体育とスポーツの日記

                      石田智巳が体育・教育,そして運動文化論と運動文化実践(主にランニング)について書いています。

わかっちゃいるけどやめられね。

『たのしい体育・スポーツ』12月号 体育同志会研究の系譜を考える

こんにちは。石田智巳です。

 

今日は,奈良はとてもいい天気です。

子どもたちはポケモンセンターへお出かけ。

妻は仕事がはかどるように、こうして子どもを連れて出掛けてくれる。

お父さんは,朝からひとり部屋にこもって仕事をしています。

 

今日は,『たのしい体育・スポーツ』の2014年12月号を読んで考えたことを書きます。

というのは,やや正確性に欠きます。

いろいろ考えていたことと絡めて書きます。

では,どうぞ。

 

あと,1週間ほどで今年も終わる。

ということは,来年になると云うことだが,とりあえず『たのスポ』1月号が届くと云うことだ。

いつも,読み散らかしてしまうので,12月号をまだ読んでおかねばならないだろうと思う。

個人的には競争の特集もだし,下村さんのバスケの実践も読んでおきたいと思う。

去年のバスケ分科会では,下村実践をうまく掬い上げられなかったけど,いろいろ勉強になったとベテランの世話人の方が云われていたからだ。

 

でも,今日は,「競争」研究読んで,少し書いておきたい。

僕は,90年代に体育同志会に関わりはじめたわけだが,どんな議論がされているのかがまったく知らず,中心すら意識できずに周辺参加をしていたのだ。

だから,教科内容研究と聞いたときには,体育が肥大しすぎているのではないかと率直に思ったものだ。

 

ただ,会の研究としては必然性があったといえるのだろう。

お叱りを覚悟で,すごく単純化していえば,60年代の技術指導の研究を経て,70年代には技術構造や基礎技術の解明などを経て,各教材の指導法がまとめられていく。

それらは,学校体育叢書という形で刊行され,世に問われることになる。

 

しかし,その途中で「系統の一人歩き」と云われるような現象も起こる。

これは,指導の「系統」を子どもに当てはめるということへの戒めであり,そこから発達研究が始まる。

あるいは,生活と教育の統一という観点も出されるようになる。

 

同時に,うまくなることで集団の質は高まるのかという問いも出され,学習集団の研究も行われるようになる。

さらには,うまくすることの研究(技術指導の研究)をしている最中に,中村敏雄さんは「うまくしてどうする」と問う。

このときに,運動文化の「歴史,技術,組織」を教えることが学校体育の役割だとする。

ここには,運動文化の変革と創造の主体を育てるためには,プレイの場面だけに閉じていてはダメだという指摘を見て取ることができる。

 

さらにこの時期には,教科書裁判,公害訴訟,革新政党の誕生などが起こり,国民の教育権の高まり,あるいは高度経済成長によってスポーツ欲求が高まり,それを要求に組織していくというスポーツ権についても議論が始まる。

これは,新体連の「スポーツは万人の権利」,ヨーロッパのスポーツ・フォー・オールなどとの動きも絡まっている。

 

そして,76年に「スポーツ分野の主権者の形成」を体育科教育の役割としながらも,学校の外のスポーツ活動にも目を向けるようになるし,「主体形成」のために必要な学力とは何かが問われ,学力研究へと進む。

このときに,中村さんの「歴史,技術,組織」は,スポーツ権-学力規定論から問い直され,「技術,組織,社会(と体制)」という学力の3領域が示される。

 

しかし,それだけでは体育授業の課題とか,授業で教える内容とはなりにくく,いかにしてこれらの学力を形成するのかという課題意識から,グループ学習のあり方や学習論などの研究へと進む。

こうして,「学習活動の対象化」や「認識と習熟の変革過程」を対象にした学習などが提起され,実践されていく。

ところが,実際に授業をやってみれば,そこには必ず「上手い子と下手な子の関係」,子どもたちの間の「競争観」や「勝敗観」の違いなどがついて回る。

それはある意味では,スポーツの文化的な特質の子どもたちへの反映でもあるのだ。

ここを抜きに,みんなが上手くなることを教えることは難しい。

 

こうして,中村さんが「歴史」や「技術の科学」を教えるといったことに加えて,競争や勝敗なども教えるという教科内容研究が提起されていく。

それが,1991年の秩父で出された出原試案であった。

「国民的教養」というレベルで考えられたのだ。

それを受けて,大阪で競争研究が行われたという図式を作ってみたが,いかに?

 

ところで,体育同志会の研究は,基本的に「国民運動文化の創造,とその体制の創造」である。

これをどう理解するのかは今は置いておくが,1963年頃に丹下氏によって運動文化論が提出されると,常にこれを軸に研究が進められてきた。

もちろん,70年代から80年代の革新的なエネルギーは今はしぼみ気味であるが,研究そのものには,一本の筋が通ったまま現在に至っている。

 

そして,ある研究が提起されて,集中的に議論されて,ようやく体育同志会のメンバーの人口に膾炙するまでに,10年ぐらいかかるといっても過言ではないだろう。

こうやって,ちょっとずつ成果を出してきたのだ。

 

だから,学習指導要領が10年ごとに大きく変化することに危惧を持ってしまうのだ(これは,僕個人の話)。

ようやく慣れてやり方がわかってきたと思ったら,「次行ってみよう~」となるのだから。

 

競争研究の話にはならなかったが,今考えていることを言葉にしてみたのである。

金曜日からは,冬大会が豊橋で始まる。

刺激的な会になことを期待したい。

 

 

 

 

 

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