なんかに書かれている(『運動文化論』赤本,154頁~)。

 

それからだんだんと,右と左の対立は深くなっていく。

そして,戦後70年で,右はすっかり戦前に戻っている。

なにしろ,かつての右だった野中弘務や古賀誠が,今の政権批判を新聞「赤旗」でしたというぐらいだから,推して知るべし。

 

55年というのは,体育同志会が誕生する年でもあるが,自民党が誕生した年でもある。

それが,運動文化論の萌芽が出てくる60年には,安保闘争があって,党是が自主憲法を制定するという自民党にあっても,その後,表だった動きをしなくなった。

 

話はかなり飛ぶけど,論文に戻る。

丹下さん達が戦争の反省の上に運動文化論が生まれたとするときに,その「反省がどこまで徹底されたのか,そこに不十分な点はなかったのか,それを検証することは今日の私たちの仕事である」と委員長はいう。

 

そして,60年代の運動文化論の進め方にも実は戦前・戦中の残滓が見られることを指摘する。

残滓はいいすぎかもしれないが。

 

それは,「無知蒙昧な国民に対する上からの啓蒙」(13頁)というやりかたによってなされた戦前・戦中と同じように,上から下へお届けするというやり方だったというわけだ。

 しかし,この問題はアナ・ボル論争にも見られる難しい問題なのだ。

 

そして,「科学的な知識を民主的に組織していけば社会変革が達成されるであろうという予定調和論や,真理を有する教師が子どもを導くという啓蒙的指導,教育こそが社会を変革するという教育万能主義が当時なかったのか,今後それを検証する余地はあるように思われる」(14頁)という。

 

さらに,運動文化論の理想と現実にズレが起きることで,不調和をきたすことになるともいう。

「運動文化のなかに主体的に参加できない・しない人の存在の中にこそ運動文化論の真価が問われているのではないだろうか」。

 

田中委員長が敢えてこのことを言うのが,社会を捉える枠組みに変化があったからだ。

たとえば,「教育の再生産理論」がそうだが,「学校はカリキュラムを通して,あるいは学校内のミクロな営みを通して階級を再生産し,資本主義生産システムに貢献している」という。

「私たちの実践や理論を説明する常套句のなかに文化的なバイアスがかかっていないか,再生産論からの見直しは必要ないだろうか」(14頁)。

 

近代的な認識枠組みやマルクス的な大きな物語は,近代社会において支配力を持っていた。

それに対して,昨日も書いたが,フロイトフッサール,あるいはカフカシェーンベルクは前世紀の頭に同時代者として世に登場する。

自分という主体を世の中心におくことをやめる。

彼らは,みな広い意味でのドイツでユダヤ人の子どもとして生まれている。

それは,単なる偶然だろうか。

 

そして,構造主義が出てくる。

それは,西洋中心主義からの脱却でもあった。

レヴィ=ストロース(ジーンズのメーカーにもあるでしょ)の仕事は,文化人類学だった。

田中委員長の言っているのは,構造主義,またはそれを批判的に捉えるポスト構造主義ポストモダンになるのだろうか。

「ハマータウンの野郎ども」に代表される教育のエスノグラフィーは,そういった仕事であった。

 

かつて佐藤学は,教師の実践の内側で機能する理論を「修辞学的枠組み」と「活動の枠組み」の2つの枠組みがあると言った(多分翻訳だが)。

反省的実践家としての教師は,この2つの枠組みを省察するのだが,田中委員長はとりわけ,「活動の枠組み」を反省せよといっているようにも読める。

 

そう,佐藤学実証主義的授業研究をメッタ打ちにしたように,田中委員長もまたその観点(新しい哲学,社会学,教育学)から自己反省を促しているように思うのだ。

メッタ打ちにはしていない。

 

「私たちはこれまでの研究活動のなかで多くの成果を出してきたが,最大の成果ともいえる運動文化論を自明,当然のこととして考える惰性態としての思考習慣がないかどうかを問い直す必要があると思う」。

 

「3ともモデル」の3番目は,「ともに意味を問い直す」である。

まずもって問い直されるべきは,我々の運動文化論への関わり方なのだろう。

 

 

 

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