体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』12月号 安武論考を読む

こんにちは。石田智巳です。

 

昨日は,体育同志会の70年代から80年代にかけての研究の流れを概観することで,大阪支部が90年代に行う競争研究へとつなげようとしました。

この辺は,僕は経験していないので,実のところよくわからないのですが,今こちら側から一本の線をつけるように昔をみて,昔から今のストーリーを作ってしまっています。

それでいいのかは,わかりませんが。

 

今日は,安武一雄さんの論考を読んで考えたことを書きます。

安武さんの論考を丁寧に追うことはしません。

では,どうぞ。

 

体育同志会の研究の歴史を見たときに,「議論されたんだけども,後に残らなかったもの」とか,「誰も取り上げなかったけど,もしかしたら重要な提起だったもの」もあるかもしれない(取り上げられなかったから,今となってはわからないのだが)。

 

ある重要な提起というのは,おそらくだが,それがなされたときには何となく引っかかるんだけど,その時にはよくわからず,でも誰かが取り上げて,それを評価したときに動き始めるものだと思う。

そうでないと,登場が早すぎて,誰も見向きをしないまま葬り去られるということもあるかもしれない。

 

中村敏雄さんの,1970年代初頭の「歴史,技術,組織」も,新しすぎて誰も取り上げられなかったのではないかと思う。

あるいは,「八系四群」という研究領域にしてもそうだ。

スポーツ権の実践化にしても,「3ともモデル」にしても,取り上げられるのはずっと遅くだ。

というか,時間がかかるのだ。

 

「教科内容研究」も,スポーツの主体としてふさわしい国民的な教養という位置づけであって,すぐにみんなが飛びついたように見える。

しかし,僕にすれば,やはり主体形成でスポーツ欲求を,スポーツ要求に変えるための学力というのが,授業実践に馴染みにくかったのだと思う。

それで,出原さんの呼びかけに,みんなが「やっぱ,これだな」って,反応したのではないかと思うのだ。

それが,かつて中村さんが,「歴史」領域としたことと結びついたような気がするのだ。

 

「3ともモデル」だって,「技術,組織,社会」の3つの学力領域を,カリキュラムに落とすときの理論モデルであったが,それが取り上げられるのは,提起してから10年後の2010年のことなのだ。

そういうものだと思う。

 

で,安武さんの論考の最初に,「競争研究」までの足跡が書かれる。

ここのストーリーが,実際に体験した人にしかかけないことだと思う。

 

「大阪支部の『競争研究』は,3年間の『教育課程研究』とそれに続く4年間の『授業づくり研究』の後で取り組まれたものである」。

教育課程分科会が設置されるのは,1983年で,これはまさに主体形成論-学力研究をいかに教育実践に落としこむのかということを狙って作られたわけである。

 

しかし,教育課程研究は,「『教材内容の配列表私案』を何とか形にした程度で終わっている」とのことだ。

「この3年間はどちらかというと理論的な研究に重点が置かれていたので,支部としては『日々の実践になかなかつながらない』といったような不満もあり,・・・『授業づくり研究』の4年間に入っていった」のだ。

 

しかし,「今度は逆に『実践研究』にシフトすると追求課題をよほど明確にしていないと『研究課題の拡散』が起こってくることになる。特に決定的だったのは「『教育課程研究』で導き出した3つの視点はトータルな主体者形成のために学び取らせたい力(学力)であり,そこから即学ばせたい中身(教科内容)が出てくるのではない」という気づきだった」(すべて24頁)。

 

こういう取り組めば取り組むほどフラストレーションがたまるときに,出原さんが「教科内容研究」の旗を振ったと云うことなのだろう。

その後の大阪支部の競争研究の中身や到達点について(この論考のメイン部分)はここでは触れない。

 

僕がいいと思ったのは,最後のところだ。

ということで,最後のところへ跳ぶ。

 

安武さんは,競争研究のころをふり返って2つの点で「競争研究」の見直しを感じることができたという。

1つは,子どもの生活課題に関わらない内容でも,教科内容研究の実践化は必要だという点。

子どもの生活課題に応えるというよりも,「これを投げかけてみたら」という何かが起こるのではないかという,「間口を広げるための『教科内容研究』があってもよいのではないだろうか」と思うという。

僕もそれは感じる。

前に『美味しんぼ』の鍋対決と絡ませて書いたことだが,これを持ってきたら,個別の子どもの問題を越えてでも,子どもたちにがつんと入っていくだろうという発想も重要だと思うのだ。

それが,技術的な内容であっても。

 

もう一つは,「『競争研究』のような『技術』意外の文化的総合性に関わるような『教科内容研究』を,授業づくりまで見通して集団的・集中的に数年かけてするということが必要なのではないか」ということだ。

 

これは,今の全国研究局の方針に対しての厳しい批判と受け止めたい。

僕が考えるのは,どうしても,若い先生には,技術を中心とした授業で,まず子どもたちに手応えを感じてもらった上で,研究に入っていくというものだからだ。

 

あんまり,発信ができていないことも反省だ。

反省だらけ。

 

 

 

 

 

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