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体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』 1.2月合併号 今月の授業を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

『たのしい体育・スポーツ』1.2月合併号が届きました。

といっても,届いたのは昨年末です。

僕は,冬大会のときに手に入れていたので,それからずいぶんと時間がたちました。

そう,ランニングの記録ばかりを書いていたからです。

今日は,この『たのスポ』の「今月の授業」を読みます。

では,どうぞ。

 

表紙を見ると,「学校体育研究同志会創立60周年記念号」と書かれてある。

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すごいことだ。

まさに,60年前の1955年1月19日に体育同志会は,世田谷の和光学園で誕生した。

戦後10年のことである。

 

だから,今年は戦後70年ということにもなる。

毎日新聞の社説は,今,70年を強調しているようだ。

70年続いた平和を今の政権はどう考えるのか,なぜ憲法解釈の変更なのかと問うのであろう。

 

また脱線するのでやめる。

60周年記念号は,当然運動文化論だ。

「運動文化論を学ぶ,生かす,発展させる」という特集だ。

そして,表紙の写真はリレーのバトンパス。

 

目次のところにある解説には,「小学校高学年のリレー『たのんだぞ!』テークオーバーゾーンの手前にメモリを引いて,何度も練習しぴたりとタイミングがあいました。同志会の成果も引き継いでいきましょう」とある。

 

ねらいがいいね。

写真もいい。

でも,なんでこの子たちは靴下なのだろう?

それは余計なことか。

 

さて,今月の授業である。

「投げる運動遊び」だ。

北海道の沼倉さんが書いている。

 

投擲は僕も専門にやってきたが,単純な動きだけに,記録を伸ばすのは難しく,ついはまってしまった。

投擲の実践は,去年の「たのスポ」7.8月合併号以来であろうか(『たのスポ』7.8月合併号を読む3-バトンスロー実践を読む。 )。

 

僕も大学では,口野さんに教えていただいた内容で授業をする。

そのなかで,紙鉄砲を作って鳴らすという実践もしていた。

これは,面白いけど,音に敏感な子もいるので注意が必要だ。

 

僕の授業では,投擲は対象物の性質の違いや,目的の違いによって投げ方が変わることを分からせることを中心にしている。

それが,5頁の上にも書いてある。

「的を狙って正確に投げようとすると,自然に左の男児のように,投げる手と同じ側の足が前に出ます。

しかし,的が離れると,右の女児のように投げる手と逆側の足を前に出して,勢いをつけて投げようとします。

その違いに気づかせ,次の思い切り投げる課題に進みました」。

 

これはいいね。

ダーツで投げる手と逆側の足を前に出す人はいない。

遠くへ投げるという課題を出すことが,アフォーダンスとなるということだ。

大学生でもバドミントンとかやらせると,同側の手足が出ることが多い(女子に)が,子どもは的を離すこと(あるいは,的から離れることで),動きが引き出されるのだろうか。

ぜひ,検証してもらいたいものだ。

 

そうなのだ。

大学生でもうまく投げられない子はいる。

投げの発生を見ていくと,手投げ,同側,右手左足(右利きの場合),全身を使って投げるようになる。

それが,小学校に上がるぐらいで発生するという。

 

ところが,これは順調にいった場合であり,実際にはそうでないことが多い。

だから,本文の最初にも,「(投動作は)自然発生的に身につく動作ではなく,学習や経験を通して獲得される動作だそうです」とあるのだ。

 

身につけることができなければ,大学生になっても同側のママだったりする。

とりわけ,バドミントンのような咄嗟に打たなければならないときに出る。

もちろん,認識の発達にともない,形のマネはできるだろうが,それはあたかも右利きの人が左手で投げるように,合理性をともなわないものになる。

 

だから,学生には「体つくり運動」において,まとまった時間で投げることを扱う方がよいといっておくのだ。

でないと,小学校(もちろん,中学校以上も)でのボール運動がうまくいかないことは十分に予想されるから。

 

沼倉さんも,最後に,「夢中になって楽しんでいるうちに,自然に動作が身についている,そんな教材・教具をこれからも考えていきたいです」と結ぶ。

これは,逆に言えば,投動作が身につかないのは,ボール運動を教材として取り扱っても,「夢中になって楽し」めていないということであり,そういう教材や教具が必要だとということなのだろう。

 

投げるにかかわらず,子どもの動きの発生にについては,『体育科教育』誌で宮崎大学の三輪佳見さんという方が,運動学の立場から書かれているので,興味のある方はご一読を。

 

 

 

 

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